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日蓮大聖人・池田大作

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7 民族再建と共産主義  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  池田 過去に偉大な文明を築き、人類の歴史に光彩を放ちながら、近世に入ってヨーロッパ諸国の植民地と化した国が、アジアにはいくつもあります。たとえば、中国やインドや西アジアの国々がそのような体験を経ているわけですが、これらの国の民族は、独立と主権を回復した今日でも、再建にあたっては苦悩の多い道を歩んでいます。
 こうした過去の文明国のうち、現在、欧米先進国のレベルに急速に近づいているのは、中国だけのようです。インドや西アジアの国々の場合は、先進諸国自体がかなりの速度で進んでいるため、むしろ相対的にはギャップが拡大しているとさえいえるでしょう。この停滞の原因としては、政治的な不安定や、社会資本の蓄積が貧弱なことなど、種々の要素が考えられます。ところが中国は、共産党による支配体制を樹立して、政治的安定を得ました。それに、社会主義体制によって計画経済を実行し、社会資本の蓄積を強力に進めています。中国は、ここに自らの再建の軌道を完全に敷いたように思われます。
 そこで、インドや西アジアも、中国にならって共産化する以外に、再建の道はないのか――という問題を考えたいと思います。
 中国の場合は、もちろん、たんに共産化しただけでなく、そこには毛沢東という偉大な指導者がいました。この指導者の有無ということも、重要な条件として考えなければなりません。毛沢東は、マルクス・レーニン主義を中国の歴史的、精神的風土のなかで消化し、新しい民族国家を形成する原理を打ち出した優れた指導者であり、私は彼あるがゆえに中国革命は成功していると思っています。
 トインビー 私は、共産主義は一つの宗教であり、とりわけユダヤ系諸宗教の新たな旗頭であるという分析をしています。共産主義には、その無神論的な語彙による変装の下に、ちゃんとユダヤ的神話が保たれています。ユダヤ系の全宗教を共通に特徴づけるものは、一つには、強固な組織と厳格な規律です。この面に、これら諸宗教の排他性、不寛容性が濃厚にあらわれています。
 危機にさいしては、人々は規律を必要とし、それを甘受するものです。しかもあらゆる非西欧文明社会は、西欧文明がそれらに衝撃を与え始めてよりこのかた、ずっと危機にさらされてきたのです。この挑戦により、これら諸文明社会は、近代西欧が他の世界より一時的に優勢であった分野で――なかんずく技術の分野において――西欧に追いつくべく、強行軍を試みざるをえなくなりました。強行軍は、軍隊式の規律を要請します。そして共産主義は、まさにこの種の規律を与えてくれるものなのです。したがって、他文明の吸収同化という離れわざを試み、成し遂げなければならない社会にとっては、共産主義は有用な宗教となるわけです。まして、社会の自己変革が十分速やかに、かつ徹底的になされないと、その社会は全面的崩壊の危機に瀕してしまうという場合、とくにそのことがいえます。
 池田 共産主義は、主として現世における社会的問題と取り組み、人間の生き方を規制する宗教であり、この点、これまでの宗教と異なっています。これまでの宗教が立脚していたのは、この現実を超えた観念についての信仰であり、この人生を超えた永遠なるものをめざしていました。共産主義は、死の彼方の問題については、ほとんど何もいっていません。
 そこで思うことは、再び中国の場合です。中国が比較的容易に共産主義を受け入れることができたのは、中国人には伝統的に合理主義的な思想があったからではないでしょうか。道教は神秘主義の色彩を相当にもっていますが、儒教はまったく合理主義的な政治哲学であり、人生哲学ともいうべきものです。そういう意味での非宗教的な精神性、合理主義的な思考の伝統が、マルクス・レーニン主義を受け入れるのを助けたのではないでしょうか。
