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人生問答 繁栄への道

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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1  共同意識の醸成
 松下 今日のように、お互いに密接不離の生活を営んでいるものにとっては、やはり一人だけの繁栄は考えられないと思います。すなわち、自分が繁栄を望むなら、周囲の人びとの繁栄も同時に考えなければならず、さらにいえば、社会全体を良くしなければ、みずからの繁栄は確保されないといえましょう。けれども、こういう認識は一般にはまだまだ浸透していないようにも思うのです。
 そのような共同意識の醸成を妨げているもののなかで、最も重要なものは、いったい何でしょうか。
 池田 アリストテレスは「人間は社会的動物である」とのべていますが、人間にかぎらず、いかなる生物も自分一個で生存を全うすることはできません。なかんずく、人間において、社会は、たんに生存の主要な基盤であるばかりでなく、個の形成や生存のために必要欠くべからざる要因となってきたことが注目されます。
 今日においては、この人類の共同体の絆は全地球的規模のものとなり、人類全体が運命共同体をなしているといえます。その意味では、いかなる個人、いかなる企業、そしてどのような地域社会、民族、国家といえども、人類としての運命共同体のなかに組み込まれていることを知らなければなりません。
 この人間の在り方として、社会の規模をどうとるにせよ、社会全体を良くしなければ自己の繁栄、幸福は確保できないことはいうまでもありません。しかし、それと同時に、どのような社会、企業、国家であっても、個人の幸福を犠牲にした繁栄は、真の繁栄ではありえないということもまた忘れてはならないと思います。私たちは、民族、国家、企業の繁栄に名を借りた、個人への圧迫、庶民の生命への抑圧を、歴史のいたるところに発見することができます。真の社会繁栄は、庶民の生命を守り抜くという基本法則に立脚したとき、初めて実現されるのです。また、社会の指導的立場にある人も含めて、すべての人びとの心に、悩める者、弱き者をけっして犠牲にはしないとする決意が芽ばえたとき、同時に、真の共同意識が社会全体の一人ひとりの心のなかに根ざすのではないでしょうか。
 ご質問では、社会とともに生を享受し、ともに人生を謳歌しようという「共同意識」が一般にはまだ浸透していないのではないかと危惧されているようですが、私は、庶民の心には、いつの時代にあっても、他の人びとや生物と共存し、共和の人類社会をつくろうとする願いは本然的にあったし、現在もあると思うのです。
 私は、人類共同の意識の醸成を妨げている最も重大なものは、庶民一人ひとりの生命における共同意識への認識不足などではなくして、むしろ企業、国家、学問などの領域にどす黒くうずまく、利己的な権力者などの心から流れ出たエゴそのものであると考えます。
 さらにいえば、権力、財力、名声にどっぶりとひたった人たちも、今日の人類社会において、共和の精神、行動が必要であることは十二分に承知しているはずです。共同意識の必要性という認識はありながら、しかも、盲目的なエゴと欲望のまえには、ほとんど無力であるところに、権力の座に君臨する者の悲惨な姿があるのではないでしょうか。
 私は、このような人たちこそ、エゴの牢獄を開いて、慈悲と創造に生きるための本源的な力をわきだす方途を探索し、実践に移すことが急務であろうと主張したいのです。
 たしかに、庶民の生命のなかにも、醜いエゴの胎動があることは事実でしょう。だが、権力も名声もない庶民が、他の人びとと慈しみの絆を結び合って生きようとする心の連帯を無残にも断ち切ってきたのは、国家、企業、民族の繁栄に名を借りての、権力をもつ者、経済を支配しようともくろむ者、名誉、名声を得ようとする者たちの愚かしい行為ではなかったでしょうか。
2  真の繁栄とは何か
 池田 繁栄という言葉は、誰しも反対することのない主要な目標であり、要素だと思われますが、公害、人口、資源などの問題が、人類史の繁栄の歴史に、大きな問題を投げかけております。そこでは、たんなる盲目的な繁栄は許されなくなってきております。そうした現代文明のかかえる根本問題を見据えつつ、人類世界の視点にたって、人類の歩むベき、真の繁栄の道は何か、また、それには何が最も大きな鍵となるか、ご意見をおうかがいしたいと思います。
 松下 ご質問にもありますように、今日、日本といわず世界といわず、公害、人口、資源など非常に大きな問題が生じてきており、そのために、繁栄というものに対していろいろ疑問が投げかけられているようです。
 私は、こうした問題が生じてきた一つの大きな原因は、いわゆる物心のアンバランスにあるのではないかと思います。つまり、物質的な面では非常に進歩向上してきていますが、精神面での進歩がそれにともなわないため、物を使うべき人間が反対に物に振り回されているといった姿も一部には生じてきて、そうしたところから、いろいろなヒズミが生まれてきたのだと思うのです。
