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日蓮大聖人・池田大作

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5 二極時代から多極時代ヘ  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 アメリカとソ連の関係は、最近かなり改善されてきていますが、しかし、米ソ両国における軍備、とりわけ核兵器の開発は、明らかにそれぞれを仮想敵国としたものであり、基本的な対立は依然続いているとみなければならないでしよう。
 こうした二大陣営の対立は、いわゆる発展途上国に対する武器援助競争などにみられるように、依然として国際情勢を大きく左右しており、世界平和に与える脅威は少なくありません。このアメリカとソ連の対立は、これまでいわゆる資本主義と共産主義のイデオロギーをめぐる対立としてとらえられてきましたが、この点について、博士はどのようにお考えになりますか。
 トインビー 資本主義と共産主義の対立といっても、それは私のみるところでは、ほとんどが見せかけにすぎず、ずっと古くから繰り返されてきた類の、競い合う国家間の国益と野心をめぐる抗争を覆い隠す、一種の仮面なのです。
 この種の抗争にあっては、双方の好戦派が、恐怖と敵意をかきたてるイデオロギー上の形容辞をもって敵対国家に極印を押し、それによって自国民の熱狂を煽ろうとするものです。旧世界の西端部には、こうした宣伝工作の先例がいくつもあります。キリスト教徒対イスラム教徒、イスラム教のスンニー派対シーア派、キリスト教でもプロテスタント対カトリックなどの間で争われた、いわゆる宗教戦争も、じつは競い合う国家間の敵対が、仮面をつけたものにほかなりませんでした。
 いわゆるイデオロギー上の対立、宗教上の対立がいかにうわべだけの、偽りのものであるかの証左は、一枚岩と称される両陣営のそれぞれの内部にも、両陣営間のそれと負けず劣らずの抗争がみられることからも明らかです。また、両陣営の間でさえ境界線を越えた協力関係が現れていることからも明らかです。今日、共産主義陣営では、ソ連と中国の対立が、現代世界でも比類がないくらい、最も深刻な対立の一つとなっています。資本主義陣営内では、フランスがアメリカの支配権に挑戦しています。インドとパキスタンはともに資本主義陣営内にありながら、両国の対立の激しさは、中ソ対立のそれと変わらないほどで、すでに戦争にまで発展しました。
 かつての旧世界西端部における宗教的分裂にあっては、シーア派イスラム教国のイランは、キリスト教のベネチアやハプスブルク王国と同盟を結んで、スンニー派イスラム教国のトルコに対抗しました。また旧教国フランスは、ハプスブルク王国に対抗すべく、イスラム教国のトルコ、ならびに新教を奉ずるドイツ諸国やスウェーデンと同盟を結びました。さらに新教徒のハンガリー人は、旧教国ハプスブルクから自分たちを解放してくれる者として、イスラム教国のトルコ人を歓迎しました。
 結論的にいえば、第二次大戦で共同の勝利を収めた後のアメリカとソ連の対立というものは、たとえ両国が同じイデオロギーに立っていたとしても、いずれ起こってきた問題だったろうと思うのです。つまり、米ソ両国は大戦後の世界に残った二大国でしたから、ほとんど自動的に、世界制覇をめざす競争へと押し流されていったのです。
 ご指摘の通り、米ソ間の対立とそれにともなう相互敵視が、世界平和への計り知れない脅威であることはもちろんです。この対抗的な二大国は、いまやともに未曾有の破壊力をもつ兵器を備えており、そのため両国の対立は、かつてない重大な脅威となっています。アメリカもソ連も、直接戦争に入れば互いに絶滅してしまい、どちらも勝利を得られないことを知ったため、この認識が、これまで両国の直接戦争を抑止してきたわけです。しかし、中東や東南アジアで米ソが代理戦争を続けるかぎり、両国は双方の意思にそぐわぬままに、いつなんどき直接の対決に入らないともかぎりません。
 これと同じように危険であり、しかもきわめて非道義的なのが、米ソそれぞれに与する衛星国間の軍備競争です。この軍備競争は、必ずしも、いま実際に代理戦争のさなかにある衛星国に限られるものではありません。そしてこれは、軍事・経済両面にわたった悪影響をもたらしています。たとえばインドとパキスタンは、ともに貧困に悩む国柄であり、元来その余裕がないにもかかわらず、武器買いつけに支出をするか、あるいは少なくとも負債を背負いこんでいます。これらの武器が使用されるとすれば、それは印パ両国が互いに相手国に向けて使うときであって、武器を供給した大国の、政策拡大のために使用されるということはないでしょう。
 池田 たしかに、現実にはまだ米ソ間の直接衝突という事態は起きておりません。むしろ、両陣営内における両国の主導権は弱まっており、その結果、多極化現象も起きています。中ソ対立やチェコ事件などは、そのあらわれといってよいでしょう。一面では、これらが米ソ両大国の激突を防ぐ緩衝の役割を果たしているわけです。
 しかし考えてみれば、多極化にともなう摩擦や対立抗争も、根本的にはそれぞれの国家的エゴイズムや偏狭なナショナリズムに原因があるとはいえ、やはり二大陣営の対立を背景として起こっているのであり、私は、何といってもその対立が解消されなければならないと考えます。