 この中国の場合と対照的なのが、西アジアのイスラム教世界だと思います。そこでは、アラーの神は、超絶的存在であると同時に、その立場から現実の社会と人生を強く規制しています。もちろん、イスラム教徒が絶対に共産主義を受け入れないとは断定できませんが、その精神的土壌から判断しますと、中国人に比べて受け入れがたいのではないかと思います。
 トインビー 共産主義は、ある面では、科学的合理主義という近代西欧宗教のいかがわしい一変形であり、中国のように、その国在来の支配的伝統が――儒教のように――合理主義的、権威主義的であるような国では、比較的受け入れられやすいのです。
 これまでのところ、イスラム教徒が共産主義に対して拒絶的であることは、はっきりしています。これはたしかに驚くべきことです。なぜなら、イスラム教は、ユダヤ系の宗教としては、キリスト教よりも合理的な宗教であり、また少なくともキリスト教と同じくらい権威主義的であるからです。ちなみに″イスラム″という言葉は″自己放棄″(帰依すること)を意味しています。
 トルコ人は、中国人と同じように、かつて帝国を築いた誇り高い民族です。また彼らは、西欧文明を同化するにあたっての緩慢さを、かつて中国人に加えられたと同じような屈辱を嘗めることによって、贖ってきました。しかし、トルコ人は中国人と違って、最終的には、共産主義に頼ることなく自らの強行軍を行ったのです。アラブ民族は、トルコ人よりもはるかにひどい屈辱を味わってきました。しかし、彼らもまた共産主義に対しては、拒絶反応を示しています。彼らは、イスラエルとアメリカに対抗すべくソビエトから援助を受けている関係上、外面的には共産主義と妥協してきましたが、しかし内実は反発してきたのです。このようにイスラム圏が共産主義を受け入れようとしないことは、私には不可解でなりません。
 池田 その点については、私は、こういうふうに考えることができると思うのです。つまり、イスラム教徒にとっては、服従すべき対象、すなわち権威が、アラーの神として、厳然と定まっています。しかも、この神は、たんに死の彼方の世界だけでなく、現実のこの社会と人生においても、強い規制力をもって君臨しております。したがって、別の服従の対象がそこに入り込む余地がないわけで、これがイスラム教徒の共産主義化を困難にしている理由ではないかと、私は推測するのですが、いかがでしょうか。
 トインビー イスラム教徒が、原則として、イスラム法学者の解釈によるアラーの権威しか受け入れないことは事実です。アラーというのは、もちろんアラビア語で単純に″神″を意味する言葉にすぎません。そして、このイスラム教徒にとっての″神″とは、ユダヤ教徒にとっての″ヤーウェ″、またキリスト教徒にとっての″父なる神″、すなわち三位一体の第一位格にあたる神と同じものなのです。しかし、実際には、イスラム史の初期のころから、彼らは専制的な政治的、世俗的支配を受け入れてきています。もちろん、世俗的支配者といえどもイスラム法に従うものとされており、イスラム法に関する最終決定権は公認の法学者がもっています。しかし、実情をいえば、イスラム圏の歴代政権は、ほとんどがきわめて独裁的でした。
 今日では、近代ナショナリズムがイスラム世界にも感染しています。その影響が顕著な例としては、二つの国があげられます。一つは第一次世界大戦後のトルコであり、もう一つはイギリスが統治を放棄した後のパキスタンです。
 第一次世界大戦後、トルコ人が最初に行ったことは、オスマン王朝の廃絶でした。このこと自体は、イスラム法に背反することではありません。イスラム法には、信徒が独裁者の支配を受けなければならないという定めはないからです。しかし、トルコの改革者たちが講じた措置のいくつかは、イスラム法に違反するものであり、これは他のイスラム諸国に少なからぬ衝撃を与えました。トルコはまず、予言者マホメットの政治的継承者の働きをする――ただし宗教的なそれとは明確に分離されている――カリフ制を廃して、非宗教国家にしました。ついで、イスラム法によればアラビア語でなければならないとされていたにもかかわらず、コーランをトルコ語に翻訳しました。つまり、トルコでは、ナショナリズムのほうがイスラム法よりも強力であることが、はっきりしたわけです。