 そのような物心のアンバランスの姿は、これは真の繁栄とはいえないと思います。真の繁栄というものは、物質面と精神面の調和のとれた繁栄、いわゆる物心一如の繁栄といいますか、心も豊か、身も豊かといった姿をいうものだと思います。
 心の豊かさというものには、たとえば、物の価値を知り、すべてに感謝するといった心とか、自分一人の繁栄、幸せだけを考えるのでなく、自他ともの幸せ、共存共栄を願う心といったものも含まれるでしょう。そのように具体的にはいろいろありましょうが、個々人といわず、団体国家といわず、世界人類全体として、そういった心の豊かさを養い高めつつ、それに相応した物の面での進歩向上を図っていくことが大切だと思います。そのような心の豊かさがあれば、いかに物が豊富にあっても、それをムダにしたり、人間がそれに振り回されたりするといったことも起こらないと思うのです。
 それでは、そうした物心一如の真の繁栄を生みだしていくうえで、大切なものは何かということですが、これはいろいろ考えられると思います。しかし、あえて一つあげるとすれば、私は、まえにも申し上げました″素直な心″というものではないかと思うのです。
 素直な心は人間を正しく強く聡明にするということを申し上げましたが、素直な心になれば、物事の実相がわかってくると思うのです。そういうところから、心の豊かさというものも生まれてきますし、また、物の面での繁栄もよりもたらされやすくなってくると思います。
 そのように、物事の実相がわかる素直な心こそ、物心一如の繁栄を招来する一番大切な鍵となるものではないかと思うのです。
3  人間性・国民性・時代性
 松下 われわれが、よりよい社会を築き、お互いの福祉を高めていくための、さまざまな方策を考え生みだしていくさいに、普遍的な人間性、その国の国民性・民族性、さらにはその時々の時代性といういわば三つの柱を調和させつつ、それに適合したものを考えていくことが大事であり、そのいずれを欠いても好ましい結果は得られないと思うのですが、いかがでしょうか。またそういう観点から、今日の日本の社会なり政治をみた場合、そういう配慮がなされていると考えられましょうか。
 池田 よりよい社会の建設と福祉向上のために、普遍的な人間性と、その国の国民性・民族性・時代性を調和させ、それに適合した方策が生みだされていかなければならないというお説には、私も同感です。
 そして、今日の社会なり政治なりをみた場合、いろんな場面に、これらの要素のアンバランスがあることも事実です。ただし、この問題については、個人が自分のためにすることと、権力によって人びとの行動を規制ないし強制することと、この二つを明確に区別してかかる必要がありましょう。
 というのは、自分のためにする場合は、だいたいにおいて、この三つは調和しているものであり、かりにその不調和があっても、それは当人の好みでやっていることで、そのために不便をきたしても、それは当人自身が被害をこうむるだけでしょう。たとえば、ある人が自分の家を建てる場合、外国風の家を建てるのも自由ですし、時代性に合わない古風な造りにするのも自由です。そうした自分がその結果を受ける問題については、あくまでその人の自由であって、それが調和がとれていなければならないのどうのと、第三者がとやかくいうべき問題ではありません。
 大事なのは、その行為なり造ったものが、他の人にいやでも影響を与える場合です。この場合は、行為する人、造る人は、その結果としての利害をこうむる立場の人びとのことを、深く念頭におく必要がありましょう。たとえば、物資を製造する企業は、その製品を買うか買わないかは購買者の自由ですから、その製品が、これら三つの条件をどのようにそなえているかは、売れ行きにのみ関する問題です。場合によれば、異国調であるほうが購買欲をそそることもありうるでしょう。しかし、製造作業によって生ずる環境汚染は、強制的に地域住民ひいては人類に被害をおよぼしていきます。これは、普遍的な人間性に反するものとして、厳しく戒められねばならないでしょう。
 政府の施策の場合は、そこに権力というものがあり、国民は好むと好まざるとにかかわらず、その施策による結果を受けなければなりません。もちろん、一部の国民には、日本的でなくとも外国的であるほうがよいとか、現代的であるより古典的のほうがよいといった人もいるでしょう。しかし、大多数の人びとのことを考えれば、日本人の国民性、現代の時代性に合っていることが、まり多くの人びとを満足させる道といえます。
 しかし、この問題に関して、なによりも私が重要だと思うのは、普遍的人間性、民族性、時代性というふうに三つの要件をあげられていますが、絶対的に大事なのは普遍的人間性という要素であり、あとの二つは相対的なものであるということです。そして、国民性、民族性、時代性といっても、普遍的な人間性に合致し、それを基盤にしてこそ善となるのであり、もし、それが人間性に反していれば、かえって悪となることを知らなければならないでしょう。

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