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日蓮大聖人・池田大作

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3 知識人と大衆  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 一般によくいわれることですが、大衆とか知識人とかいう立て分け方があります。しかし、私は、人間を知識人と大衆に分けるこの発想法には誤りがあると考えています。もちろん、今日に至るまで、あらゆる文明社会は、そのなかに知識人と大衆という区分を維持してきたことは否定しません。しかし、現代文明においてその伝統を踏襲することは、もはや正しくないのではないかと私は考えるのです。
 すなわち、人間は、知識人や大衆である前に、同じ人間であるということをまず大前提におかねばならないと考えるわけです。少なくともこの立場においては、知識人と大衆の境界線などというものはありません。どんなに優れた知識人も、現実の生活においては大衆の一人であって、何ら他の人とは異なるものではありません。普通一般に大衆と呼ばれる人々も、それなりに豊富な知識を身につけた″知識人″なのです。
 たとえば、非常に優れた物理学者であっても、家庭経済の問題については、一介の主婦の英知にははるかに及ばないものです。にもかかわらず、物理学者のほうが平凡な主婦よりも社会的に重んじられる理由は、稀少価値ということ以外にないように思われます。
 トインビー 人間がもつ最も重要な側面は、ともに同じ人間であるということです。人間は、特定の種類の人である前に――つまり、黒人であるとか白人であるとか、仏教徒であるとか儒教者であるとか、ユダヤ人であるとか異邦人であるとか、知識人であるとか無教養な人であるとかの前に――まず何よりも人間でなければなりません。
 人間にとって最も重大な体験とは、常に普遍的なものであり、誰人も避けられないものです。人間はみな生まれては死んでいきます。意識ある生きた存在であることのむずかしさ、われわれが住むこの大宇宙の神秘性というものは、知識人にとっても知識人以外の人々にとっても同じことです。ともに同じ人間として、生死という冷厳な事実を突きつけられるわけです。
 ある社会が知識人と大衆に二分され、そこに互いの疎外感があるとき、それはすでに社会が不健康であることの兆候です。ロシアがこの社会病に冒されたのは、ピョートル大帝による突然で性急な、しかも強制的で表面的な西欧化の後のことでした。ロシア語でいわゆる″インテリゲンチア″(知識階級)とは、ロシアを西欧社会に仲間入りさせたピョートル大帝の政策から生まれた、新しい階級のことです。このロシアの知識階級は、ロシア人を西欧社会の生活様式に組み入れる役割を担った、西欧化したロシア人によって構成されていました。彼らは、ある意味では不幸な階級でした。というのも、彼らは西欧的生活様式への転向によって、ロシア人仲間からは隔絶され、さりとて西欧社会のなかでは心からの安らぎを得ることができなかったからです。彼らの多くは、十九世紀に、あるいは自主的移住者として、あるいは政治的亡命者として、国籍を離脱し、西欧諸国で生活していました。彼らは、西欧的な教育を受けたために、かつて自分たちを出現させた母体である故国ロシアの専制的政権とは、すでに相容れなくなっていたのです。
 十九世紀ロシアの優れた文学作品は、いずれもロシアの文豪たちが、自国の知識階級にとりついた病弊から執筆の動機を得て著したものです。トルストイの作品『アンナ・カレーニナ』には、そのことを物語る場面があります。それは西欧リベラリズムに転向した地主のレビンが、土地を分け与えようとして農奴たちを集める場面ですが、農奴たちは当惑して疑い深い態度をとります。彼らは主人の動機がどんなものか理解できず、彼の真剣さを信じることができません。一方、地主のほうも困り果て、ついには怒ってしまい、結局この招集は実を結ばずに終わるのです。
 一九一七年のロシア共産革命は、これらの知識階級によって成し遂げられたものです。彼らの多くは、かつて長い年月を西欧諸国で亡命生活を送った人々です。彼らの計画は、ロシアの生活様式をいわゆる先進西欧諸国なみに改革することでした。このため、彼らが政権を掌握したとき、トルストイの小説に描かれたような場面が、現実生活において大規模な形で演じられました。西欧化した革命的知識階級とロシア土着の大衆との間には、当然、誤解が生じました。そこで、革命的知識階級はすでに政権を握っていたため、外来の西欧イデオロギーを力ずくで大衆に押しつけたのです。このやり方は、近代啓蒙主義の使徒としての彼らが打倒した、あのロシア旧来の専制政権のやり方と何ら変わるところがありませんでした。