 パキスタンはこれと多少異なるケースで、ここではインド人イスラム教徒による統一への願望から国家が形成されました。彼らはそれまでインド中の各地に散在し――ヒンズー教徒のインド人と同じく――多くの異なる民族に属していましたが、結束して自分たちの国をつくろうと決めたのでした。イスラム教は人種的、言語的障壁を超越するだろう――という想定のもとに、彼らはインド中の全イスラム教徒を、現在でいう西パキスタンとバングラデシュに集結させました。彼らは、たとえイスラム教をもってしても、これら二地域を結ぶ永久に有効な絆とはなりえない、などとは夢想だにしなかったのです。しかし、問題が起こるのにそう長い時間はかかりませんでした。バングラデシュの民衆は、まず西パキスタンの公用語であるウルドゥー語を、自分たちの公用語として受け入れるのを拒否しました。彼らはまたアラビア文字の使用を断り、ベンガル人のヒンズー教徒とイスラム教徒の共通語である、ベンガリ文字に固執しました。
 つまリバングラデシュでも、さきのトルコの場合と同じく、ナショナリズムがイスラム教を凌駕する影響力をもつようになったわけです。今日、バングラデシュは、いうまでもなくパキスタンから離脱したわけですが、これは民族主義的な理由によるものです。
 こうしたいきさつは、いずれもイスラム圏諸国の団結に大きな痛手を与えるものでした。しかし、いずれにせよ、イスラム教も結局はキリスト教と同じく、ナショナリズムに対して免疫性がなくなっているわけです。これら二つの宗教の場合、いずれもその狂信性の対象が、宗教そのものから国家へと移行してきているのです。
 池田 いいかえれば、イスラム教が宗教としてもっていた狂信性は、今日では、イスラム教徒をナショナリズムヘと傾斜させていく起動力になっているということですね。
 このナショナリズムヘの転化というのは、中国が共産化していった過程のなかでもみられることです。つまり、中国は決して直線的に共産主義に走ったのではなく、その道程は民族主義化の里程標を経由してきているように思われます。そしてこの経緯は、共産化に成功した今日においても、中国の重要な性格となって残っています。
 私はここで、中国がこのように二面的な性格を形成してきたことは、興味深い問題を提起していると思うのです。といいますのは、一般に、共産主義はもともと民族主義や国家主義を超克するイデオロギーである、とする通念があります。もちろん事実上は、反帝国主義、反植民地主義の旗印のもとに、世界各地の民族解放運動を支援してきたわけですが、共産主義の究極的理念は、諸国家の消滅、諸民族の帯同にあるといわれてきました。しかしながら、このような共産主義に関する通念とか理念は、少なくとも共産中国の現状である民族主義的傾向とは、明らかに一致しません。また今後の中国の進路を決定しそうな潜在的要素も考えに入れると、あるいは、中国には、単純な共産主義や民族主義の概念からはみだした性格があるのかもしれません。
 もしそうだとするなら、このように中国に潜在する複雑性が、何に由来するのかを考えなければならないと思います。その答えを見いだすには、中国の伝統の精神的土壌をもう一度掘り起こして考えなければならないでしょう。
 中国において、かつて儒教が育んできたものは、個人が大なる秩序に服する姿勢であり、権威あるものを認める思考でした。その対象は、父母であり先輩であり、王であり指導者であるという具合に、場合に応じて変化しうるものでした。ここから、最高の人格者としての″君子″という考え方、それに最高の権威としての″天″という考え方が展開されたわけです。また、こうした人間観と秩序観が「修身、斉家、治国、平天下」という、道徳的な政治理念に整合されていました。
 こういった精神性は、共産化した今日の中国においても、その民族的性格の底に流れているのではないでしょうか。それゆえにこそ、マルクスやレーニンや毛沢東、そして社会そのものが、忠誠の対象として自然に受け入れられているのだと思うのです。
