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日蓮大聖人・池田大作

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5 民主主義とメリットクラシー  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  池田 いかなる政治体制をとるべきかについては、私はその国の民族性、教育水準、国際的条件、経済的発展段階などとの関係において、その国に最も適した体制をとるのが正しいと思っています。たとえば、共産主義についていえば、国民の大多数が無産化して、少数の資本家による圧迫に苦しんできた国々においては歓迎されるでしょう。しかし、すでに大多数が有産化している国々では、あまり歓迎されないものです。つまり、その国の実情を無視して、一律にどの体制が良いとか悪いとか論じるのは、無意味だといえましょう。
 ただし、いずれにせよ国民の知的水準、教育水準が向上して、経済的にも豊かになることは、例外なく賛同されるはずです。このように、知的にも経済的にも、国民生活が高い水準に達した場合、どのような体制が最も理想的となるか――これは、今後の非常に大きな問題です。まず、現在のところ、民主主義が最も理想に近いとされる点では、だいたい、衆目は一致していると思います。ただしこの体制には、知的水準とか経済的水準とかのものさしでは測れない、道義観というものが絡んでくるため、そこに問題があるわけですが――。
 トインビー 人間はこれまで、技術面にかけては驚くほど豊かな才能を示し、創意も発揮してきましたが、こと政治にかけては逆に、驚くほど能力も創意も示していません。これまでに見いだされた政治体制も、その選択肢となると数は少なく、しかもいざ実施されてみると、すでに実験的段階で、ほとんどが不十分さを暴露しています。私は、民主主義の場合も、次のように控え目な言い方で述べるのが最も妥当ではないかと考えるのです。すなわち、民主主義とは、人間がこれまでに思いついた政体のなかで最小悪のものである、という言い方です。
 ただ、民主主義もいくつかの欠点をもっています。その最もゆゆしい欠点の一つは、議会制民主主義の体制下にあっては、人々が規模や重要性において勝る集団よりも、それらで劣る集団のほうに、主たる忠誠を尽くしやすいということです。すなわち、政党の利益を国家のそれに優先させ、国家の利益を人類全体のそれに優先させてしまうケースが、あまりにも多いのです。
 第二のゆゆしい欠点とは、民主主義は偽りをともなうということです。つまり、政治家には、当然のことながら、所属の政党の路線に従うよう、往々にしてかなりの圧力がかかります。彼らは、たとえその路線が自己の良心に逆らうものであっても、それに従わざるをえません。いやそれどころか、野望のためには自己の良心をいつでも捨て去るといった政治家さえ、現れるわけです。さらに広い立場からいえば、自分では正しいと信じないような政策を、政治上の駆け引きのため、支持するふりをするということがよくあります。イギリスのEC加盟にさいしてイギリス労働党がとった態度は、これにあたります。また西ドイツのキリスト教民主同盟が、東方条約――事実上の戦後の国境を承認した対ポーランド、対ソ連条約――の締結にさいしてとった公式態度も、これにあたります。
 池田 やはり、現代民主主義の決定的な欠陥は、それを支える側の大衆が道義観を確立することのむずかしさから生じたものが、大半を占めているのでしょうね。古代アテネの民主政治が、その繁栄の絶頂期において、すでに内部から腐敗し、衆愚政治に陥ってしまったのも、ここに原因があったのでしょう。今日、アメリカも西欧諸国も、同様の危機を内にはらんでいることが指摘されています。
 トインビー アテネ民主制の黄金時代といえば、開幕後の一世紀間のことでした。この時代、権力はすでにアテネ憲法に基づき、民衆の手にありましたが、しかし彼らは、実際にはまだ貴族階級による指導を、甘んじて受けていました。これはちょうど、アメリカ合衆国史の初期、アメリカ国民が貴族的な″建国の父″たちの指導に身を委ねていたのと同じことです。