 池田 いま博士があげられたロシアの例は、程度の差こそあれ、日本の場合にもそのままあてはまるようです。明治以後の日本は、長い鎖国時代の遅れを取り戻そうとして、欧米諸国から学ぶことに夢中でした。こうした風潮は、今日でも変わっていません。とくに、日本でいわゆる知識人といえば、その人がどれだけ優れた知恵をもっているかではなく、欧米の思想、学説などをどれだけ知っているかで判断される傾向があります。
 これは、当然のことながら、知識人と大衆の断絶を深めます。本来、知識人とは民衆の生活の場を舞台にして初めて、その知識なり知性を役立てうるものです。したがって、もし一般民衆を根っこにたとえるならば、知識人はあくまでもそこから咲き出る花でなければなりません。ところが、知識人の悪いクセは、自分を一般大衆とは異なった存在として区別したがるところにあるようです。これは、あるいは知性そのものが、もともと分析や区別といった面でとくに機能するからなのかもしれません。しかし、それは自己の拠って立つ基盤を自分で取り払い、自らの存在を危うくすることにほかならないでしよう。
 これに対して、大衆は「知識人に何ができるか」といいます。日先ばかりで行動のともなわない知識人には、少しも歴史を動かす力はないというわけです。こうした知識人と大衆の隔絶、反目をみるとき、私は、これは人間社会にとってまことに不幸なことであり、何としてもこのギャップを埋める努力がなされなければならないと思うのです。
 トインビー 一般的にいって、知識人と大衆の隔絶が生じるとき、知識人としては、人生の普遍的な現実問題との接触を失いやすいものです。一方、大衆のほうは、すべての人が能力に応じて最大限に享受すべき知的教養というものを、そうしたさいに失うことが多いものです。
 今日の西欧社会には、知識人が職業的スペシャリストだけの閉鎖的なサークルを形成して、そのなかで他から超絶して生活し、仲間たちだけのために仕事をするという、不健全な風潮があります。彼ら知識人は、大衆が専門的でなく無知であるとして軽蔑しています。一方、一般大衆のほうも知識人を無視しています。知識人の話はわかりにくく現実的でないというのです。こうした相互の疎外関係は、双方にとって好ましくなく、社会にとっても良くないことです。
 池田 博士はここで、大事な問題点を提起しておられます。つまり、いま述べられたような知的職業家仲間の閉鎖的なサークルが育ってきた理由の一つに、現代の学問にみられる特殊性があげられるという点です。
 現代の学問の内容は、とくに科学技術の急速な発達の結果、あまりに専門的に分化しています。学問の内容がこのように理解しがたくなっているところから、大衆は、知識人に対して敵意に近い感情をいだいたり、あるいは逆に盲目的な崇拝の念をもったりするのではないでしょうか。また、知識人のほうでも、どうせ自分たちのやっていることは俗人どもにはわからないのだという、見下した態度をとることになるのでしょう。このように、学問の内容が高度になればなるほど、分化し専門化して、門外漢には理解しがたくなることが、今日、大衆から知識人を遊離させる大きな原因になっているようです。
 現代の学問を大衆から理解されるものにするためには、専門化から一般化へ、そして分化から総合化へと、学問の流れを変えることが必要でしょう。いいかえれば、学問の世界においても、大衆からかけ離れた高踏性を重んじるのではなく、大衆への緊密性、さらには大衆への指導性――指導性というと語弊があるかもしれませんが、いうなれば人間生活における有用性――を、より重んじていかなければならないと思うのです。
 トインビー 私もまったく同じ気持ちで、専門化の行き過ぎを憂えております。過度の専門化は、専門家と一般大衆――知的ではあっても専門的でないという人々を含めた一般人――を、互いに疎外させます。
 専門家は、そうでない人々を素人として軽蔑したがります。また、専門家でない人々は、専門家に対して、彼らは専門家仲間だけの小さなグループ以外には通用しない無用の長物であるとして、けなしがちです。これは、私個人としては、専門家でない人々の言い分のほうが正しいと思っています。専門家は、たとえそれが自分だけの特殊な分野の研究であったとしても、それを取り囲む環境から孤立して研究を推し進めるなら、やはり偏見に陥ってしまいます。
 現代の世界をよく理解し、これに対処しようとするためには、私には、専門化はまずいアプローチであるように思われます。なぜなら、あらゆる民族、あらゆる人生の様相、あらゆる活動がますます相互依存的になってきているからです。われわれは、全体的な視野を必要とする時代に生きているのです。
 池田 まったく同感です。さらに付け加えていえば、今日の教育のあり方というものが、そうした知識人グループの孤立化に拍車をかけているともいえましょう。
 いわゆる知識人になるには、まず第一に金と時間の余裕がなければなりませんが、大部分の人々にはそれがありません。いうなれば、運命的に定められた生活条件の差異というものが、すでに知識人になるか、それとも早く社会に出て職業に就かなければならないかの分かれ目になっています。運命的というのは、青少年にとってみれば、勉学に当てられる期間というものは、まだ親の援助に頼っている時代であり、自分の力ではどうにもならない場合が多いからです。
