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日蓮大聖人・池田大作

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2 アメリカ合衆国  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  (1) ″フロンティア精神″
 池田 アメリカにとって、ベトナム戦争の敗北は、たんに政治的、軍事的敗北にとどまらず、道義的敗北でもあったことが指摘されています。もしアメリカがこのことに気づくならば、それはアメリカの今後にとって非常に大きい意味をもつことになると思います。
 私は、これまでアメリカがその基本精神としてきたものは、いわゆる″フロンティア精神″だったと思います。それはヨーロッパのように狭い地域に多くの国と大勢の人間が協調し合って住まなければならないのと違って、他の人間の存在、すなわち先住民を顧慮することなく、自然に挑む精神であったといえましょう。それが他の国や民族を相手とする次元に入ったとき、いわゆる大国の″我″を押し通そうとする、強引さとなって現れてきたのではないかと考えられます。ベトナム戦争の敗北は、このような基本姿勢の行き詰まりを意味するものとも思われます。
 トインビー かつて長い間、アメリカ人は他の領土に対する姿勢において、えてして人間の存在そのものを見失いがちな傾向をもっていました。まだ北米大陸が野生動物と森林と砂漠だけの、無人の荒野だったころのことを考えてみても、彼らはその先住民に対して何の考慮も払わず、あたかも動物か植物の類であるかのように扱ってきました。アメリカはこうした精神、すなわちフロンティア精神をその方針とし、ベトナム問題の処理にも適用したわけです。ベトナム人が決して動植物の類ではなく、アメリカ国民とまったく同じ人間なのだという発見は、彼らに大きなショックを与えました。ベトナムでの敗北は、まさに道義上の敗北だったのです。アメリカ人にとってもっと大事なことは、これはアメリカ人が心に銘記すべき一つの教訓だったということであり、私もそうあってほしいと願っています。
 しかし、これについては、われわれヨーロッパ人も決して大きなことはいえません。ヨーロッパ各国の相互関係は、必ずしもそれほど協調的なものではなかったからです。言語と宗教の異なる諸民族間の調和はスイスの特徴ですが、すべてのコーロッパの国々がそれに成功してきたと誇れるわけではありません。たとえばベルギーでは、現にフランス語とフランダース語の措抗が原因となって、深刻な問題が起こっています。このようにコーロッパ人も、相互間の調和という点ではうぬばれるわけにはいかないのです。もっともアメリカのフロンティア精神に匹敵するほどのものがないことは、ご指摘の通りです。
 池田 自国内の異民族との調和に必ずしも常に成功しなかったということについては、おそらくどこの国も例外はないのではないかと思われます。かつては失敗の連続であったのが今日では調和に成功している場合もあれば、その反対に、かつて成功していたのにいまはむしろ失敗している例もあります。日本における韓国・朝鮮人問題は、この後者の例です。古代、中世において、朝鮮の人々は文化的先進国民として歓迎され、日本人のなかに調和していました。日本人が朝鮮人に対して軽蔑的な態度をとるようになったのは、とくに近代に入ってからです。それは第二次大戦後の今日も、かなり改善されたとはいえ、完全に解決されたわけではありません。
 しかしアメリカの場合、とくに問題になるのは、そうした偏見が国際政治のうえに非常に強く反映されていることです。アメリカが、国際政治のうえにずばぬけて強大な力をもっていることが、この影響性を一層顕著にしているともいえますが――。
 トインビー たしかにフロンティア精神とその陰にある偏見とが、アメリカをしてそれらを国際政治の場に投影させ、アメリカの間違いを大きくしてしまったことは事実です。私は、やがてアメリカは、東南アジアにおいてフロンティア精神を棄てざるをえなくなるものと考えます。フロンティア精神のもたらす悲惨さはベトナムで明らかになりましたし、カンボジア問題では、そのことが大統領と議会の間に論争を生みました。
 池田 そこで私がアメリカについて感心するのは、政府が横暴であっても、国民の間に必ず良識の声があるということです。もちろんその反対のこともありますが、いずれにしても、言論の自由がよほどの場合でも厳守されており、権力者だからといつて反対者の声を封じない――これは非常に重要な点であり、私はそこに希望を託しております。
 トインビー ええ、それはおっしゃる通りですね。ところで、フロンティア精神の話に戻りますが、さきほど私は、東南アジアについては、アメリカは態度を改めることになるだろうという予測を述べました。しかし、イスラエルの場合は、いくつかの理由から、様相を異にしています。
