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日蓮大聖人・池田大作

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2 近代西欧の三宗教  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  池田 をバ教は常に文明の源泉であり、創造性の原動力となってきましたが、これに反して近代以後の西欧文明は、むしろ宗教からの離脱を起点としているいわば非宗教的文明とみることができます。これは否めない事実であると思いますし、実際に本来の意味での″宗教″の喪失が賛否両方の意味で、議論の的となっています。しかし、もう一歩″宗教″の概念を広げて考えてみると、近代科学技術文明も、それなりの″宗教″をもっているとみることができると思うのです。たとえば、物質的な富への憧憬、科学の進歩への信念といったものは、現代人の″宗教″となっているといえるのではないでしょうか。
 トインビー つまり、近代西欧は、宗教をもつことをやめたのではなく、もつところの宗教を変えたのだとお考えなのですね。まったく同感です。私も、人間は宗教や哲学なしには生きていけないと信じています。宗教・哲学という二つの観念形態の間には、明確な区別はありません。
 池田 む不教の本質的なものは、人間の生き方に関する思想的側面であるはずです。この観点から現代人の物質的富への憧憬や科学的進歩への信念といったものをみると、それが現代文明において果たしている役割は、まさに宗教と何ら変わるところがないように思われるのです。
 このことは、近代の科学技術文明というものを把握し、今日の課題である文明の転換の道を思索するうえで、重要な意味をもつと思います。そして、そこから――あたかもエジプトにおいてフアラオの信仰からキリスト教へ、さらにイスラム教へと変転が行われたように、あるいはヨーロッパにおいて宗教改革が行われたように――現代文明における宗教的変革の道も、明らかになってくると思います。
 トインビー 西欧文明は、いまや近代的な装いをこらして全世界に――あるいは力ずくで、あるいは自主的な形で――普及していますから、この近代西欧の宗教、ないし諸宗教を見極め、評価することが重要になってきます。一文明における宗教はその文明の生気の源泉であり、この宗教への信仰が失われるとき、文明の崩壊とすげ替えがなされる――このことが、私の信ずるように正しいとすれば、全世界があるていど西欧化している今日、西欧諸民族の近代宗教史こそが、人類全体の現状を認識し、その未来を展望するカギとなるでしょう。
 西欧文明は、かつてギリシャ・ローマ世界の宗教・哲学がキリスト教にその地位を奪われたとき、このギリシャ・ローマ文明に代わって登場してきました。キリスト教は、以後、西欧の主要な宗教として――いや、事実上、その唯一の宗教として――十七世紀の後半まで存続してきました。しかし、十七世紀も終幕に近づくと、キリスト教は、その長期にわたる西欧知識階層への支配力を失い始めました。そして、その後三世紀の間に、キリスト教の退潮傾向はますます広範なものとなり、西欧社会の全階層にまで及びました。また、これと時を同じくして、人類の多数者たる非西欧諸民族の間に、近代西欧の制度、思想、理想――これはむしろ、逆に理想の喪失というべきでしょうが――などが広まったため、これら非西欧諸民族は古来の宗教・哲学による支配力から解き放たれました。つまり、ロシアでは東方正教キリスト教の、トルコではイスラム教の、また中国では儒教の、支配力がそれぞれ失われたのです。
 私の西洋史観では、十七世紀における西欧の宗教的変革は、かつて四世紀にローマ帝国がキリスト教化した後の西洋史の流れの中で、最も大きな、また最も重要な分岐点でした。つまり、この十七世紀の区切り目は、私のみるところ、それ以前の宗教改革で西欧キリスト教会がカトリックとプロテスタントの二派に分裂したこと、さらにそれ以前のルネサンスでギリシャ・ローマ文明が、どちらかといえば皮相的な形で西欧社会に復興したことなどに比べると、はるかに重要な歴史的事件なのです。
