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日蓮大聖人・池田大作

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2 東アジアの役割  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 中国に共産政権が成立して以来、アジア、とくに東アジアの民衆にとって最大の脅威は、アメリカとこの中国との対立でした。朝鮮戦争にしても、インドシナにおける戦乱にしても、一応は、それぞれの民族における解放戦争という名目から起こりながらも、それが急速にエスカレートして、米中の対決、もしくはその恐れにまで発展したことは周知の通りです。
 一九七二年を転機に中国の国連復帰が成り、米中の関係は大きく改善されましたが、それは、これで完全に和解し、友好関係に入ったということではなく、これまでまったく公式に話し合ったり対決したことがなかった両国が、初めて公式の場とルートをもったということだと思います。
 つまり、朝鮮戦争の場合も、インドシナ戦争の場合も、中国はあくまで背後にあって、それぞれの北側の勢力を支援する姿勢を貫き、表面に出ることをしませんでした。国際会議においても、あまり表には出ませんでした。むしろ、出るべき場をもたなかったといってよいでしょう。
 米中和解の直接的動機として考えられることは、アメリカですら、国際政治における中国の影響力をもはや無視できなくなってきたことだと思います。アメリカが中国の力を認めざるをえなくなった背景としては、いうまでもなくベトナム戦争の失敗が大きく影響しているのでしょう。また米軍がアジアから地上兵力を撤退するにさいしては、どうしても中国との直接交渉が必要です。今後、アメリカは、アジア地域における安定を維持するためにも、中国との話し合いを積み重ねていく必要があるわけです。
 したがって、米中の和解といっても、それは現在の米ソ関係に似たものになるのではないかと思われるのです。むしろ、それは膨大な核兵器の保有を前提とする力の均衡のうえに立った″平和″の域を出ず、米中の谷間にはさまれたアジア諸国の不安は、基本的には解消されないのではないかと思われます。
 トインビー 米ソ間の緊張緩和は、これまでのところ表面的なものにすぎません。米中間の緩和が、これに比べてより実質的なものになるとしても、平和への見通しはまだ不確かでしょう。ただし、戦後国際関係の構造における二極体制から多極体制への変化によって、三つの超大国は、かつてないほど積極的に友好的・建設的な相互関係の確立を求めざるをえなくなるはずです。なぜなら、今後、三つの超大国は、いずれも他の二超大国間で結ばれる同盟関係と対決する危険を回避しようと懸命になるはずだからです。
 池田 なるほど。世界的には、そのような見通しが成り立つと思います。いま米中あるいは米ソの間にはさまれたアジア諸国に限っていえば、私は、アジア諸国が自主的に中道主義の立場に立って、緩衝地帯を形成することが必要ではないかと考えています。それには、何といっても政治的自立に欠かすことのできない経済力をもった日本が、先駆を切るベきでしょう。そして、やがては他のアジア諸国がそれぞれに自立性を確立していくよう、リードしていく責任があると思うのです。
 日中関係についていえば、両国間には千年余の長きにわたって、文化的・社会的交流がありました。その間、敵対関係に陥ったのは、わずかに日清戦争から日中戦争に至る期間だけです。歴史的にみても、日本ほど独立国として中国と深く交流した国は、他に例がありません。日本が中国をどうみるかによって、世界の中国に対する見方もかなり影響されてくるといえましょう。アジアは当然のこと、世界の諸国が中国と協調していくためにも、日本がリーダーシップをとっていくべきだと思いますし、この点で日本の果たすべき役割は小さくないと思います。
 そのようにして、日中を中心とするアジアの団結が実現していくならば、当然、世界政治に大きな影響を与えていくことになるでしょう。中ソ関係については、現在のところは好転の兆しがみえませんが、日中接近への牽制として、ソ連が日本への接近を図ろうとすることは、十分うかがえます。いずれにしても、日中を中心とするアジアの団結は、結論的には世界平和に大きく貢献するはずだというのが、日本の一般的な見方です。
 トインビー 日本は今日たしかに世界の経済大国の一つなのですから、三つの核超大国間の関係改善を図ろうとするその外交上の企てにも、きっと重要な役割が課せられていくことでしょう。