 皮肉な見方をするならば、アメリカに住むユダヤ人の票が、アメリカの政治家たちの行動を大きく左右していることの重要性と、不運な特性を認めざるをえません。第二に、これは私のような合理主義者には奇想天外とも思えることですが、しかし否定できない事実として、イスラエルこそまさしく『旧約聖書』にうたわれている″約束の地″であり、したがって当然ユダヤ人のものであるという信仰が、アメリカ宗教界の一部にあります。こうした意見をもつグループは、古いタイプの、いわゆる聖書主義派のクリスチャンですが、アメリカにはこういう人々がたくさんいるのです。
 最後の理由として、アメリカ人はイスラエル問題にフロンティア精神をもって対処しています。つまり、優秀なユダヤ人に比べれば、アラブ人は何の権利もない民族である、とアメリカ人はみなしているわけです。これは、彼らがかつてアメリカ・インディアンに対していだいていた考え方と同じものです。アメリカの援助があるかぎり、イスラエルは、アラブ諸国との公正な互譲的和平を結ぶことに抵抗できるでしょう。しかし、奇妙な幸運のめぐりあわせで、アラブ諸国は駆け引きのための力を発見しました。たまたま世界最大の石油埋蔵量をもっていたことです。世界の他地域はどこでも石油が乏しくなってきております。したがって問題は、アメリカがイスラエルのためにすすんで自動車を犠牲にしたり、暖房をあきらめたりするかどうかなのです。
 現在、アメリカもソ連も相互間の関係を改善し、冷戦に終止符を打とうと懸命になっています。しかし、中東に危険があるかぎり、この両国の意思に反して、いつ戦人が上がらないともかぎりません。中東問題の解決はすべての人にとっての関心事ですが、それにはまずアメリカが、イスラエルとアラブに対する現在の感情的な、そして私からみれば不合理な態度を改めることが先決です。このアメリカの態度の変更には、少なくとも場違いなフロンティア精神の発揮を改めることが、明らかに必要です。
2  (2) 積極的行動主義
 池田 今世紀における世界の動向の焦点の一つがアメリカであったことは、まぎれもない事実です。とくに第二次世界大戦においてフアシズムの嵐がヨーロッパに吹き荒れたとき、民主主義と自由の擁護のためにアメリカが果たした役割は、高く評価されてしかるべきだと思います。
 しかし、その後、米ソ対立のもとに世界を冷戦の渦中に巻き込み、朝鮮動乱、ベトナム戦争などに関与したことは、重大な誤りであったといわざるをえません。これについては、アメリカ国内においても反戦運動が繰り広げられ、″汚い戦争″といわれたベトナム戦争も、ようやく終息するに至りました。そこで問題は、アメリカは今後、国際政治においてどのような路線を進むかということです。いわゆる建国以来の基本路線であった孤立主義笙戻るのか、それとも現代世界の超大国として主導権を維持しようとするのか、博士の予測をお伺いしたいと思います。
 トインビー 第二次世界大戦勃発当時にアメリカ議会が通過成立させた″中立法″では、アメリカは不戦の決意を表明していました。真珠湾事件が起きなかったとしたら、アメリカはおそらく戦争に介入することはなかったでしょう。ところが驚いたことに、戦後のアメリカは国際的な積極的行動主義の政策を推し進めて、今日に至っています。これは″建国の父祖″たちが、国外紛争への介入を回避する有名な警告を発して以来の、従来のあらゆる政策にまったく反するものです。
 アメリカの積極的行動主義の政策のほとんどが共産諸国、とりわけソ連に向けられたことは注目に値します。かつてアメリカは二度の世界大戦で、ドイツと二回、日本と一回交戦したわけですが、実際の戦闘を別とすれば、この両国に対する敵対意識には激しいものがほとんどありません。ところがソ連に対しては、一九一七年以降、きわめて激しい反応を示してきたのです。これはいったい、なぜでしょうか。
 私には、これはアメリカ人がきわめて国内志向的で、そのため共産主義についても、国際政治の場で対処すべきものと考えないためであろうと思われます。それどころか、彼らは共産主義を富裕なアメリカ市民の懐を脅かす、国内的脅威とみなしています。日本やドイツは、たしかにアメリカの政治的安全を脅かしました。しかし、これらの国々は、共産主義の基本思想が与えるような、アメリカの富の共有化とか接収とかの脅威は与えませんでした。
 池田 私の見方は、アメリカに一貫して流れているのは、理想郷思想だということです。移民と開拓の当初から、アメリカ人の心には、旧世界をあとにして新しい天地に新しい国、理想的な社会をつくるのだという意気込みがあったと思うのです。モンロー主義は、そうした自国建設に専念するための手段であったと考えます。
