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はじめに  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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1  はじめに   池田大作
 人間と人間との出会いほど不思議なものはない。全くの見ず知らずの人間同士が、ある日、ふとした機縁の糸に導かれて、心と心との紐帯を結び、やがて生命と生命との連帯の輪を広げていくことになる。
 私と松下さんとの出会いは、今から八年前の秋、創価学会の催した「東京文化祭」の折りのことであった。もちろん、それ以前から、見ず知らずの間柄というわけではなかったが、直接、顔を合わせて語り合うことになろうとは、想像もしていなかった。
 この時は、主催者側の責任者として、来賓への謝意をこめて、ごくかんたんに挨拶を交わしたていどであった。その後、松下さんから「ぜひ一度、ゆっくり懇談する機会をもちたい」と申し出があり、お招きに応じたことが、二人の親交の発端となった。以来、何度か、こちらもご招待したり、また、お招きに与ったりで、その席での対話も、さまざまな方面に広がり、発展していった。こうして、どちらからともなく、せっかくの話し合いの内容を、なんらかの記録として残しておくことも、意味があるのではないかという話になったのである。
 むろん、最初から「往復書簡」の形式が考えられていたわけではない。だが、一昨年秋に、突然の石油危機が日本経済を直撃し、わが国の将来に暗雲が覆いはじめたころ、松下さんのほうから、続々と質問項目が寄せられてきた。いずれも、日本の進路を真剣に模索されたもので、人生論に始まって、生命論から文明論にまでおよび、さらには、政治・経済の在り方から、社会観、世界観を問うものまで、およそ人事百般にわたり、その数は実に百五十にも達した。
 世に「経営の天才」と言われる松下さんは今年八十歳。私は五十にも達しない若輩である。本来ならば、私のほうからお聞きする立場であるが、力のおよぶかぎり、ご質問にお答えすると同時に、さっそく、私のほうからも百五十間を用意し、お互いに意見を交換しあうことにしたのである。
 したがって「書簡」といっても、いわゆる時候の挨拶から始まって恐々謹言に終わるような、形式ばったものではない。単刀直入に質問し、答えるという、あくまで互いの真情を吐露し、未来への道を模索したものである。
 ちょうど、そのころ、私は、中国、ソ連、アメリカ、ョーロッパと、頻繁に各地を旅行し、各国の文化人や首脳とも会ったりで、そうした合い間をぬって回答を書くというありさまだった。そういうわけで形式ぬきになったが、内容的には、こうした私の動きと、そこでの志向性が、回答のなかに、色濃く反映したものになったようである。
 互いの回答がほぼ完成したころ、たまたま『週刊朝日』の編集者から、これを公開してはとの申し出があり、昨年十月十一日号から今年六月二十七日号まで、途中、対談をはさんで前後三十五回、約九か月にゎたって連載された。もとより、私も、松下さんも、公表を意図して始めたわけではなかった。同誌の熱心な勧めに、双方合意で了承したわけであるが、毎号の構成を時流と関連したテーマでまとめ、交互にミニ・インタビューを掲載するなど、長期連載に耐えうるものとしてくれたのは、あげて編集者の卓越した手腕によるものである。
  
 この『人生問答』もまた、私の一連の対話シリーズの一尉をなすものであろう。そこで私は、なぜ対話を行なうのかと聞かれれば、人間同士の率直な語らいのなかにこそ、生きた人間哲学が得られるからであると答えたい。私の真情をいえば、人類の未来を思い、真剣に思索をしている人ならば、心からの敬意を払い、対話に赴くのに吝かではないつもりである。
 今さらいうまでもなく、世界は、とめどなく進行する環境破壊や、恐るべき核兵器の貯蔵によって、破局の危機を増大しつつある。もはや人類は、偏狭な主義主張に固執し、いたずらな対立と抗争を繰り返していられる時代ではないと思う。
 次の世代が、少なくとも人間らしい生活を営めるためにも、われわれは現代の人間と文明の在り方を考え直すべき時にきている。
