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日蓮大聖人・池田大作

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1 経済発展と戦争  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 戦争の本質は、従来、武力をもって行う政治・外交の一形態であるとされてきました。しかし、現代における戦争ないし戦争準備は、政治的要因もさることながら、それ以上に経済的要因によることが、定説になっているようです。
 もちろん、戦争を地上から絶滅させる方途については、さまざまな角度から論じなければなりません。また、現在、各国が軍事費に巨額の国家予算を割いている背景には、さまざまな原因があるのでしよう。しかしながら、経済の巨大化が戦争に結びつく一つの大きな要因となっていることは、まぎれもない事実です。
 こうした現状において、経済の発展を止めることなく、戦争や戦争準備を防ぐ道が示されるならば、それは人類にとって大きな前進になると考えられます。ここでは、この点についての博士のご意見を伺いたいと思います。
 トインビー 戦争とは形を変えて行われる外交である――という、あの哲学者然とした、プロイセンの参謀将校クラウゼヴイッツの言葉は、ものごとを話し合いで合意に達しようとする試みと、利害の衝突や見解の相違は暴力でカタをつけようという腕だめし的なやり方との、倫理的相違を無視する言葉であり、人間をわざわざ挑発するようなものです。むしろ、戦争とは外交の失敗に対する報いである、といったほうが真実に近いでしょう。
 たしかに、外交によって処理できなかった紛争に、戦争がしばしば決着をつけてきたことは事実です。しかし、戦争という手段による解決の代償は、常に広範な死と荒廃でした。そこから新たな問題が惹き起こされ、それらの問題はしばしば次の戦争によって処理され、そこからさらに多くの戦争が誘発されてきたのでした。歴史の証明するところでは、戦争による紛争解決が満足にいった例はほとんどなく、したがって恒久的な解決になったことも、滅多にありません。
 池田 クラウゼヴイッツ的な戦争肯定論も、もちろん、いかなる戦争肯定論も断じて放棄すべきです。戦争は絶対悪であり、人間生命の尊厳への挑戦です。
 しかし、残念なことに、今日において経済的に高度な発展を成し遂げた国では、その経済的要請から、戦争準備を進めなければならないような仕組みになっているようです。少なくとも、現代における戦争ないし戦争準備が、巨大な工業生産力の余剰分を配分するうえで重要な選択肢の一つになっている、ということはできましょう。
 歴史をみても、戦争が経済発展の大きな要因となってきたことは、認めざるをえないと思います。戦争という非常事態のもとでは、一国のもてる総力が、何よりも優先して戦争の遂行という目的のために結集されます。すべての社会活動は勝利という目標に向かって統制され、計画化されて、その目的達成のために、最も合理的、効果的な形で編成されます。加えて、平時では考えられない異常なプラス・アルファの力が相乗されて、そこに作用します。
 航空機、ロケット、原子力などは、そうした戦時下において急速に研究・開発が進んだわけで、戦後それが平和目的に転用され、人々はその恩恵に浴しているわけです。このように、戦争によって技術開発が進み、それにともなって経済の発展がうながされたことは、否定しがたい事実といえましょう。
 また、戦争準備は需要を増大させて、経済の成長のためにも、不安定さをカバーするためにも、大きな役割を果たしてきました。こうして、その戦争がさらに経済発展のバネになる、といった悪循環が繰り返されてきたわけです。
 トインビー 紀元前五世紀のギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、戦争は万物の父であるといいました。たしかに戦争は、技術の進歩や経済の成長に刺激となってきました。軍資金は経済力そのものですし、兵器は技術の産物です。互いに必死の攻防戦を繰り広げるとき、その国民のエネルギーは極限まで高められ、そのため交戦国は、ともにその技術的創意性と経済力とを、最高度に伸ばすものです。
 しかし、人間はここで戦争の報復を受けることになります。一つの戦争はさらに多くの戦争を引き起こしがちですから、戦争にともなう技術の進歩、戦争に注がれる一社会の余剰生産の増大は、それぞれの戦争を前回の戦争よりもさらに破壊力あるものにしがちです。そしてついには戦争があまりに慢性化し、破壊的になってしまいます。このため、結局は戦争好きな地域的国家から主権を剥奪することによって、戦争を廃絶させなければならないのです。
 池田 現代人はあまりにも多くの戦争体験をもっています。われわれは、文明を破壊し、貴い人命を奪い、さらに人類の絶滅を招く、恐るべき戦争をまずなくさねばなりません。
 その場合、私は、さきに述べましたような、戦争の最大の淵源となっている経済のあり方に対しては、どうしても根本的な転換がなされねばならないと考えるのです。戦争や戦争準備は、たしかにこれまで経済発展の大きな要因となってきましたが、私は、戦争以外にも経済の発展と安定化をもたらしうる要因は、いくらでもあると思います。たとえば、社会保障や教育の充実、住宅の建設、対外援助といったものがそれです。それらはいずれも、巨額な資金を必要とするものですが、各国の経済に刺激を与えるには十分な要因となりうるはずです。
 トインビー 数ある経済への刺激のなかで、戦争は最も高価なものでしかありません。この最も高くつくという一事をもってしても、戦争が、最も望ましからざる刺激であることは、間違いありません。
 近い将来において、われわれは軍事面以外の刺激にこと欠くことはなくなるでしょう。急速に近づきつつある歴史上の次の段階にあっては、人類はただ自らの生存を守ることにのみ、全力を注がざるをえなくなることでしょう。われわれは世界経済を安定させ、人口爆発を食い止めざるをえないでしょうし、また過去にもそうであったし、いつの時代にもそうあるべきですが、人間の主要な関心事として、宗教を復権させる必要があるでしょう。人類は、全精力を奮い起こして行うべき仕事を、両手に余るほど抱えていることでしょう。そのようなとき、われわれはもはや戦争は必要としないでしょうし、また戦争をしている余裕など、きっとないはずです。

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