 ニクソン大統領の中国政策転換は全世界にとって良いニュースであり、それだけに日本にとってはとりわけ良いニュースであったわけですが、ただ、このためアメリカは一時的にせよ、日本を気まずい立場におくことになりました。アメリカは日本に対して、過去二十二年間、自国の対中国敵視政策を支持するよう強要し、そのため日本は中国の怒りを買うという代価を払わねばなりませんでした。にもかかわらず、その反中国的姿勢の不評を日本に負わせたまま、今度はいきなり日本を出し抜いて、センセーショナルな対中和解への動きを示したわけです。
 とはいえ、日本がかつてこのように、方向転換以前のアメリカの対中政策に追随してきたことも、日中関係改善にとってさほど深刻な障害となるものではありませんでした。なぜなら、中国のほうも、日本がアメリカの対中国敵視政策に追随してきたのは、必ずしも自らの意思にそうものでなかったことを、十分承知していたに違いないからです。さらに、日本国民が、一九四五年の敗戦以来、日中平等の立場に立つ自主的連帯にこそ日本の将来があると信じていたことも、中国はすでに十分認識していたはずだからです。
 こうした点を考え合わせるにつけ、私も、日本と中国の歴史的な文化・社会面の絆こそ、最も重要であると確信します。″中国版″の仏教導入を通じて、日本民族の自発的な″中国化″が始まったのは、西暦六世紀のことですが、これはイギリス国民が″ローマ版″のキリスト教導入を通じて自主的な文明開化を図ったよりも、ほぼ一世紀ほど前のことでした。中国文明が日本の歴史上果たした役割には、計り知れないものがあります。日本民族は、たしかに中国文明を独自なものへと変容させるのに成功しましたが、だからといって、中国文明がそこに果たした役割の重さは、いささかも減ずるものではありません。奈良や京都を訪れる西洋人は、十四世紀にわたる日中間の文化的相互作用というものを、深く印象づけられます。また、ライシャワー氏英訳による九世紀の日本の僧・円仁の日記風中国巡礼記(編注・『入唐求法巡礼行記』)を読む西洋人も、そのことを強く感じます。
 日本はすでに米ソ両国と友好関係にあり、またこれまで日中間の友好関係を阻んできたアメリカの障害も取り除かれ、日中和解が成立しました。しかも、長期にわたる文化交流のおかげで、日中関係は今後、米中関係、中ソ関係などよりも親密なものになることが予想されます。こうした事実から、日本はこれからの外交面で、三つの核超大国の間にあって、ビスマルクの言葉を借りれば″公平な仲介人″として活動できる、独自の立場に立つことでしょう。日本がその現行憲法で交戦権を放棄していること、そして核保有国でないという事実は、この役割を果たす日本の能力をさらに高めることでしょう。
 こうして、国際社会における日本の次の役割は″公平な仲介人″たることになるでしょうが、しかし、私は、たとえこの仲介者的な仕事がいかに重要そうにみえようとも、やはり日本の最終的な役割が、そうした働きだけに限られないことを期待しています。私は次のように信じています。すなわち、日本は最終的には、中国、ベトナム、朝鮮と一致協力して、将来それを中心とする全世界の統一がなされるべき、一つの軸を形成することでしょう。
 池田 私も、日本にとって最も大事なことは、何をもってアジアに貢献しうるかであり、アジアは何をもって人類の文明の発展、平和の建設に、積極的な貢献ができるかということであると思っています。アジア地域は、現実には、率直にいって世界の発展途上地域であり、その広範な部分は飢餓の恐怖によって覆われています。工業用原材料の供給という面からいっても、世界には他により有利な供給源がありますし、また科学技術の発達により欧米諸国や日本で代替品の開発が進められているため、アジア諸国の立場は相対的に恵まれているとはいえません。アジア独自の工業化が本格化するのは、まだ先のことといわざるをえないでしょう。
 また、学問や文化の面でも、欧米諸国に比べてはるかに立ち遅れています。ただ、私が東アジア諸民族の底流にあるものとして着目しているのは、仏教思想の存在です。キリスト教よりはるかに古い仏教思想の影響は、今日はっきりと目に映る部分は少なくなってきていますが、東アジア人の精神を潤し、耕して、その歴史を平和の二字に包んできたことは、確かだと思います。また、仏教思想を根底として育まれてきた東アジアの文化は、自然と人間との見事な調和のなかに、人々の心の内面にしっとりとした落ち着きを感じさせながら、一面では″生″ヘの強いバネとなるものをもっています。こうした点からみると、東アジア人が人類の文明と平和に貢献できる道は、哲学、宗教の分野であり、なかんずく仏教思想であろうと思うのです。