 そうした提唱は、私自身は何年も前から行なってきたことだが、わけても、現在、指導的な位置についている人びとが、互いに膝を突き合わせて語り合う必要がある。私自身は一介の庶民にすぎないが、庶民なればこそ、とらわれないで、行動もできるし、言うこともいえる。それがまた、指導者間の対話の道を開くきっかけの一端にもなりうるのではないかと考えるのである。その意味からも、本書がそうした役目の一端を担うとともに、人間の生死を考え、未来を模索する人びとの思索の一助ともなれば、これ以上の幸せはない。
 昭和五十年九月
2  はじめに   松下幸之助
 池田さんに初めてお会いしたのは、昭和四十二年秋、創価学会の東京文化祭にお招きいただいた折りのことであった。創価学会のめざましい発展ぶりなり、非常な若さにもかかわらず、会長ご就任以来、短時日でそうした発展を実現された池田さんのことは、かねて耳にもし、また興味をもっていたので、お招きに応じて見せていただくことにしたのである。
 会場の国立競技場に着き、まず感心したのが、出迎えや案内の方々の真心のこもった親切な応対ぶりである。私どもでも、よくお得意先をご招待して、その応接には相当心をくばるようにはしているが、それよりも数段念の入ったものが感じられた。
 会場に入ると、広い国立競技場が立錐の余地もないほどの超満員である。しかも水を打ったような静けさでありながら、非常な熱気がたちこめている。これまで見たどんな会合にも感じられなかったその一種独特の緊迫した雰囲気には、いたく心を打たれた。
 そしていよいよ文化祭が開幕した。そこに繰り広げられた光景は絢爛というか豪華というか、まことに目を奪う鮮やかさであり、しかも、それが一糸乱れぬ秩序正しさで整然と進行していく。広いグラウンドいっぱいに、体操が、行進が、踊りが、マスゲームが息つぐ間もなく次々と展開される。同時にそれに合わせるように、私どもの席の正面の観客席にさまざまな人絵、人文字が色彩豊かに描かれていく。西洋の名画もあれば日本の浮世絵もある。きれいなお花畑や花火も現われる。時には映画のように画面が動きを見せ、真っ赤な鷲が飛翔し、帆船が怒濤を越えていく。
 ふと私は、昭和十六年に、当時の一万人の従業員を甲子園球場に集め、来賓、家族など五万人の観客の前で会社の運動会をやったことを思い出した。その時の競技ぶりは、来賓の一人であった大阪師団の少将の人から「軍隊でもこれほど整然とはできない」とおほめをいただいたものであった。しかし、戦時中の国民の気分も高揚していた当時とちがい、むしろ社会混乱といっていい今日に、これほどのことができるということに、私はまことに感銘を深くした。そして、創価学会の真価というものを認識するとともに、そういうことができる人間の心というか、力の広さ深さを、あらためて思ったりもした。
 この日は、ご多忙の池田さんとは目礼を交わしたていどであったが、そのかわり、幹部の方が池田さんの意を体して「よくお越しくださいました」とか「いかがですか。なにか不都合はありませんか」と三度も挨拶に来てくださった。なんでもないことのようだが、十万近い人を集め、数千の人を招待して多忙をきわめておられるだろう池田さんが、そこまで心をくばっておられることに私は驚いた。そしてそこに、ほんとうに人を大事にし、人間尊重に徹しておられる池田さんのお心の一端を見る思いがして、非常な感動を覚えたのである。
 この若さで、このまま成長されれば、将来、国の発展、人心の開発に非常に貢献し、日本の柱ともなる人だと思った。
 それで、一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていたところ、幸いその後、機会を得、以来、心の友として親しくしていただいている。いろいろ忌憚なく意見も申し上げるが、お会いするたびに啓発されるところが非常に多い。
 そういうところから、お互いに問答というか、自分の疑問とすることを問い、それに答えることも有意義ではないかということになった。そして、双方百五十間ずつ出し合い、問いつ答えつしたものが本書である。たまたま『週刊朝日』のお勧めもあって、その適切な選定により、主として時局に関連ある約三分の一のものが同誌に連載された。同時に人間とか人生とかいった問題にふれた未掲載分についても、お読みいただければということで、池田さんとも意見の一致をみ、『人生問答』上下三巻として刊行の運びとなったものである。
 人間を考え人生を考え、また日本と世界の未来を考えるうえで、本書がなんらかのご参考になればまことに幸いである。
   昭和五十年九月

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