 池田 たしかに、十七世紀には、キリスト教の世俗世界における立場を揺るがせ、諸学問に対する教権を失わせるような、画期的な事件が相ついで起こっています。十七世紀の前半には三十年戦争があり、宗教上の見解の相違を政治的・軍事的力によって争った、最後の惨劇が展開された時代です。そして、これを契機として、それ以後、宗教上の争いに政治権力が介入することはしないという原則が、しだいに打ち立てられたわけです。また、ガリレオがコペルニクスの地動説を支持して宗教裁判にかけられたのも、十七世紀前半のことです。デカルトが近代合理主義哲学の基礎を打ち立てたのが、やはり十七世紀の前半でした。ニュートンが活躍したのも、十七世紀の後半から十八世紀の初めにかけてです。
 こうした思想上の発展をみると、十七世紀には、ルネサンスや宗教改革よりもはるかに大きい転換がなされたという博士の所説は、十分に納得できます。たしかに、ルネサンスや宗教改革は、キリスト教思想の内側での変革であり、キリスト教信仰そのものを揺るがした事件とはいえません。これに対して、十七世紀の種々の変革は、キリスト教信仰と政治との関係、キリスト教神学と科学その他の学問との関係において、キリスト教そのものの座を危うくする変革であったということができますね。
 トインビー 十七世紀に起こった宗教上の変革は、たんに消極的な出来事、つまリキリスト教の後退として、誤って解釈されてきました。すなわち、人間性は宗教的空白を嫌うものであること、したがってまた、一社会内で古来の宗教が衰退すると、早晩それに代わる一つないし複数の宗教が必ず興ってくるということに対して、認識がなされていなかったのです。
 私の見解では、十七世紀におけるキリスト教の後退によって西欧に生じた空白は、三つの別の宗教の台頭によって埋められました。その一つは、技術に対する科学の組織的応用から生まれる進歩の必然性への信仰であり、もう一つはナショナリズム(国家主義)であり、他の一つが共産主義です。
 いくつかの宗教が一つの社会に共存するというのは、西洋人の心情としては理解しがたいことです。これは、西欧古来の宗教であるキリスト教が、排他的なユダヤ系の三宗教のうち最も不寛容な宗教だったからです。したがって、西欧諸民族が新たに宗教的寛容を理想に掲げ、その実践に転じたことは、カトリックたるとプロテスタントたるとを問わず、西欧キリスト教そのものに致命的な打撃を与えました。じつは、こうした転向は、カトリック・プロテスタント間の宗教戦争に対する十七世紀の反動の、消極的な側面であったわけです。
 これに対して、ほとんどの非キリスト教国においては、いくつかの宗教が共存することは、ごく普通の現象でした。キリスト教同様、ユダヤ一神教の排他性を受け継いだイスラム教でさえ、その教典コーラン自体に、他のユダヤ系の二宗教、すなわちユダヤ教とキリスト教に対する寛容を謳っています。ただし、これらの異教の民が、イスラム教徒の政治的支配に従うならば、という条件付きではありますが――。キリスト教以前のギリシャ・ローマ世界、ヒンズー世界、それに東アジアでは、いくつもの宗教・哲学が共存することは当然のこととされていました。共産化以前の中国においては、外来の宗教であり哲学でもある仏教が、土着の、同じく宗教と哲学の両面性をもつ道教と、折り合いよく共存しましたし、また、ごくわずかの時期を除いては、国教的な哲学である儒教とさえも、仲良く共存していました。また、日本では、仏教は神道と折り合ったばかりか、協調的な関係にさえありましたし、私の認識が正しければ、徳川幕府のもとでは、朱子学派の儒教が、仏教や神道とほぼ同等の位置を占めていたと思います。
 池田 日本では、非常に仏教に篤信な人も、神道に篤信な人も、伝統的に他の宗教の信仰者に対して寛容でしたし、多くの場合、一人のなかにおいて、仏教と神道と儒教が共存してきたことさえあります。しかも、これら古来の宗教は、日本人の内に、博士があげられたキリスト教後退後の三つの信仰のうちの二つ――つまり科学技術の進歩に対する信仰とナショナリズムーーとも、顕著な形で同居してきました。
 周知の通り、ナショナリズムと最も明白な形で結びついたのが神道でした。これは、明治維新から第二次大戦の終わりまで、日本帝国主義の精神的支柱となってきました。敗戦によって、神道の象徴的意味と、そのナショナリズムとの結託は破綻しましたが、まったく消えてしまったわけではありません。
 神道はまた、科学技術の進歩とも奇妙に結びついています。最新の技術設備をもつ工場やビルディングに、神道の祠が設けられていることは珍しくありませんし、現代技術の粋をつくして建てる鉄筋コンクリート・ビル着工にあたって、神道による″清め″の儀式が、伝統的な様式にのっとって行われています。
