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政治に望むこと  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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1  政治の目的は何か
 松下 政治の役割とか目的については、昔からいろいろのことがいわれているようですし、また、政治の内容も今日では複雑多岐にわたっています。そのため、ともすれば、基本的に大切なものが見失われるおそれもあると思うのですが、いったい政治というものは、何のために行なわれるものなのでしょうか。いろいろ議論もありましょうが、わかりやすく端的にいえば、どういうことになるでしょうか。
 池田 政治の目的は、これを一言にしていえば、個人の幸福と社会の繁栄との一致を達成することだと思います。このことは、私の恩師である戸田城聖第二代会長が訴えておられたことでもあります。
 なるほど、個人の幸福は、各個人の努力と信念によって、あるていど実現できるかもしれません。しかし、社会全体が大きく変動したときには、個人の努力も一瞬にして水泡に帰しかねません。
 しかも、各個人の利害は複雑に入り組んでおり、ある個人の幸福が他の多くの人の不幸をもたらすことも、なきにしもあらずです。あるいは反対に、社会全体の繁栄のために、少数の個人が不幸を強いられる事実も、数多くみられます。とくに近代の市民社会においては、各個人の私権と私権、また私権と公権のぶつかりあいがいたるところに発生しています。
 政治の目的の第一は、そうした私権相互の葛藤を克服し、対立を止揚するとともに、公権と私権の境界を明確にし、誰もが幸福になりうる道を開くことではないでしょうか。憲法第二十五条にも明記されているように、すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をもっています。そのような国民の生存権を守り、理想を達成できる政治を行なうことが、憲法第九十九条によって、この憲法の規定を尊重し擁護することを義務づけられている公務員、なかんずく政治家の第一の目的でなければなりません。
 ところで、すべての国民に健康で文化的な幸福生活を保障するためには、社会全体の繁栄を無視するわけにはいきません。ケインズの理論にもあるように、パイの分け前を多くするには、パイそのものを大きくしなければならないということも、たしかに一理あります。しかし、そのさい、どんなにパイを大きくしても、各人に対するパイの分配が不平等になされるようであっては、国民の間に対立と不信を招く結果になってしまうでしょう。
 たとえば、たしかに戦後の日本経済の発展は、まことに目覚ましいものがあったといえます。しかし、国民の偽らざる胸の内では、大きくなったパイが平等に分けられていると感じている人は、ほとんどないと思います。事実、そのことは国連の統計資料によっても明らかです。七一年度の国民総生産、いわゆるGNPでは、日本は自由世界第二位を保っていますが、一人あたりの国民所得となると、アメリカにはるかにおよばないのは当然としても、カナダ、西ドイツ、ベルギー、オランダ、イギリスよりも等しいものとなっています。ここに、投げ溝して働いた国民が、政治に不信の目を向ける根本的な原因があるのではないでしょうか。したがって、政治の目的の第二は、このような不平等を取り除くことにあると思うのです。
 さらに最近の日本では、パイの分け前の不平等を論じる以前の問題として、日本経済の急激な高度成長が、公害や環境破壊をもたらし、多くの国民に不幸を強いる結果になっています。しかも、これは、日本国民に対するだけではなく、わが国の経済が進出している地域、すなわちアジア各国をはじめとして、世界中に不幸をまきちらし、反日感情を生んでいるわけです。そうした問題に対して、政治家は謙虚に反省し、ここで政治の在り方を根本的に転換する必要があるのではないでしょうか。
 政治の目的が、個人の幸福と社会の繁栄との一致を目指すところにあるとした、私の恩師の提言は、たんに日本一国だけを問題としたものではありません。一国の繁栄が、他国の不幸のうえに築かれてはならないこと、大国の幸福のために、小国が犠牲になってはならないことまでを含み込んだうえでの発言だったのです。すなわち、地球上のすべての民族が、平和的に共存しうる道を探し、切り開いていくことも、政治に課せられた重要な任務としなければならないでしょう。