 トインビー 平和の確立と人類文明の進展に主要な、積極的な貢献をなすのは、東アジアであろうと期待します。世界の諸問題の安定化こそ世界的破局に代わる唯一の道ですが、私は、他のアジア地域、すなわちインド・パキスタン亜大陸と中東地域は、こうした安定化にさほど積極的役割を演じそうにないと思います。
 中東には膨大な原油の埋蔵量がありますが、インドも、パキスタンも中東も、経済的に立ち遅れています。しかもこれらの地域は、政治的にも混乱しています。ヒンズー教徒とイスラム教徒、アラブ人とイスラエル人、パキスタンとバングラデシュ、アラブ圏の政治的保守派と急進派――等々の対立は、北アイルランドでの旧教徒・新教徒間の紛争と同性質のものを、さらに大規模にしたものです。このため、西アジアの諸国民は、おそらく人類の諸問題解決への助けとはならないでしょう。彼らはむしろ、他国民の助力を得て解決しなければならない、独自の地域的問題を抱えているのです。
 これに対して、東アジアの状況はどうでしょうか。中国は、いまのところ経済・軍事両面では超大国ではありませんし、それらの面で米ソと対等になろうとしても、それに成功する見通しはずっと先のことです。しかしなお、米ソ両超大国、日本、その他多くの国々が、今日すでに中国を世界の一大勢力とみなしていることを、その行動において示しています。ソ連は対中関係の危惧から、西側に対して一段と和解的な態度をとっています。ニクソン大統領も、北京訪問によって、中国を重視しているところをみせました。これらは、いずれも今日の中国の威信をはっきりと示すものです。この威信は、中国が現在もち、また将来もつようになると予想される物質的な力とは、まったく不釣り合いなほどです。ではこれは、いったいどう説明すべきでしょう。
 アヘン戦争から中国共産党の大陸制覇に至るまで、世界の各国は中国を軽蔑をもって扱い、何の気のとがめも感じずにいじめぬいてきました。いまでも中国は、物質面からいえば、西欧諸国、ソ連、日本などに比べて、中国史のあの屈辱的な一世紀間よりも、さほど力を強めたとはいえません。にもかかわらず、中国の重みに対する評価が今日のように高まったのは、その現代史における比較的短期間の業績によるのでは必ずしもないようです。むしろ、それに先立つ二千年間の功績と、中国民族が常に保ってきた美点とに対する認識によるようです。この中国民族がもつ美点は、あの屈辱の一世紀間にも発揮され続けましたし、とりわけ現代では、国外に移住した華僑たちの、世界各地における個人的活動に示されています。
 東アジアは、数多くの歴史的遺産をもっています。それらはすべて、東アジアを全世界統合への地理的・文化的な機軸にさせうるものです。これらの遺産とは、私のみるところ、次のようなものです。第一に、文字通り全世界的な世界国家への地域的モデルとなる帝国を、過去二十一世紀間にわたって維持してきた中国民族の経験です。第二には、この長い中国史の流れのなかで中国民族が身につけてきた世界精神です。第三に、儒教的世界観にみられるヒューマニズムです。第四には、儒教と仏教がもつ合理主義があげられます。
 第五には、東アジアの人々が、宇宙の神秘性に対する感受性をもっており、人間が宇宙を支配しようとすれば自己挫折を招く、という認識をもっていることです。私には、これは道教がもたらした最も貴重な直観であると思われます。第六に、これは仏教と神道とが、すでに今日では絶滅したはずの法家を除く、中国哲学の全流派と分かちもっているものですが、人間の目的は、人間以外の自然を支配しようとするような大それたことでなく、人間以外の自然と調和を保って生きることでなければならない、という信条があることです。
 第七に、東アジアの諸国民は、これまで西洋人が得意としてきた、軍事・非軍事の両面で科学を技術に応用するという近代の競技においても西欧諸国民を打ち負かしうるということが、日本人によって立証されたことです。第八には、日本人とベトナム人によって示された、西洋にあえて挑戦する勇気です。この勇気は今後とも持続されるものでしょうが、人類史の次の段階においては、人類の当面する諸問題の平和的解決という建設的な企てに捧げられることを、私は期待します。
 現代世界は、中国人がどんな職業にもきわめて有能であること、また高い水準の家庭生活を営むことを、体験的に知りました。中国人は自国が弱体であったときも、また事実上混乱状態にあったときも、常にこの美点を発揮し続けてきました。もっとも、中国も、常に混乱状態にあったわけではありません。一九一一年から一九四九年に至る動乱期以前にも、すでに幾度かの混乱期があったことは事実です。しかし、紀元前二二一年の最初の政治統一以来、政治的にはおおむね統一が保たれ、効果的に統治されてきたのでした。