 ところで、中国の共産主義は、しばしばソビエト・ロシアの共産主義と対比されます。ロシアには、東方教会派のキリスト教が長い間根を張っていました。このロシアの宗教的伝統は唯心的なものでしたが、同時に、神秘主義的ともいえる非合理的な性格をもっていました。それが、レーニンの指揮する共産主義革命によって、一挙にして、唯物的で合理的な思想の流れに変わったわけです。
 もちろん、そこには、こうした急激な社会変革にあらわれた暴力性、あるいは多数の人々を犠牲にした悲劇性といった問題もあります。そうした強硬手段ではありましたが、しかしいずれにせよ、この革命は、本来、反唯物主義的、反共産主義的な宗教をもつ民族国家が共産化する可能性もあるということを、示唆するものだと思います。もっとも、このロシアの革命期には、まだ共産化の前例が世界のどこにもありませんでした。ロシア革命以後は、共産化の路線を追う民族国家が数多く出現し、その多くが試行錯誤の道を歩んでいます。それらの国々の現状から察すると、今日、共産化がそのまま理想社会の実現につながらないことが、しだいに認識できるようになってきていると思います。
 トインビー 東方正教キリスト教は、共産主義と同じく権威主義的です。西欧的な共産主義にみられる合理性や共産主義以前の合理主義と、キリスト教のもつ非合理性とが、互いに一致しないものであるにもかかわらず、共産主義がロシアを支配下に収めることができたのは、たぶん一つにはそこに理由があったのでしょう。ピョートル大帝が導入し、ロシア支配の点では共産主義の先駆者的存在となった、西欧風に″啓蒙″された絶対君主制の場合も、それは当てはまることでした。しかし、私の想像では、そうした不一致というものも、実際には見かけほど大きくないのではないかと思います。共産主義は、その合理主義的な仮面の下に、古来のユダヤ的非合理性を多分に残しているからです。たとえば、プロレタリアート独裁という思想は、ユダヤの選民思想と大いに共通する面があります。こうした考え方は、いずれも合理的でもなければ健全なものでもありません。
 池田 そうした本質をもった共産主義が諸社会に受け入れられていくかどうか――その点の未来性についてはいかがでしょう。たとえば、インドではヒンズー教の思想が生活習慣、社会習慣に根強く浸透しています。カースト制度を残存させているヒンズー教独特の思考法は、共産主義が求める階級闘争による権力奪取とか、階級なき社会の理念を、はじき返すような働きをするのではないでしょうか。
 トインビー ヒンズー社会のように根深い非合理性をもつ社会では、共産主義はあまり未来性があるとはいえません。また、西欧に追いつくための強行軍を必要としない社会についても、同じことがいえます。
 池田 インドや西アジアの国々は、ロシアや中国が歩んできた道、あるいは西欧先進諸国の道などとは、およそ異なる道をたどることになるのではないかと思われてなりません。そこで、インドといい、西アジアの国々といい、いずれも栄光に輝く過去をもっているわけですが、その歴史が未来への志向にどのように反映されていくか――あるいはまったく顧みられないか――という点については、いかがでしよう。
 トインビー 偉大な過去への追憶というものは、ハンディキャップとなることがあります。中国、アラブ、ギリシャの諸民族は、それぞれ過ぎ去った栄光への追憶をもっていますが、これは彼らにとって、日本人やトルコ人のもつ同じような追憶の場合よりも、重い負担としてのしかかっています。このため、近代西欧文明の同化にかけては、日本人のほうが、また日本人ほどではなかったにしろ、トルコ人のほうが中国人やアラブ民族よりも成功しています。ただし、日本人もトルコ人も、ギリシャ人ほどの成功は収めていないかもしれません。日本については、徳川政権下での、独自の経済発展があったため、一八六八年以後に西欧式の経済と技術を導入するのが、比較的容易だったのです。

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