 こうした事例からみますと、日本の場合、科学技術に対する信仰とか、ナショナリズムや共産主義は、伝統的宗教の後退による精神的空白を埋めるものというのとは、少し意味が違うようです。そこが、自身における精神的な対決のうちから、新しい精神と人生の拠りどころを求め、これを確立していったヨーロッパ人の場合と異なる点だと思います。
 トインビー たしかに、状況の違いはあるようです。しかし、その点についてさらに比較検討を進めるため、科学的進歩への信仰やナショナリズム、共産主義が、ヨーロッパ諸民族の思考や信仰に重要な位置を占めるに至ったいきさつを、若千詳しく述べてみたいと思います。
 まず、科学的進歩に対する近代西欧の信仰が意識的に確立されたのは、三全ハ一年にイギリス学士院が設立されたのと同時と考えてよいでしょう。イギリス学士院は、十七世紀の自国の内紛に驚惑し、その政治上の成り行きに幻滅したイギリスの知識階層によって設立されました。これらの知識人は、イギリスにおいて国内紛争をつのらせたのは、神学上の論争であることに気づきました。彼らは、この種の論争はキリスト教の権威を落とし、世間にも害を及ぼすものだと考えました。また、争点となっている問題が、合理的に納得のいく形で解決されるものでなく、そのため知的にも結論に到達できるものではないと考えました。彼らのこの考え方は正しかったといえます。
 このため、イギリス学士院の設立には、知的関心の方向を神学から科学へと変え、実際の行動を、宗教や政治の紛争から技術面の発達へと転じることによって、そうした弊害を和らげようとする意図が込められていました。設立者たちは、科学を組織的に技術面に応用することによって、かつてない技術の進歩を実現する可能性があることを予知していたわけです。彼らは、技術の進歩が、必ずや福祉面の向上につながるものと想定していました。しかし、彼らにも盲点がありました。それは、あらゆる力は――科学的に進歩した技術が生み出す力も含めて――すべて倫理的には中性のものであり、したがって、使い方によって善にも悪にもなりうるという点でした。
 この彼らの理想にのっとった宗教――科学的進歩への信仰――は、一九四五年に致命的な打撃を受けました。それは、科学が原子の構造を発見し、この発見が技術に応用されて核分裂によるエネルギー放出をもたらし、それがただちに悪用されて二個の原爆がつくられ、広島と長崎に投下されたときのことです。
 池田 科学者たちは、三度にわたる世界大戦を体験するまで、真の意味で、科学的進歩のもつそうした両面性に、深刻な認識をもっていなかったようです。二つの大戦には、経済力と科学技術の総力が注がれましたが、その結果、人類が得たものは、悲惨きわまる災禍でしかなかったわけです。
 トインビー 次に、西欧の伝統的宗教にとって代わった第二の宗教、つまリナショナリズムは、地域社会における人間の集団力を信仰の対象とするものです。科学の進歩に対する信仰とは違って、ナショナリズムは新しい宗教ではありません。それは、古来の宗教が復活したものです。すなわち、ナショナリズムは、キリスト教以前のギリシャ・ローマ世界における都市国家の宗教だったのです。
 この宗教は、ルネサンス期に西欧で蘇りました。そして、このギリシャ・ローマ的な政治的宗教のルネサンスにおける復活は、ギリシャ・ローマ風の文学、美術、建築などの復興よりも、はるかに強い影響力をもち続けています。近代西欧ナショナリズムは、ギリシャ・ローマの政治理念や制度によって感化されつつも、キリスト教の活動性と狂信性とを受け継いできています。それが、アメリカ独立戦争とフランス革命において実践に移されたとき、ナショナリズムは、きわめて高い感染度をもっていることがわかったわけです。今日では、この狂信的ナショナリズムが、人類全体のおそらく九割の人々がもつ宗教のうち、おそらく九割を占めるものとなっています。
 また、十七世紀の思想から生じた空白を埋めることになった、第二の宗教である共産主義は、文明そのものと同じくらい古くから存在していた社会的不公正に対する、一つの反動です。キリスト教にせよ他の共産主義以前の宗教にせよ、理論上では、みな社会的不公正を指弾してきました。しかし、この点に関しては、いずれの宗教の理論もいまだ実践に移されたことがありません。共産主義が、この点で既存のあらゆる宗教を批判したのは、たしかに当を得ています。しかし、その共産主義は、社会的不公正の撲滅に注意と努力を集中するあまり、キリスト教のならわしであった不寛容性と、ユダヤ系の全宗教に特有な排他性とに陥ってしまいました。