 ところが、このアテネ民主制の初期黄金時代においてすら、民衆はすでに二つの誘惑に負けていました。彼らは形勢の逆転を図るべく、まず自国内の富裕少数者に圧倒的な重税を課し、また自主参加とは名ばかりの社会奉仕を、彼らに強要しました。次に、民衆はアテネの海軍力を乱用しました。当時、アテネ海軍は軍艦の漕ぎ手を民衆に依存していましたが、民衆は、この依存関係から生じた権力を握るや、ただちに海軍力を利用して、そのころアテネと公式上同盟関係にあった他のギリシャ諸国を、属国の立場にまで落としてしまったのです。アテネ市民は、その後、その優勢な武力にものをいわせて、これら諸国に圧力をかけ、脅迫したり掠奪をはたらいたりしたのでした。
 アテネの民主政治は、当時のアテネ知識層、たとえば歴史家ツキジデスや哲学者プラトンなどから、政治体制の悪例として非難されています。ただし、彼らの批判も、掛け値なしに聞くわけにはいきません。彼らは富裕少数者に属していましたから、そこに偏見がなかったとは必ずしもいえないのです。とはいっても、彼らが民主制アテネの国内・国外政策に向けた酷評は、いずれも直接の体験に基づくもので、ほとんどがまぎれもない史実に支えられています。
 しかも注目すべきことは、アテネでは民主制が短命に終わっていることです。すなわち、民主政治は二世紀足らずしか続かず、ついで構はな夕配藤かがこれに代わったのですが、このほうは三倍も長く存続し、事実、アテネの都市国家そのものが滅びるまで続いたのでした。そのうえ、この体制は、アテネがローマの宗主権下におかれた後も、少なくとも西暦三世紀まで存続しています。
 この寡頭政体は、それ以前の民主政体が過激だったのに比べて穏健なものでしたが、しかし、これとても社会的不公正さは免れませんでした。この政体のもとで、アテネ市民は少数の不労所得者による、彼ら少数者の利益のための統治を受けました。この少数者とは、農耕者たちから取り立てる小作料に、寄生虫のようにたかって生活していた農村地主たちのことです。かつて帝政中国を二千年以上にわたって支配してきた士大夫階級は、このアテネの、民主政治以後の支配階級に相当するものです。
 池田 そうした事実のうえから、一部には民主主義は過渡的な政体であって、結局は、道義的にも優れた知的エリートの少数支配体制によらなければならないと主張する人々もおります。これに対しては、博士はどうお考えでしょうか。
 トインビー 私の考えでは、利己的少数者も利己的多数者も、いずれもよい政治を実現しそうにありません。政治コントロールの消極的な権限というものが、できるだけ大多数の人々に与えられているような政体がよいのではないでしょうか。すなわち、大多数の人々には、政治運営の積極的権限を与えず、彼らの決定的利害にかかわる問題についてだけ拒否権を行使することによって政治をコントロールするような、消極的権限というものをもたせるのです。
 私は、最もよい行政体はメリットクラシー(能力主義体制)であろうと考えますが、しかし、最も公正にかつ効果的に厳選された人々からなるメリットクラシーも、なお一般大衆からのコントロールを免れるべきでないと思います。なぜなら、いかに有能でいかに公共精神に満ちた人物にも、やはり人間としての弱点があるものですし、しかも権力とはそれ自体、常に腐敗するものだからです。
 私が考え描く、この行政的メリットクラシーは、その人選を一般大衆の選挙に任せるべきものではありません。民主主義体制のもつ最も悪い一面は、直接制民主主義にせよ代表制民主主義にせよ、政治家が自ら真の公益と信ずることよりも、むしろ自分自身の当選や再選を第一義として、そちらに気をとられて行動しがちなことです。民主主義がもつこの弱点は、ジャクソン時代以後のアメリカ大統領制の歴史や、ベリクレス死後のアテネ民主制における司令官制の歴史が、如実に物語っています。
 一般大衆のコントロールを受ける政治機関の人選方法としては、選挙による代表制民主主義のやり方を維持したほうがよいでしょう。しかし、行政体としてのメリットクラシーの人選方法としては、私は、選挙を除外して考えたいのです。この行政体にあっては、一部は互選により、また一部は指名によって人選されることが望ましく、しかもその被指名者たちは、いずれも社会的・文化的には重要でありながら、政治的・経済的には無色であるような団体から、指名された人々であるべきです。
