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日蓮大聖人・池田大作

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5 王制の将来  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 議会制民主主義がまずイギリスで成功した要因を考えるとき、興味ある事実として無視できないのは、そこに王制が果たしてきた役割であると思います。これとは、もちろん制度的に異なりますが、似たような天皇制をもつ日本では、近代に入ってからの議会制民主主義の導入にさいしては、そこから多くの点を学びました。民主主義と王制とでは一見矛盾するもののようですが、ともかくイギリスでは、日本よりも長期にわたってこの二つが共存しています。これは一般には、イギリス人の伝統を重んじる気風が自然に育んできたものと考えられているようですが、博士はどのようにごらんになっていますか。
 トインビー 主権国家の集団力に対する崇拝が、近代になって復活するその以前においても、政治権力は常にその被統治者たちから、あるていどの憧憬的心情――愛着心とまではいかないにしても、崇敬の念――を集めていました。多くの場合、この心情は権力の所有者へと向けられるものです。
 ところが、日本とイギリスの君主政体においては、権力の行使とこの心情の吸引とは、それぞれ別な人物が分かち合っています。崇敬の念はもっぱら君主のほうに集まりますが、君主は権力を行使する立場にはありません。一方、権力の所有者にはこの崇敬心は集まりません。両国の歴史をみると、こうした権力と威信の分離は、何も意図的に成就されたものではありません。巧まざる歴史的進展の結末であったのです。この分離がもたらした結果は、しばしば幸運な偶然事として解釈されていますが、私もこの解釈は正しいと思います。
 池田 崇拝の対象としての王ないし天皇と、権力の行使者とを分離したことは、それが意図的なものであったにせよ自然的なものであったにせよ、非常に賢明なやり方だったと思います。なぜなら、一つには、権力の行使者は、民衆から崇拝されるよりはむしろ恐れられやすく、しばしば憎悪されるものだからです。もう一つには、民衆の力を結集させ、それをある方向に前進させていくには崇敬心を引き出さなければならず、これには権力者以外の中心的人物がふさわしいからです。
 イギリスが、他のコーロッパのどの国よりも早く政治的安定を得て、しかも国民のエネルギーを存分に発揮させることができたのは、イギリス人の気性もさることながら、この″体制″に負うところが大きかったと思います。日本の場合、幾多の内戦、権力者の交代、さらに外国勢力との相克があったにもかかわらず、日本という独自の文化的母体を形成してきたのも、やはりこの″体制″によるところが大であったと思います。少なくとも、分立国家が世界的風潮であった近世から今日までの歴史においては、崇敬の対象と権力行使者とを分離したこの″体制″は、きわめて有利な結果をもたらしたといえそうです。
 トインビー 絶対君主制のもとでは――王朝時代の中国やファラオ時代のエジプトのように――君主は、世襲か養子縁組か、あるいは革命の、いずれかによって王座につきます。君主は忠誠を一身に集めるばかりでなく、一個人に能うかぎり、あらゆる国家の集団力を一人で支配します。もし正式の絶対君主が政務力に欠ける場合は、名目上はその君主のものである権力が、実際には合憲的な代行権をもたない彼の一族の者によって行使されます。このように、絶対君主制下では、いつの場合にも権力は専横的に行使されているのです。こうした制度が、日本やイギリスのそれに劣るものであることは、疑いの余地がありません。
 しかし、日本やイギリスの制度といえども、あらゆる政治上の問題を解消してきたというわけではありません。ここでは事実上の権力者が、その権力を公的な君主の名のもとに行使するわけですが、彼は国民に自分の政策を支持させようとして、どうしても王権の威信に頼りがちです。これに対して、国王としては、自分の名において実施されながら自らは何の発言権もない政策を承認せざるをえませんし、またそれに対する公的な責任もとらざるをえません。立憲君主の役割というのは、心理的に報われることの少ないものなのです。
 池田 世界的な趨勢として、王制はしだいに形骸化し、姿を消していく方向にあると思います。もちろん一概に王制といっても、国によって成り立ちと性格が異なるため、概括的には論じられませんが、立憲君主制についていえば、その将来はどのようになると博士は予想されますか。あるいは、どうあるベきだとお考えですか。
 トインビー 現存する立憲君主制――日本、イギリス、オランダ、ベルギー、デンマーク、ノルウェ―、スウェーデンの体制――は、他のどの君主制よりも長く存続するものと思われます。これらも最終的には姿を消すとしても、それは転覆による消滅とはならないでしょう。たぶん王室や皇室の誰もが、そうした魅力のない職務を継承したがらなくなるための消滅でしょう。これを労使関係の言葉で表現すれば、立憲君主制はストライキによって終焉を迎えそうだ、ということになります。
 今世紀に入ってからすでに君主国家の数は徐々に減少しています。第一次世界大戦での敗北の結果、オーストリア= ハンガリー、ドイツ、トルコの各国では君主制が廃止されました。アラブ世界でも、第二次大戦後、すでにエジプト、イラク、イエメン、リビアなどで廃止されています。アラブ諸国のうち、いまなお君主が支配しているような国々でも、いまや君主制は明らかに不安定になっています。
 絶対君主制であれ、名誉職としてのそれであれ、あらゆる形態の君主政体は、すべて一国の被統治民にとって心情的帰依の的となってきました。そしてこの心情的帰依は、宗教的信仰という形をとってきました。事実、国家は神として考えられたのです。今日、君主制がしだいに姿を消しつつあるということは、もはや人々が国家を神と感じることがなくなり、むしろ、しだいに一種の公共事業体とみなすようになってきている一つの兆候であるようです。このような国家に対する人々の姿勢の変化を、私は非常に望ましいと考えております。

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