2  政治に欠けているもの
 松下 国家の発展、国民の福祉向上にとって一番大事なことは、なんといっても、政治のよしあしではないかと思います。ところが、今日の日本においては、政治にいろいろと問題が多く、必ずしも好ましい政治が行なわれているとはいいがたいものが感じられます。
 個々に取り上げればいろいろと問題がありましょうが、今日のわが国の政治に一番欠けているものは何だとお考えでしょうか。
 池田 現代日本の政治に問題が多く、必ずしも好ましい状態ではないとのご感想に、私も同感いたします。では、今日の政治に最も欠けているものは何かとのご質問ですが、私はそれは″慈悲″――人びとの苦しみと同苦し、苦悩を抜きさり、生きる喜びを与えていこうとする熱情――であるということを、まえまえから指摘してきました。
 もちろん、政治の欠陥について、個々に制度的な面の不備を指摘することもできましょう。議会制民主主義の在り方を根本的に問い直す議論があることも承知しております。選挙制度の改革や政治資金を規制することが、政治をよくする道であるという意見もあります。しかし、そうした制度的改革を手がける以前に、まず政治家が″慈悲″の精神をもつベきであるというのが、私どもの主張なのです。
 たとえば、今日の政治家のうち、はたして何人の人が庶民の苦しみをわが苦しみとしているでしょうか。毎晩、料亭で財界代表と懇談している政治家に、物価上昇で苦しむ主婦の悲鳴が聞こえるのでしょうか。また環境庁長官は当然としても、それ以外の首相をはじめとする閣僚のうち何人の実力大臣が、たとえば水俣の現地へ行って直接患者の苦しい実情を見聞したでしょうか……。
 このように具体例をあげていけば、まだまだ枚挙にいとまがありません。要は与野党を問わず、また保守・革新を含めて、およそ政治家を志すほどの人は、国民全体の代表であり、ほんの一握りの財界や圧力団体の利益代表であってはならないはずです。国民の付託にこたえ、庶民の声なき声までも聞く耳をもたなければならないと思うのです。そして、庶民の苦しみを知り、それを解決しようとする一念にたちさえすれば、日本の政治は見違えるほどよくなると、私は固く信じています。
3  民間が政府に任せた
 松下 社会が複雑になってくるにつれ、政府の果たすべき機能も多岐にわたってくるのも一面当然かもしれませんが、なにもかも政府がやるということでは、政府の力が分散してしまい、また国民も依頼心をもって、結局かえって事がスムーズに効率よく運ばないことになってしまいます。そこで、政府は政府でなくてはできないことだけをやり、他は民間に任すということが必要になってくると思うのですが、いかがでしょうか。
 池田 私は、これは、基本的な考え方をキチンと立て直してみることが大事だと思います。政府はどこまでやるか、民間はどれだけやるかという具体的な問題は、一つ一つ取り上げていたら際限がありませんし、なによりも、根本の考え方がはっきりしなければ、判断も下せないでしょう。
 そこで私が強調したい″基本的な考え方″というのは、いったいこの人間社会の主役・主体は政府なのか民間なのかという点です。申すまでもなく、民主主義思想の基盤は、まず人間の集まりがあった、この集まりが秩序の維持のために王あるいは政府をつくり、そのための権利を委託した、というところにあります。
 つまり「政府は政府でなくてはできないことだけをやり、他は民間に任す」というのではなく、本来は民間がすべてで、必要性に迫られて政府をつくり、政府でなくてはできないことを民間が政府に任せたのです。
 もちろん、歴史的には、このようにいうことは異論があるかもしれませんが、民主主義の理念とは、この一点にあるわけです。
 これが明確になれば、政府が始めた戦争のために、国民が犠牲を強いられることもなくなるはずですし、政府があらゆる権力を握って国民はその思うままに操られることもありえないでしょう。また、あまりにも政府のすべきことが多くて力が分散し中途半端になることもなければ、国民が依頼心をもってかえって事がスムーズに効率よく運ばない、などということも、本来ありえないはずです。

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