 池田 現在の民主主義体制においても、一般大衆の多くは、政治に対して積極的というよりは消極的に参加しているにすぎません。そして、知的エリートによる少数支配の色彩がますます強まっています。その意味では、メリットクラシーに関するただいまのご意見は、たしかにより現状に即したものであると思います。しかし、それがメリットクラシーという制度として実現したとき、大衆と選良との差別がますます明確化され、断絶をさらに深める結果になることも、危惧されます。
 また、ただいまのご構想には、ほかに若干の疑問点が残ります。たとえば、メリットクラシーの指導者層は「一部は互選により、また一部は指名によって人選されることが望ましい」といわれましたが、この場合、いわゆる指名者の資格は何によって決めるのか、どういう人がその権利をもつのかが問題となるでしょう。さらに、いかなるメリットクラシーも、なお一般大衆からのコントロールを免れるべきでない、とのことでしたが、選挙権をもたない一般大衆がどのような方法でコントロールを行うのかも疑問です。また、国民の決定的利害にかかわる問題については拒否権を行使できるといっても、ある政策がはたして自分たちの決定的利害にどう影響するかは、なかなか判断しがたいことだと思います。一つ一つの政策は決定的利害には何ら関係がないようでも、それが積み重ねられたとき、いつしか重大な脅威となっていることが多いからです。
 博士の考えられるメリットクラシーが、現代の大衆民主主義に代わる制度として登場してくるとしても、それにはこうしたいくつかの問題点が解決されなければならないのではないでしょうか。大衆に高い道義性と広い見識、正確な判断力が要求されるのは、民主主義の場合も、メリットクラシーの場合も、同じではないでしょうか。さらに、こうした諸条件に欠けるならば、どちらの体制も、本質的には成り立たないのではないでしょうか。
 私は、人間の尊厳と平等性という信念のうえからも、やはり、あらゆる人々が平等に参加できる体制を維持すべきであると考えます。むしろ、最も大事なことは、大衆の道義性と知的水準をより向上させて、民主主義体制を担うにふさわしいものにすることだと思うのです。
 トインビー 最も大事なことは、大衆の道義性と知的能力を向上させることだとのご意見には、私も賛成です。それこそまぎれもなく、今日緊急の要請となっている政治の改善を、確実にもたらす唯一の方法でしょう。しかし、時間という要素がそれを許さないのではないでしょうか。現在、加速度を増した技術変革は、同時に社会変革、政治変革の速度をも早めています。このため、大衆が道義的・知的に向上して、政治の危機を救えるだけの水準に達するころには、破局のほうがはるかに先に訪れてしまっているかもしれないのです。
 私が提唱するメリットクラシーとは、それまでの暫定的政体ないしは行政官的機関であり、これを設けることによって時間稼ぎをしてはどうかというものです。これは、かつてのインドにおけるイギリスの官吏制度、また帝政中国の官吏制度に類するものです。これらの制度では、人材は試験によって競い合い、登用されていました。
 ただし、これら官吏制度の歴史をみると、全体としてはほぼ体面を保ち、成功を収めてはいるものの、やはり、次のようなメリットクラシー固有の弱点をさらしていることを、認めざるをえません。すなわち、まずアクトン卿のいった「あらゆる権力は腐敗する。絶対権力は絶対的に腐敗する」という点です。次に、メリットクラシーの指導層は、大衆に最も利すると信じることを誠実に行うでしょうが、しかしなお、大衆から孤立しやすいため、または必要であり続けたいという潜在的な願望のため、実際には大衆の利益を見失ってしまうことがあるかもしれません。一般には大きな成功を収めたと考えられているインドでのイギリス官吏制度にしても、この弱点があったことを、じつは物語っているのです。事実、現代イギリスの官吏制度は、帝政中国の官吏制度を模倣してつくられたものです。この中国の制度は、ローマのそれに比べるとはるかに成功しており、約二千年間にわたって大なり小なり中国の統一と秩序を支えてきたのですが、やはりそこにも限界がありました。ところが、アヘン戦争のさい、中国を侵略したイギリス人の目には、当時この制度がきわめて優れたものとして映り、その後イギリス本国でも採用したらどうかということになったのです。議論百出のすえ、結局、本国でも試験による競争で行政官を任じるという同じような制度が確立され、それが今日広く普及しているわけです。