 ところが、二十世紀に入って、三度の世界大戦はアメリカの孤立主義を許さなくなってしまいました。これらの大戦に介入した当初のアメリカの心情は、不承不承のものであったと推測します。ところが、アメリカの力がすでに世界の運命を左右する強大なものになっていることに自ら目覚めたとき、アメリカの人々は、理想郷建設の理念を世界的規模に広げて考えるようになっていたと思うのです。そして、ここから積極的な世界政策が生まれたと考えます。
 しかし、それはあくまで力を中心においたやり方であって、そのためにさまざまの問題が生じています。私は、アメリカがそうした理想主義をもって世界に臨むことに反対はしません。ただし、それは財力や武力によるのではなく、文化によるのでなければならないと考えます。
 トインビー ええ、まさにおっしゃる通りです。さいわいなことに中ソ紛争のおかげで、アメリカとしては、共産主義が自国を転覆させるのではないかという恐れを、いくぶんか和らげることができました。これにともなう緊張緩和によって、アメリカがもっと非好戦的、非敵対的な中ソ政策をとるよう、私は期待しています。これら三大国が人類のために力を合わせることこそ、全世界のためにきわめて重要だからです。
3  (3) 人種差別について
 池田 ところでアメリカの抱える国内問題の最大のものに、人種問題があります。アメリカ社会で主導権を握ってきたのはアングロ・サクソン系の市民です。これに対して、同じ白人でも、ラテン系市民は恵まれない立場にあるようです。さらに、黒人や、アメリカの先住民であるインディアンは、悲惨とさえいえる立場におかれています。
 トインビー アメリカにはたしかにその問題があります。アングロ・サクソン系の白人が特別の優位を占めているわけですが、ドイツ系、スカンジナビア系、オランダ系の白人も、同等の地位を分かちもっています。ご記憶のことでしょうが、ルーズベルト家はオランダ系です。
 しかし、人種差別は決してアメリカだけに特有の問題ではありません。イギリスでは、黒人の数はアメリカに比べて非常に少ないのですが、それでもイギリス国民の、彼らに対する憎しみの感情には似たようなものがあります。この問題については、われわれは皆、アメリカ人を批判するにも謙虚でなければなりません。
 われわれイギリス人は、遠い昔、先住民たちをウェールズの山中へと追いやりましたが、ウェールズの人々はこのことを決して忘れてはいません。日本人もまた、かつてアイヌを追い立てて、いまではほとんど北海道だけに居住地を限っています。もちろん、祖先たちが昔受けた仕打ちを覚えているアイヌは少ないでしょうが、彼らもこれまで時折は、かつて多くの土地を領有していたことを思い起こすことはあったでしょう。そのようなとき、アイヌたちは、失った土地を悔やみ、それを奪った人々に怒りを感じたのではないでしょうか。
 このようにみてきますと、他の多くの国民も人種的偏見をもっており、アメリカ人がインディアンから土地を奪ったのと、まったく同じことをしてきたことに気づくのです。
 池田 問題はそうした人種的偏見をいかになくすかですが、これは人々の心の中にあるものですから、その解決にはたいへんな困難がともなうでしょう。政府も良識ある人々も、努力はしているようですが、やはり一般市民の心には抜きがたいものがあるのでしょう。
 これを解決するには、現在のアメリカでも黒人だけの国、インディアンだけの国をつくってはどうかという人もあります。たしかにそれも一つの考えですが、イスラエルのようなケースになることも考えなければなりません。互いに憎しみ合ったままで独立の国をつくっても、争いはなくならないでしょう。いずれにしても、人々の心から憎悪や偏見をなくす以外に、本当の平和をもたらす方法はないと考えます。
 トインビー 私は、黒人たると白人たるとを問わず、自分たちだけの独立国をつくろうという望みをもっている人々は、あまりに楽観的に過ぎるのではないかと思っています。インディアンのなかにも、合衆国内に自分たちだけの州を与えてくれと要求している人々もいますが、これまでのインディアン居留地の歴史はきわめて悲惨です。彼らは考えうる最も粗悪な土地を与えられたわけですが、それらの土
 地は行政的にも不行き届きです。
 南アフリカの白人たちは、独立国の代用としてはあまりにも貧弱な土地へ、黒人たちを押し込めようとしています。いわゆる″バンツースタン″という居住地がそれですが、これにはあまり成功の見込みがありません。
 私の考えでは、黒いアメリカ人も白いアメリカ人も、平等、相互尊重、友好の立場に立って共存していく以外にありません。
 池田 いずれにせよ一国内の人種間の調和を図ることは、きわめて困難なことです。これを解決するための何かよい先例をご存じですか。
 トインビー ハワイはもちろん特殊なケースですが、ここではヨーロッパ系、日系、中国系のアメリカ人が、ともに住み、人種間結婚もして、明らかに調和を保っています。ハワイでこのように実現していることは、他の場所でも可能であるはずです。

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