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日蓮大聖人・池田大作

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1 新たな国際通貨を求めて  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 国際通貨問題について考えてみたいと思います。最近、ドル危機が、世界経済のきわめて重要な問題として顕在化してきています。その原因は、ベトナム戦争の膨大な戦費、世界経済におけるアメリカの地位の低下など、いくつか考えられるとしても、それらによって世界の経済秩序そのものが混乱に陥ったということは、まことに憂慮すべき問題です。この結果、日本円の場合も、二度にわたって平価の切り上げを余儀なくされました。
 現行の国際通貨体制は、一九三〇年代の経済・通貨の混乱を再び繰り返さぬよう考慮されたものだといいますが、実際には、アメリカの戦後世界通貨政策の産物であるといわれています。なるほど第二次大戦後のアメリカは、他国の追随を許さぬ経済大国でしたし、いまでもそうであることは間違いありません。しかし、世界の通貨が基軸通貨である米ドルによって支えられ、その大きな影響下にある以上、ドルの力が弱まれば、世界的な通貨体制そのものにまで混乱が及ぶことは、いうまでもありません。このように、一国の国家経済の動向が世界経済全体を左右するという状態は、決して好ましいことではありません。
 さらに、経済価値の基準である通貨供給量自体が極端に変動したのでは、安定した経済活動はとても望めるものではありません。しかも、こうした問題は決して一時的なものではなく、現行の国際通貨体制が常に抱えている問題であり、一時的には解決したかにみえても、今後絶えず起きてくる問題でしょう。そこで、真の意味での通貨危機の克服のためには、私は、国際通貨そのものに抜本的な改革を加える以外にないと思うのですが、いかがでしょうか。
 トインビー 世界の諸国民は、今日、経済面ではきわめて緊密に結び合っています。このため、各国とも、世界的規模での積極的かつ多額の国際貿易、国際投資なしにはやっていけません。国によっては、たとえば日本、イギリス、西ドイツなどでは、外国貿易に頼って人々の生活が成り立っています。しかし、そこに世界共通の価値基準というものがなければ、これら諸国間の貿易も、投資も、ありえません。諸国民はこれをもとにして互いに商取り引きの契約を結ぶわけですし、この共通の基準があってこそ、契約履行にともなう収支決算もできるわけです。
 しかも、この世界共通の価値基準とは、あくまで購買力の安定したものでなければなりません。商取り引きにあたる人々にとっては、先行きの安定性の見通しが立たなければ、やっていけないからです。彼らは、現行の共通価値基準に基づいて計算を立て、取り結んだ契約が、規定の取り引きの終了以前に、不意の価値変動で反古になってしまうことのないよう、保障されていなければなりません。
 これまでのところ、いわゆる″世界通貨″というものは、まだ存在しておりません。世界は、依然として、多くの個別的な主権国家によって政治的に分割されており、これら主権国家にあっては、独自の通貨をもつことが、その特権の一つとなっています。その通貨は、それぞれの政府や国民の措置によって、自由に価値の上げ下げができます。
 ところで、通商交易のための手段が、これら各国通貨だけしかなかったとしたら、国際的な商取り引きなど、おそらく成り立たなかったことでしょう。国際通商のためには、何らかの″世界通貨″にあたるものが不可欠です。従来、諸国間の通貨価値の仲立ちとなってきた伝統的な共通基準は、金でした。しかし、この目的に金を利用することには、少なくとも二つの重大な欠陥があります。それはまず第一に、経済上の本質的価値からいって、技術用金属としての金は、きわめて価値が小さいということです。金が珍重されるのは、その有用性のためではなく、稀少性のゆえです。金が高く評価されているのは、あくまで迷信にすぎず、不合理なわけです。第二に、金は稀少であるところから、その国際通貨的な役割を果たすうえでも、需要に応じて供給を増やすというわけにはいきません。たまたま十九世紀に、カリフォルニアとオーストラリアで新たな金鉱が発見されたため、金の供給もいくらか増し、当時の国際貿易、国際投資の量的増大に、多少なりとも歩調を合わすことができましたが、これもほんの幸運な偶然事にすぎませんでした。
2  このため、産業革命以後は、国際的商取り引きのうえで、金を本位としてその価値が真に安定している、いやそればかりか真に安定していると信じられる、何らかの特定国通貨が使用され、それによって金の使用が補われなかったとしたら――事実、大幅に金に取って代わらなかったとしたら――もはや、金だけでは、とても交易手段として十分ではなかったことでしょう。十九世紀には、英ポンドがこの役割を務めました。今日では、米ドルがほぼ完全にこれに取って代わっています。しかし、その米ドルも、いまやポンド同様、世界中を相手にこの役割を果たすには、あまりに力の足りないことをさらけだしています。結局、今日、世界的な共通価値基準というものは、存在していないのです。世界の主要通貨は、現在、ドルを基軸として変動していますが、こうした共通価値基準の欠如が、今日の国際的商取り引きをマヒさせています。
