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日蓮大聖人・池田大作

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1 先進国と発展途上国  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 世界平和にとって、南北問題――すなわち、富と技術の北半球への集中から生じている諸問題――は、きわめて重要な、同時に非常に解決困難な課題です。
 それに比べれば、東西問題のほうがまだ解決しやすいとさえ思えるほどです。今日みられる東西の対立も、多くはそこに南北問題が絡んでおり、それが解決をより困難にしているようにみえます。そうしたことから、南北問題が解決をみれば、東西問題の噴出の場がなくなり、対立も緩和されるのではないでしょうか。
 南北問題のむずかしさは、先進国と発展途上国の格差が、たんに経済問題にかぎらず、政治、社会、文化、教育など、およそ人間の営みのすべての面にわたっていることにあります。つまり、人類の歴史におけるさまざまな発展段階の様相が、あたかも現代という時代に、この地球上に横に分布しているかのようです。
 しかも、その差は縮まるどころか、年を追って激しくなる一方です。それはちょうど同じ十年でも、近代以前における十年と、産業革命以降の、とくに最近の情報化時代の十年とでは、発展の速度に格段の差があるようなものです。こうしたさまざまな発展段階にある国々が、同じスタートラインに立たされて競争している――これが現状のように思われるのです。
 自由競争の原則でいくならば、遅れた国はますます遅れてしまい、東西対立の格好の餌食となりかねません。このような観点からも、南北問題は、発展途上国の国民の福祉のためだけでなく、大きくは世界平和樹立のためにも、将来にわたって人類に課せられた大問題といえるでしょう。
 トインビー 抑制のない競争心が人間事象の支配原理であり続けるかぎり、人類の富裕少数者と貧困多数者の間の物質的豊かさのギャップも、文化的福祉のギャップも、拡大し続けることでしょう。
 人類の富裕少数者の内部では、対立する超大国が世界的権力をめざす危険な競争を行い、援助供与に名を借りて、貧困諸国を衛星国化しようとし続けることでしょう。こうした援助は、善意のない、裏に含みのある動機からなされるものだけに、被援助国にとっては真の利益にはなりません。富裕国の援助が利害抜きであるかどうかをみる決め手は、貧困国が将来自立できる方向で助力しようとしているのかどうか――この点の努力にあります。また、援助が正しい長期的目標を志向したものであるかどうかをみる決め手は、その物質的援助が精神的援助につながるよう設計されているかどうかです。つまり、物質的向上それ自体が目的となってしまうのでなく、精神的福祉への手段として推進されているかどうかなのです。
 池田 おっしゃる通りですね。
 ところで、国際政治という場面に限っていえば、ごく少数の未参加国を除けば、ほとんどの国々が国際連合という、平等の発言の広場をもっています。そこでは超大国も小国も平等に一票をもっているため、中小国が自らの意思を表示する格好の場であってしかるべきです。ところが、現実には決して平等ではありません。
 これを改めるには、当然、大国の考え方の転換も必要ですが、それ以上に中小諸国が、大国の力に依存せず、中小国同士の結束を強めて、自主独立の道を歩んでいくことが大切だと考えます。
 トインビー 国連機構の現状は、各主権国家がそれぞれ一票をもっているため、むしろ非現実的になっています。エチオピアやリベリアのもつ投票権が、アメリカやソ連や中国の投票権と同じなわけですが、しかし実際には、大国と小国の力の差はきわめて大きいのです。
 おそらく将来は、中小国同士が結束を固めようとするでしょう。現にアフリカ・グループやアラブ・グループができています。こうしたグループが互いに助け合い、補い合いながら、国際社会で独自の立場を築いていけることを、私は期待しています。しかし、真に重要なことは、汚染など諸問題の解決のために、大国たると小国たるとを問わず、すべての国々が何らかの形の真実の世界政府へと結束していくことです。しかし、そのような世界政府の形態は、中小国に対して真の平等を保障するものでなければなりません。あらゆる国に、この世界政府の諸政策に対する発言権を与える必要があります。
 現実には、多くの小国が、その環境にかかわる生命線ともいうべき問題で、より強大な国々に踏みにじられようとしています。たとえば、アイスランドにとっては、漁業が死活問題です。したがって、アイスランボには、海水の清浄保全に関するいかなる国際法令にも、公正な発言権が与えられてしかるベきです。
 池田 そうした小国がたくさん集まっている典型的な地域が、現在のアフリカでしょう。かつてアフリカは″暗黒大陸″といわれてきました。そして事実、アフリカ大陸の大部分が西欧諸国の植民地支配のもとにおかれ、黒人は奴隷状態におかれて虐げられてきました。
 今日、アフリカ大陸には多くの独立国が誕生し、黒人は世界の各地でめざましい活躍を開始しています。もちろん、まだ根強い偏見はありますが、しかし、かつてに比べれば随分変わってきていますし、アフリカ大陸に対する呼称も″未来の大陸″などといわれるようになっています。
 こうしたアフリカの人々、またアフリカ大陸が、今後、人類の未来に果たす役割はきわめて大きいと思われます。博士はこの点どう考えておられますか。
 トインビー まず、問題のアフリカとは、サハラ砂漠以南のアフリカのことであり、イスラム世界の一部をなしている北部アフリカではないことを、確認しておきたいと思います。
 アフリカの黒人の生命力、体力には驚くべきものがあります。今日の著名な運動選手の多くが、アフリカ生まれであれアメリカ生まれであれ、黒色人種であるのは、決して偶然ではありません。かつてヨ―ロッパ人たちは、何百万人というアフリカ人を南北アメリカヘ奴隷として輸出しました。他人種であったら、おそらくそのほとんどが、この苦しい体験によって滅んでしまったことでしょう。しかし今日、アメリカ合衆国においてもラテン・アメリカ諸国においても、アフリカ人種はなお生き続け、人口の重要な一部をなしています。私には、人類が存続するかぎり、黒人と中国人が常に生き続けることは確かだと思われます。そして、そのゅたにこそ、これらの人種が人類の未来に、きわだって重要な役割を演じないはずはないと予想するのです。
 また、アフリカ大陸も今後に大きな未来性をもっています。私の友人のギリシャ人で、人類の居住地と、人間とその環境の関係を研究している人物がいますが、彼の指摘によれば、都市の膨張と人口集中を制限する要素は、水の供給力であるとのことです。彼は、世界の淡水の二大供給源は、東アフリカの巨大湖地方と北アメリカの五大湖地方であるといい、さらに、二十一世紀には、これら二つの湖水地方が都市人口の大集結地となるであろうと予言しています。
 アフリカが唯一の″未来の大陸″であるといえば、それは誇張にすぎるかもしれません。しかし、″未来の大陸″の一つになることは間違いないことです。われわれ人類の祖先は、東アフリカのどこかで、初めて人間として出現したと信じられています。したがって、東アフリカに生まれる未来の世代は、もう一度、人間生活における中心的役割を演じることになるかもしれません。いずれにせよ、アフリカ人種は、未来の人類の営みにおいて、精神的、知的、肉体的の各分野で重要な役割を担うことになるでしょう。

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