Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

5 未来の世界警察軍  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 すでにこれまで申し上げてきた通り、一切の軍備は撤廃すべきであるというのが、私の信念です。もちろん、警察力のような、国内の法と秩序を維持する最小限の装備は認めるにしても、それは将来、博士がおっしゃるような世界政府が誕生したとき、その管轄下に組み入れられるべきだと思います。つまり、それまでは各国が世界政府樹立のために最大限の努力を傾けるべきであって、その目標が達成された暁に、すべての軍備を連邦体のものとすべきでしょう。
 トインビー 軍備をいかにすべきかの計画を立てる場合、われわれの目標は、その軍備の数量、致死性、使用を、すべて最小限に減少させることであるべきです。
 ここで仮に、人類が世界政府の樹立に成功し、したがってそれを構成する各主権国家が二度と再び戦争を行えなくなったと仮定してみましょう。また、さらにそれらの国家がいかなる種類の国家的軍備を保有することも禁じられ、しかも、この禁上が効果的に実施されたと仮定してみましょう。この場合でも、私は、世界国家にはやはり武装警察軍が必要だと思います。およそどんな主権国家でも、これまで警察力をまったく用いずにやってこられたためしのないことが知られています。これは、たとえいかに統治が行き届いて、市民のほとんどが法を遵守しているような国家でも同じです。取り締まらなければならない反社会的な少数分子というものは、いつの時代にも残存しているものです。われわれが世界国家の樹立に成功した場合でも、私は、統治の行き届いた現在の地域的国家にあてはまることは、同じく統治の行き届いた世界国家にもあてはまるはずだと思うのです。
 池田 私も、法と秩序を維持するための力は、いつの時代にもなくてはならないものだと考えます。もしそれがなくなってしまったら、善良な人間が苦しめられ、しかも自分を守ってくれるものがどこにもないことになってしまいます。いかなる社会も、悪人がまったくいなくなり、不正が完全に姿を消すということはありえないからであり、また残念なことに、不正と悪は、正義と善よりも強いのが世の中の実相だからです。
 トインビー そこで、警察軍が必要であることにわれわれが意見の一致をみたにしても、なおわれわれは二つの問題に直面することになります。世界国家の警察軍は、いかにして隊員募集をすべきか、また、その装備はいかにすべきか――という問題です。
 私の考えでは、世界国家の警察軍は、現在の国連の非軍事部門のスタッフと同じように、世界政府自らが直接に隊員募集を行うべきであり、各隊員はあくまで世界政府に忠誠を尽くさなければなりません。世界警察軍は、地域的国家から供給される派遣隊で構成されてはなりません。なぜなら、そうした派遣隊というものは、それぞれの地域的国家政府に忠誠を尽くしてしまい、世界政府への忠誠――至高であるべき忠誠――を二の次にしてしまうからです。ただ、各国家には、その地域の目的に沿った警察軍の維持を許す必要があるでしょう。しかし、その警察軍の規模と装備は一定の範囲内にとどめ、どこまでも世界政府の権限に挑むような違憲的、反社会的目的に悪用されないようにしなければなりません。
 世界政府としては、不正や紛争や暴力が昂じて世界平和を著しく乱したり、あるいは個人的、集団的人権に重大な侵害を及ぼしているような地域において、実行しうる最も公正な条件のもとに和平をもたらしうるだけの、十分な軍事力を指揮下におく必要があるでしょう。世界政府の警察軍は、たとえば、南部アフリカでの白人による黒人弾圧、中東でのイスラエル人によるアラブ人弾圧、北アイルランドでの新教徒による旧教徒弾圧といった状況に、ケリをつけるものでなければならないでしょう。世界警察軍はまた、現在の抑圧的な既成特権階級を廃絶させなければならないでしょう。ただし、このさいの取り決めとしては、こうしたかつての暴君たちが、それまで彼らの犠牲者だった人々によって逆に犠牲にされることのないよう、保護を加えてやることです。
 このように、廃絶されるべき既成特権階級への有効な保障が設けられたとしても、そうした保障は実施に移さねばなりません。また、たとえ既成特権階級が、その廃絶後の有効な保護を、あらかじめ世界政府から保障されていたとしても、いざ実際に世界政府が廃絶への措置をとろうとすると、彼らは武力をもって抵抗を試みないともかぎりません。こうした可能性にかんがみて、私には、やはり世界政府は独自の警察軍を必要とし、その警察軍は武装を必要とし、その武装も適切にして十分な強力さを必要とするということは明らかだと思われます。すなわち、世界平和の樹立は秩序を施き、正義を貫くことによってのみ可能なわけですが、この警察軍は、そうした義務を遂行するにあたって直面するかもしれない、考えられる最大限の抵抗に対しても、これを確実に打ち負かせるだけの、十分に強力な武装を必要とするはずです。