 紀元前二二一年以前の中国政治史は、旧世界の西端部における政治史と似ています。中国も数多くの戦闘的な地方国家群に分裂していたのです。しかし、紀元前二二一年以降というものは、ごくまれに、しかも短期的に政治的分裂や無政府状態に逆戻りするだけですんでいます。全体としてみれば、帝政中国の歴史は一つの政治上の成功謂だったのです。しかも、それは今日なお″人民共和国″という形で存続しています。これは、西洋に恒久的な政治統一と平和をもたらそうとして果たしえなかったローマ帝国の歴史とは、劇的な対照をなしています。
 ローマ帝国の崩壊後、西欧世界は、ひとたび失った政治統一を、三度と取り一戻すことができませんでした。なるほど西欧世界は、人間活動のあらゆる分野で巨大なエネルギーを開発し、過去五百年間に、経済面や技術面で、またある程度は文化面でも、世界の全域を統合してきました。しかし、ローマ帝国解体後の西洋は、自らも、また世界の他の地域においても政治統合を果たしていません。むしろ政治面で西洋が与えた影響は、世界を分裂させるものでした。西洋がその境界線を越えて普及させた政治体制は、民族主権国家体制です。ローマ帝国解体後の西洋の政治的伝統は、民族主義的なものであり、世界主義的なものではありません。この点からみて、西洋は今後とも全世界の政治統合を果たせそうにないのです。もっとも今日、政治面での世界的統合が要請されているのも、もとはといえば、西欧諸国民が世界中に勢力を伸張した結果、政治面以外での世界的統合が確立されたためであることは事実です。
 未来において世界を統合するのは、西欧の国でも西欧化された国でもなく、おそらく中国であろうと考えられます。そしてまた、このような未来の政治的役割を担いうる兆しがあればこそ、そこに中国が今日驚くほど世界の信望を集めているゆえんがあるとも考えられるのです。中国の統一政府は、今日までおよそ二千二百年間、ほんの時折の空白期を除けば、あとはずっと数億の民を政治的に統合してきました。しかも、統一中国は、その政治的宗主権を被保護国群に認められ、文化的影響力もはるか遠隔地域にまで及ぼすという、いわゆる″中華王国″でした。事実、中国は紀元前三二一年以来、ほぼあらゆる時代にわたって、世界の半分における引力圏の中心になってきました。最近の五百年間というもの、全世界は政治面を除くあらゆる分野で、西洋の企てによって結合されました。おそらく中国こそ、世界の半分はおろか世界全体に、政治統合と平和をもたらす運命を担っているといえましょう。
 池田 中国の歴史をみても、日本の徳川時代をみても、いわゆる政治的に成功した状況というものは、平和をもたらしたという意味で、たしかに称えられるべきでしょう。しかし、その反面、個人の創造性や自由はかなり強く規制され、閉鎖的・固定的な傾向が目立ちます。
 中国や日本が、ヨーロッパからの衝撃によって平和のまどろみを打ち破られたのは、そうした個人の創造性の抑圧が社会・文化の停滞を招き、自由競争の方法で著しい進歩を示したヨーロッパに比べて、立ち遅れてしまったからだとも考えられます。
 いま人類が直面している最大の課題は、そうした進歩よりも安定と平和ですから、その時点においてはたしかに中国式の統一が意味をもつかもしれません。しかし、それによって個人が社会のなかで固定化され、自由な才能の発揮が抑制されるようになった場合、はたしてその体制が永続しうるかどうかは、大きな疑問としなければならないでしょう。それには、政治的な安定や平和と同時に、個人の能力の自由な発現、創造性の発揮ということをどう両立させていくか、またこれらを両立させうる体制はいかにあるべきか、という点を考えていかなければならないでしょう。これについては、博士と私の意見の食い違っているところであり、私が考えているEC方式の、いわゆる平等の立場で連合していく形が、この両方の要求を満たしていけるのではないかと思っています。
 それはともかくとして、一般には、世界は米中ソ三国による三極構造から成るとされていますが、中国自身は米ソのような″超大国″にはならないと言明しています。しかし、その伝統的、文化的な影響力は、計り知れないものがあります。中国にはまた、従来の西欧諸国のような国家観、世界観、文化観とはまったく違うものがあります。今後さらに、中国が国際社会の檜舞台に立つようになると、とくにアジア・アフリカ諸国に対しては、かなりの波動を起こすに違いありません。とくに私が注目したいのは、核兵器の廃棄の問題です。中国が国連に占めた席を活用して、軍縮委員会等で積極的な呼びかけを行い、核兵器の廃棄を自らに課すと同時に、米ソ両大国に廃棄を迫ることができるかどうか、また世界の恒久平和に意欲を示すかどうか、私は期待し、注視していきたいと思います。

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