 家庭が十分に支援できる力をもたない場合、知識人となれる適応性においてとくに優れている青少年に対しては、国家ないし財団至肩代わりして支援する例がありますが、これもきわめて少数にすぎません。このような、自分の責任ではどうしようもない条件によって差別されているという意識が、恵まれた道を歩む者への羨望となり、ここから知識人と大衆の断絶の一因が生じているということもできましよう。
 トインビー 私もほぼ同じ意見ですが、そこにはもう少し複雑な要素も絡んでいるようです。
 知識人となるためには、三つの条件が必要です。第一に、知的能力です。つまり、天賦の才ということですが、これはしかし、きわめて不公平な形でしか与えられていません。第二に、勤勉さに耐え、よき行動をとる意志です。つまり徳行ということですが、これは各人が自分の力で実践できることです。第二には、長期的にわたる教育です。これには金がかかりますが、それは学生の両親とか、何らかの公共の財源によって支給されなければなりません。知識人として自活できるようになるには、相当の長年月を要するからです。
 いうなれば、知識人と社会とは、互いに道義上の義務関係に立っています。つまり、知識人は、かつて自分の教育のために投資された公共の財源を還元するため、有益な社会奉仕をするという義務を負っています。これに対して、社会は、知識人の仕事が社会に価値をもたらすことを想定して、知識人が能率的に活動できるよう、十分に金銭的援助を与える義務を負っています。
 私の世代には、イギリスでは奨学金制度が十分でなく、奨学金獲得の競争は、いま思ってもあまりに熾郷すぎました。もちろん、いかに恵まれない条件のもとでも、抜きんでた能力の持ち主というものは、常にそうした競争に勝ち抜いたものですし、それは今後も変わらないでしょう。しかし、あまりにも条件が厳しいという場合、最も優れた能力の持ち主以外の人々が、すべてその隠れた能力を社会に役立たせるチャンスを奪われる、ということも考えられるわけです。
 池田 そのような金銭的、時間的な理由から青少年時代に十分な教育を受けられない人々のことを考えると、私は、大衆が一方で職業に従事しながら同時に学問研究ができるシステム、つまり能力と意欲のある人は平等に学問ができる生涯教育のシステムが必要であることを、痛感せずにはいられません。こうした教育制度を確立し、充実させることが、知識人と大衆の断絶をなくす一つの要因になると信じるのです。
 トインビー 同感です。パートタイムの成人教育には十分な時間と金をかけるべきですし、また、労働時間と給料の調整によって、能力と意欲のある人は誰でも、定年に至るまでパートタイムの教育を受けながら、同時に生計の資を得られるようにすべきです。
 これには、次のような十分な理由があげられます。まず、生涯にわたるパートタイムの教育は、一般大衆の知的・倫理的レベルを向上させる最も確実な方法であるということ。次に、人々の生活環境が、現在、あまりにも大きく一生の間に変化することから、常にこうした変化に自分を適応させていくことが必要であるということ。さらには、成人して責任ある立場に立ってからの経験というものは、いついかなる場合でも、貴重な教育の助けになるということです。こうした理由から、成人後の教育というものは、たとえすべての時間をそれにさくことは無理であっても、なお青年期の教育に比べて、実りの多いものとなるはずです。
 池田 その通りだと私も思います。この問題の解決は、人間と文明の問題、人間存在自体についての問題に、カギを提供するものでしょう。
 ともあれ、知識人であるにせよ大衆であるにせよ、今日最も要請されるのは、世の不正を見て何らかの変革をめざそうとする姿勢であると思います。知識人と大衆が互いに不信感をいだき、争っている間は、そうした変革にも意義ある貢献はできず、議論は永久に平行線をたどるだけでしょう。
 われわれは、まず大前提として、知識人も大衆もともに同じ人間であるという原点に立ち戻り、歴史を真に動かすものは、特定の階級やグループではなく、人間一人一人であるという自覚をもたなければなりません。私は、人間がともに同じ人間として、よりよい社会を築こうと決意するなかに、知識人と大衆の疎外が取り払われ、強い連帯が生まれてくることを期待したいと思います。
 トインビー 今日、われわれは、ともに同じ人間同士であることを認め合い、同じ一つの家族員として生きていくことを、まぎれもなく必要としています。そして、私は、宗教こそ、知識人と大衆が再び共通の基盤を見いだす、最良の機会を与えてくれる場であると信じています。

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