 私も、三度の世界大戦中、臨時の官職に就きましたので、イギリス官吏制度の機能をこの目で見届ける機会に恵まれました。この種の制度にあっては、官吏はすべて試験の結果職務に就くわけですが、にもかかわらず、彼らは巨大な権力をたくわえた閉鎖的、内部志向的な機関をつくりあげてしまいます。まさにアクトン卿のいったように「権力は腐敗する」のです。インドにいたイギリス人官吏も、十八世紀にはすでにすっかり腐敗していました。しかし、当時はまだインド人大衆との、親しい接触だけは保たれていました。ところが十九世紀に入ると、腐敗は一掃されたものの、今度はそれと同時に、かつてのようなインド人大衆との人間的接触を失ってしまったのです。
 このことは、おそらくかつての朝鮮における日本人官吏にもあてはまることとも思いますが、E・M・フォースターが、こうしたインドのイギリス人官吏のイメージからヒントを得て、興味深い批判を加えています。彼は、その著『インドヘの道』で、あるイギリス人官吏が、仲間から事実上排斥されていく過程を描いています。すなわち、あるイギリス人女性が、一人のインド人を、彼女にわいせつ行為をはたらいたというかどで告訴します。裁判が行われ、事件があったとされる現場に居合わせた、そのイギリス人官吏が、事件の虚偽であることを証言し、その結果、インド人は無罪放免になります。ところが、そこのイギリス人社会では、この正しい証言をした男を決して許しません。なぜなら、彼らの立場からすれば、この官吏は一人のインド人を守るために、イギリス官吏全体を裏切ったことになるからです。
 メリットクラシーのもとでは、こうした閉鎖的な知的職業機関が出現しやすく、そこにメリットクラシーそのものの弱点もあるのです。これはまた、十九世紀インドにおけるイギリス官吏制度の弱点でもあったわけです。
 教育の面からいっても、インドにいたイギリス人が、善意ある孤高さと同時に、権力を握り続けたいという願望をもっていたことがわかります。民衆の道義的・知的レベルの向上を図る手始めとしては、小学校が適切な機関です。しかし、イギリス人は、インドの子供たちを小学校に通わせるということを、ほとんどといってよいくらい、しませんでした。さらに、大学レベルの教育についても、彼らは、インド人には自分たちより下の地位しか得られないよう、それにふさわしい教育だけを与えるように、しむけていたのです。イギリス人が、責任ある地位をインド人に明け渡したのは、やっと第一次大戦以後のことでした。
 つまるところ、メリットクラシーによる政治にもそれなりの弱点があることは、私も認めざるをえません。これは、道義的・知的に洗練されていない選挙民をもつ議会制民主主義に危険があるのと同じことです。残念ながら、人類は、かつて政治面で記録してきた驚くべき悪行の数々を、さらに上回るような悪行を、今後重ねていくことになるのではないかと危惧されます。
 池田 そうならないよう、われわれは努力していかなければなりませんね。
 いま博士が指摘された官吏制度の欠点は、日本においてもいろいろな形で認められます。ご承知のように、日本は早くから中国を手本として国家体制を整えてきましたが、官吏登用のための試験制度が採り入れられたのは明治以後で、それ以前は家柄などによって固定されていました。近代になって試験制度が採用されてからも、門閥や学閥がそこに絡み、非常に複雑な閉鎖社会を形成しています。日本の議会制民主主義の健全な発展を妨げたのは、まさにこの伝統的な官吏制度であったといっても過言ではありません。日本においてとくに強く要請されるのは、やはり議会制民主主義の確立であり、そのためには、私は官吏制度の伝統を弱めることが必要だろうと考えています。
 しかしまた、議会制民主主義には固有の弱点もあるわけで、イギリスなどの場合は、それを補うため、官吏制度の強化が要求されたのかもしれません。とすると、理想的な政治体制は、この議会制民主主義と官吏制度がバランスを保ちながら、相互に補い合っていく体制であるのかもしれません。しかし、そうした機構上のバランスや健全な機能を支えていく大前提は、やはり一般大衆の全体的な知的・道義的水準の向上です。これこそ根本の課題というべきでしょう。
 そのうえに立って、メリットクラシーを強めていくか、デモクラシーをより強固なものにしていくかは、それぞれの国情によるといってよいでしょう。

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