 そこで、新たな″世界通貨″をつくるとした場合、これには金などとは違って、安定した、高度な本質的価値、実用的価値をもつ何ものかを基準としないかぎり、どうしても安定性あるものとはならないでしょう。そうした安定性への信用というものは、どの通貨を用いて通商契約を結ぶにもその必須条件となるものですが、これも生まれてこないことになってしまいます。
 金よりも実用価値の高い物的資産は、たくさんあります。しかしながら、どんな物的資産も人間の活動に利用されないかぎり、何の価値も生じるものではありません。たとえば石油にしても、人類がその採掘法、精製法を発見し、精油を動力源とするエンジンを作るまでは、少しも価値がありませんでした。価値をもたらす究極のものは、結局、人間の生産性です。そして、これには三つの不可欠な要素があります。すなわち、″技術″″作業″″協力″であり、このうち最も大切なものが″協力″です。というのは、何らかの重要性をもつ経済上の企ては、すべて一定数の参加者による共同事業とならざるをえないからです。もしそれに必要とされる参加者同士が、互いに仲違いしてしまえば――たとえば、共同的生産の収益配分をめぐって争うようなことにでもなれば――もはや″作業″は停滞し、″技術″を発揮する場もなくなってしまいます。そのよい実例が、いわゆる先進諸国で最近よくみられる、労働争議による生産サボタージュです。
 つまるところ、人類の経済的生産性こそ、経済上の価値をもたらす唯一の源泉なのではないでしょうか。私にはそう思われます。もしこれが真実なら、世界共通の経済交流手段としては、人類の生産性を基準にすべきでしょう。しかし、この二つをいかにして結びつけるか――。世界共通の交易手段における必要不可欠な条件は、さきほども申し上げたように、その価値が安定していること、そしてその安定性に信用があることです。ただし、生産性こそ真の価値の源泉であるとはいうものの、それにもやはり、金やドル、ポンドに似た弱点があることは否めません。生産性自体、これら従来の共通価値基準と同様、不安定なのです。
 生産性は、国により時代によって異なりますし、人間の気持ちのもちようで、どうにでもなります。今日、テクノロジーやビジネス・マネジメントに応用されている″技術″にしても、世界の″技術少数者″がひとたび経済への関心を失い、哲学や芸術に注意を振り向けてしまえば、″技術″はたちまち不足してしまうでしょう。また、労働者たちが最大限の賃金獲得を重視しなくなり、かわりに仕事は少ないほうがよい、労働時間を短縮して余暇時間を増やしたほうがよいということになれば、″作業″も不足をきたすでしょう。さらに、生産への参加者が互いに″協力″しなくなり、闘争的な関係に立つとすれば、生産性自体が台なしになってしまいます。
 これらの理由のうちいくつかが、あるいは全部が出そろって人類の生産性が低下するとすれば、それを基準とする″世界通貨″の量も、それに比例して減らざるをえなくなるでしょう。このように、私としては唯一真実の価値的源泉と信じつつも、明らかにきわめて不安定な、この人類の生産性を″世界通貨″の基準として据え、しかも同時にこの世界的経済交流手段にその必須条件たる安定性を与えることは、はたして可能なのかどうか――。それは、私には世界の金融専門家に、解決を任すべきことだと思われます。この問題については、私も思うままの意見を述べることはできますが、解決への実際的提案はできません。その方面に必要とされる専門的知識となると、その初歩さえも弁えていないからです。
 池田 これは、まことにむずかしい問題です。仮に世界共通の通貨制度を設けて、通貨だけを単一のものにしても、単一の世界経済体制というものがなければ、それはあまり意味がないでしょう。
 ですから、理想としては、やはり経済体制を、現在の独立主権国家の単位から、複合国家単位へと移行していくことではないでしょうか。それ以外に、経済の規模を拡大しつつ、同時に通貨を安定させる方法は、見当たりません。
 この意味で理想的な動きをしているのが、現在のECでしょう。私は、拡大ECのめざすところは欧州統合であり、究極の目標である政治統合への前提として、まず経済統合を実現したいということだと思います。これが実現すれば、やがてEC通貨体制やEC中央銀行の開設も可能になることでしょう。そうなれば、西欧に関するかぎりは、現行の主要国際通貨である米ドルヘの依存度は、かなり軽減されるはずです。
 こうした、ECのような経済共同体が他の経済圏にも実現されることが望ましいわけですが、それには前途多難なものがあります。たとえば、アジアの、とくに極東地域についていえば、第一に、各国の経済体制が、資本主義あり社会主義ありというように、ばらばらであること、第二に、各国の国民経済の格差が大きく、生活水準にあまりにも開きがあることです。このため、そこでのこの実現の可能性は、現状ではほとんど考えられません。
 このようにみてくると、世界の経済は、まだ当分は、ドルを基軸通貨とする体制に依存せざるをえないでしょう。しかし、政治体制やイデオロギーには違いがあっても、人間の経済的欲求は万人に共通のものであり、経済面での地域的統合、さらに世界的統合への努力は、今後とも不断に続けていかなければならないと思います。

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