 人間本性に内在する利己性や、ことに廃絶されるべき抑圧的な既成特権階級に現在みられる暴虐的な性格を考え合わせると、彼らが自分たちを廃絶しようとする動きに抵抗して武器をとり、したがって流血の代価を払って後、初めて廃絶されるケースが、少なくともいくつかは起こるのではないか、と私は懸念するのです。
 池田 現在の世界をみると、穏当な警察力をもってしては、善と正義を守るのにとても間に合わないでしょう。この点、現実が、いかに理想から程遠いものであるかと痛感せざるをえません。私は、世界警察軍が現在も必要であり、将来にわたって必要とされることについては、もちろん同感です。しかし、それはそれとして、軍備という面のみを取り上げれば、これを極度に規制することが必要です。現実問題として、せめて核兵器だけでも廃棄するよう、真剣な努力が払われるべきだと思います。
 第二次世界大戦で日本の広島、長崎に投下された原爆は、恐ろしい爪跡を残していますが、現在ではさらに、それとは比較にならないほど強力な破壊力をもつ水爆が開発されています。その運搬も、航空機だけでなく、大陸間弾道弾によってなされ、さらに海面下の潜水艦から発射されることも可能になりました。こうして、現在の世界は、ボタン一つで、一瞬のうちに破滅してしまうかもしれない状況にあるわけです。
 このような時代に生きているわれわれは、何よりもまず、いかなる国にも核兵器の製造、保有、使用を許さないという、強い決意をもつべきだと信じます。さもなければ、人類は絶滅してしまうでしょう。あるいはまた、次の世代の人々に、恐るべき厄介な遺産を残すことになってしまいます。文明と社会がいかに高度に発達したとしても、大量の核兵器が配備されている現状が続くかぎり、人間は決してその高度の発達を誇ることはできないと思います。
 核兵器の破壊力がいかに恐るべきものであるか、放射能がいかに根強く生命をむしばんでいくかは、広島、長崎の被爆者の体験が明白に示しています。われわれは、この偽りのない実態を世界中の人々に認識してほしいと思います。
 トインビー たしかに、世界政府の創設を待つまでもなく、現存する各主権政府に対しては、その国民が強く働きかけて、少なくとも五つの政府がすでに保有している核兵器をすべて廃棄させ、今後も二度と核武装をしないよう保障させるべきです。私はまた、未来の世界政府は、自ら核兵器の保有を拒否すべきであり、この自ら課した拒否権を、世界政府憲法の基本条項の一つとすべきことを強調しておきたいのです。
 核兵器の性質そのものからいっても、またその使用法の性格からいっても、交戦国の相互絶滅という狂気じみた目的以外には、核兵器を戦争に使用することは不可能です。しかも、この兵器に本来備わる無差別的殺象性からみて、警察業務にはとくに使用できません。たとえば、南部アフリカの白人、北アイルランドの新教徒、イスラエルのアラブ領土占領軍などを、核兵器で鎮圧することはできないでしょう。もちろん、核兵器によって彼らを全滅させることはできるでしょうが、しかし、それは多くの場合、はるかに多数の被圧迫民をも同時に全滅させてしまうでしょう。この場合、行動の目的がこれら被圧迫民の解放にあるのですから、核兵器の使用によってこの目的を達成しようとすれば、そのどんな試みも、すべて自滅を招く幻想でしかなくなってしまいます。
 既成特権階級の鎮圧にあたる警察軍が武装を必要とするかぎり、その装備はいわゆる通常兵器に限るべきであり、それも、殺人兵器を用いて法の施行を妨げようとする暴徒を、最小限の殺傷数で鎮圧できる型の兵器でなければなりません。法の施行にあたる警察軍は、できうるかぎり、非致死性の兵器を使用すべきです。たとえば、打撲傷は負わせても裂傷には至らないゴム弾とか、一時的な活動不能に陥らせるだけで永続的な有毒作用をもたないガスとか、あるいは衣類や皮膚に付着するとしばらく消えない、有色塗料などを使うべきでしょう。有色塗料を散布すれば、これによって暴徒が識別でき、暴徒としては逮捕・有罪判定から容易に逃れられなくなるわけです。
 今日まで科学技術は、戦争行為をより殺傷的なもの、より破壊的なものにするための武器の考案・使用に、応用されてきました。われわれは今後も、科学技術を組織化された物理的な力の利用にあてていかなければなりませんが、その目的は正反対のものへ転向させるべきです。われわれは、世界政府の警察軍と、世界政府を忠実に支援する地域警察軍とが、合法的な公的機関の命令を実施するにあたって、暴力的な反抗者への加害を――そして、とりわけ罪のない通行人とか、家畜、作物、貴重な物的財産などへの被害を――最小限に食い止められるような武器を考案しなければなりません。
 池田 死と破壊のための武器でなく、死も破壊ももたらさず、しかも相手の攻撃力を奪ってしまうような武器を開発すべきだという博士のご発言は、非常に示唆に富んでいます。もしそこに目標を向ければ、科学者の英知は、必ずそうした条件を満たしうる武器を開発できるはずだと思います。しかし、科学者もそうですが、私は、何よりも政治家が、ここに大きな発想の転換をしてほしいと思います。

1
1