 事実、共産主義はキリスト教から派生した一つの異端宗教であり、従来の異端宗教と同じく、キリスト教の体制者が無視してきた、特定のキリスト教戒を強調しています。すなわち、共産主義における神話は、ユダヤ教やキリスト教の神話が、無神論的な言葉に訳し変えられたものです。たとえば、「唯一全能の神ヤーウェ」は「歴史的必然」へと訳し変えられ、「選ばれた民」は歴史的必然によって勝利を運命づけられた「プロレタリアート」へ、また「一千年王国」は最終的な「国家の消滅」へと訳し変えられているのです。共産主義はまた、全人類を改宗させる使命があるという信念をも、キリスト教から受け継いでいます。ただし、キリスト教と共産主義だけが、このような伝道的性格の宗教というわけではないことはいうまでもありません。イスラム教、仏教、それに科学的進歩への信仰も、同じような使命感に立つ伝道的宗教です。
 池田 私は、古い宗教、つまリキリスト教、イスラム教、仏教に比べて、新しい宗教、つまり科学の進歩への信仰、ナショナリズム、共産主義がもっている一つの共通事項があると思います。それは、古い宗教がいずれも人間の欲望を規制し、自己を抑制することを基調としていたのに対して、新しい宗教は欲望を解放し、充足する手段として生まれた、あるいは用いられてきた性格があるということです。私は、この基本的な性格のなかに、これらの新しい宗教が直面している問題の本質があると思うのです。
 トインビー そのご指摘は正しいと思います。したがって、私は新しい種類の宗教が必要だと感ずるのです。近代西欧に起源をもつ現代文明の世界的普及によって、人類はいま、歴史上初めて社会的に一体化されています。そして、現在の宗教がいずれも満足のいくものでないことがわかったため、人類の未来の宗教はいったい何なのかという疑問が生じているのです。
 この未来の宗教は、しかし、必ずしもまったく新しい宗教である必要はありません。それは古い宗教の一つが、新しく変形したものである場合も考えられます。ただし、そうした古い宗教の一つが、人類の新たな要求に応える形で復興したとしても、それはおそらく、すでにほとんど見分けがつかないほど抜本的に変形したものになっているものと思われます。その理由は、現代における人間生活の諸条件が、すでに抜本的に変わってきているからです。
 新しい文明を生み出し、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならないでしょう。これら諸悪のうち最も恐るべきものは、人類の歴史のなかで最も古くからあるものです。すなわち、生命そのものと同じくらい歴史の古い貪欲であり、文明と同じくらい歴史の古い戦争と社会的不公正です。そしてまた、これらとほとんど変わらないほど恐ろしい新たな悪は、人間が己の欲望を満足させるために、科学を技術に応用してつくり出した、人為的環境です。
 池田 まったく、その通りだと思います。新しい文明を生み、それを支えていくべき宗教が対決しなければならない諸悪を、生命につきまとう貪欲と、文明につきまとう戦争および社会的差別、そして人為的環境に分類されたのも、私が考えている点と一致します。
 貪欲は人間の自己の内面にあるものであり、戦争や社会的差別は人間対人間、つまり社会の次元にあるものであり、環境破壊は人間対自然の関係に生じる問題です。この自己――社会――環境という三つの範疇について、仏法では″三世間″として説き明かしています。
 人間の自己との関係において生ずる多様性を″五陰世間″といい、人間と他の人間あるいは社会との関係におけるそれを″衆生世間″、そして人間と自然的環境との関係におけるそれを″国土世間″といっております。ここで″世間″とは差別、多様性という意味ですが、これら三つの″世間″が生命存在にとって不可欠の要素だというのです。しかも、それらのいずれにおける事象も、すべて他の二つに関連してくるわけです。結局、私は、この二つの関係を正常なものとすることに、最大の努力を注がなければならないと信ずるのです。そして、そのためには、人間一人一人が、自己の生命の内奥からの変革をめざさなければならないでしょう。これを可能にする宗教こそ、未来に望まれる真の宗教たりうると思います。

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