 トインビー アメリカとソ連が互いに行き詰まりをきたしたため、それぞれの衛星国に対する拘束力は弱まり、このため国際的に多極化が促進されました。フランスはすでにアメリカに反抗していますし、イスラエルはたくみにアメリカをそそのかしています。チェコのソ連への抵抗は失敗に終わりましたが、ルーマニアはソ連に反抗して、中国に親密度を深めています。しかし、こうした衛星諸国の反抗も、中国の地位の変化に比べれば、まだ小さな出来事にすぎません。中国共産党が中国全土を支配するようになったころ、中国はまだソ連の一衛星国にすぎませんでした。しかし、いまや中国はソ連の支配力を振りはらったばかりでなく、自らを第三の大国という地位に押し上げ、米ソ両国ともにそれを認めています。これは、戦後の国際関係の構造における革命的な変化です。米ソ間の行き詰まりは、三大国のうちの二国が結束して、他の一国に圧力を加えうるという、新たな可能性によって打開されたのです。
 さらに、日本と西ドイツも、経済面で再び大国となっています。大国間の戦争が自殺行為となる原子力時代にあっては、政治力のカギとなるものは軍事力でなく、経済力です。中国の経済力はまだ十分開発されていませんが、それでも必ず開発されるという確実性が、この国をすでに政治的大国にしています。
 経済面から力を測るならば、現在、二大国に代わって、アメリカ、ソ連、中国、日本、西ドイツの五大国が存在しています。こうして国際関係の構造は、一九一四年の第一次大戦勃発当時、八大国を数えたころの様相とますます似通ってきました。多極化は、対時の仕方としては、たぶん二極構造ほど危険ではないでしょうが、だからといって放っておいてはやはり危険です。
 池田 私の率直な意見を申しますと、世界がいくつにも分裂して対立してきた原因の一つは、同じ地球民族でありながら、あまりにも相互理解が足りなかったことにあると思います。卑近な例をあげれば、隣人同士でありながら互いに交際がなく、相手がどんな考えでいるのかを知らなければ、思わぬ誤解を招くことがあります。しかも、一つの誤解は次の誤解を呼びます。こうして相手に対する誤った認識が固定観念になってしまうと、相互の対立を解消することは容易でなくなうてしまいます。
 したがって、たいへん平凡な結論かもしれませんが、世界の人々がお互いをよく知り合うことが、平和への第一条件だと思うのです。それが実現されれば、アメリカ人もソ連人も、互いに自分たちと何ら変わらない、同じ人間同士なのだという認識を深めていくに違いありません。その共通の感情が底流に満ちみちたとき、政治の世界の対立は、何ともバカげたものに思えることでしょう。
 たとえば、米中両国は、第二次大戦以後、四半世紀にわたって対立していたわけですが、その間に故エドガー・スノー氏をはじめとする米人ジャーナリストの活躍もあって、中国の実情が世界に広く紹介されていました。アメリカにおける学者の中国研究も、中国に対して関係の深い隣国であった日本より、はるかに進んでいたといわれています。このように、大国間の政治的対立を解消するためには、民間人同士が大いに交流し、互いに相手国の実情や文化を理解し合うところから始まると思うのです。もちろん、互いに人間である以上、接触や交流の深まりが、必ずしも好意の高まりにつながらないという場合もあるでしょう。しかし、相互理解のうえでの争いは、無用の恐怖や猜疑心にまで発展することはありません。相互の理解がなければ、とどまるところを知らぬ憎悪や恐怖にまで進み、ついには破滅を招いてしまいます。私は、相互理解を不動の基盤として確立することこそ、平和を支える第一条件だと信じています。
 現代は、交通・通信手段が発達した結果、地球はますます狭くなってきており、したがって相互理解への道は、決して困難ではありません。仮に政府間の接近が早急にできなくとも、民間人同士の交流は、それ以上の効果をもたらすでしょう。
 ここで、博上のお考えを伺いたいと思いますが、二大陣営の対立の解消は、はたして実現されるでしょうか。実現されるとすれば、どういう根拠からそういえるでしょうか。またどういう形で実現されるでしょうか。
 トインビー それについては、希望のもてる根拠が二つあります。
 一つには、現代の技術がもたらした距離の消滅によって、商用、観光ともに旅行者の数が増大し、また旅行をしなくとも、ラジオやテレビを通じて得られる外国関係の情報量が増大してきていることです。第二には、われわれはすべて単一の人類家族の一員であり、そのため共通の利害、共通の問題をもっているのだ、という認識が深まってきていることです。
 たとえば、宇宙開発は、一面では米ソの対立抗争の一つのあらわれですが、同時に、ロシア人もアメリカ人も、それ以外の諸国民も、これが人類共通の事業であることを感じています。アメリカ政府もソ連政府も、成功には互いに祝福し合い、失敗すれば慰め合っています。
 商用旅行、観光旅行、ラジオ、テレビなどの効果が蓄積されれば、誤解や偏見、猜疑心の克服に大いに貢献できましょう。一九四六年のパリ平和会議で、西側同盟諸国が、旅行者に限らず学生や内科医、外科医、官吏など、男女の専門家を大規模に交流しようとソ連に提案したのは、そのことを念頭においたものでした。しかし、スターリンはこれを断りました。スターリンのこの拒否は、彼がかつての友邦諸国との関係を非友好的にしようとたくらんでいる証拠だ、という観測がなされたものですが、この見方は的を射ていました。スターリンは死んでも″鉄のカーテン″は残ったわけですが、しかし、今日すでに二極体制に代わって多極化が国際政局に登場してきたからには、たぶんソ連にしても、他の二大国にしても、もはや孤立主義をとることはできないと感じることでしょう。これらの大国はそれぞれ、かつてビスマルクがいった″敵国同士の協力を恐れる悪夢″にうなされて、他の大国の好意を得るべく競い合うことでしょう。
 諸国間の接触や交流の増大が、必ずしもお互いの善意の深まりにつながるとはかぎりません。しかし、全体的にいえば、私は、世界的規模で通信・交通手段が向上したことと、世界的な社会的諸問題の悪化とが相まって、人類がいずれ単一の家族であることを自覚し、またそのように振る舞っていくものと期待しています。

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