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日蓮大聖人・池田大作

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2 文学とその役割  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  池田 文学の役割について考えるときに思い起こされるのは、かつてサルトルが「飢えた人々に対して文学は何ができるか」という問いを発したことです。それ以来、文学が現代においてどのような意味をもつかについて、さまざまな論議が交わされてきました。サルトルの見解をよしとした人々は、文学に対してニヒリストの立場に立っています。また、文学のもつ役割の有効性を信じる人々は、何とか新しい分野を切り拓こうと苦闘しています。
 トインビー 文学は飢えた人々に対して何ができるか、という疑問に対しては、科学的研究は飢えた人々に何ができるかと問い直してみれば、その答えが明らかになります。科学的研究が、飢えた人々に食を与えるのを故意にその目的としたり、その研究活動を、この望ましい現実的な目的の達成だけに限定してしまったならば、かえって、飢えた人々に対してさえもほとんど何もできなくなってしまうでしょう。そうしたことによって目隠しをされてしまうと、科学は役に立たないものになってしまいます。そのような限られた目的に縛られることによって、すでに科学は重要な新発見――それが有益なものであるにせよ、無益なものであるにせよ――を成し遂げるうえで、ハンディキャップを背負ってしまうからです。
 科学的研究というものは、それ自体を目的として追求するとき、つまり、功利的な意図は一切もたずに、ただ知的好奇心の満足だけをめざすときに、初めて諸々の発見がなされるものです。社会的な動機もその他の思惑もない研究が生んだ諸発見のなかに、日論みもせず、期待もしなかったのに、驚いたことには社会的に有益な応用がきくとわかった発見が、いくつもあるのです。
 この一見逆説的なことの真実性が、繰り返し証明され、納得されてきたからこそ、営利をめざす多くの私企業では、科学研究者に金を出して、どんな研究分野でも彼らの興味のおもむくまま自由に探究させれば、それで採算がとれるということに気づいたのです。これら私企業は、事業にとって明らかに利益となる特定の目的に彼らの研究を向けさせることは、むしろ避けたわけです。
 こうした、科学に関する逆説的な真実は、そのまま文学にもあてはまります。たとえば十九世紀ロシアの文豪トルストイは、富裕特権少数者の良心を呼び覚ました点で、世界的な影響を与えています。つまり、その影響は彼ら少数者に、自分たちの特権をなげうってまでも社会を改革しようという気を起こさせたわけです。それはいろいろな形であらわれましたが、そのなかには、飢えた人々に食を与えるということも含まれていました。
 トルストイの人生に対する姿勢は、その″宗教的回心″を境として、二つの明確に異なる段階に分かれますが、それぞれの段階における彼のそうした姿勢は、出版された各作品の性格にはっきりと反映されています。回心以前、トルストイは、たんに衝動のおもむくまま、自由奔放に著述をして、創造的な文学作品を生み出していました。しかし、回心以後は、彼は芸術のための芸術を追求するのは自己満足にすぎず、社会的にも無責任であると考えました。そして、芸術家はすべからくその天分を意図的に、人類の福祉増進に捧げなければならないという立場をとったのです。このため、回心後のトルストイの作品は、すべてこの限定された、功利的な目的にそったものとなっています。
 ところが、彼の回心前の著作は、この社会的効果を意図的にねらった回心後の作品よりも、純粋な文学的価値という基準からみて優れているばかりでなく、社会的にもより大きな影響を与えています。回心前のトルストイの作品は、その文学的価値によって読者を感動させますから、読者はいきおい、作品に示唆されている方向への社会改革を啓発されます。ところが、それは必ずしも、トルストイが執筆にあたって意識的にめざしたことではありませんでした。
 ソ連の共産主義政権は、回心後のトルストイの、文学の役割に関する見解を取り入れています。ソビエト政府では、文学作品は社会福祉の向上のために利用すべきだという立場をとっているわけです。もっとも、社会福祉に関するソビエト政府の解釈は、トルストイの解釈に比べればはるかに狭義で、より多くの論争を呼ぶものです。つまり、ロシアの共産主義者たちにとって、社会福祉とは、共産主義思想の拡張とソビエト政府の権力拡大を意味しているのです。ただし、こうした相違はあっても、トルストイの見解とソビエト政府の見解を比較することの意義は、損なわれるものではありません。
 ソビエト政府のこのような方針の結果、ロシア文学の文学的価値と、その社会的影響性とは、いずれも著しく低下してしまいました。共産主義政権下にあって、ロシアの作家たちのうち、党の方針に従った人々は不毛に終わってしまい、一方、創造的精神のおもむくまま自発的に著作をしてきた作家たちも、表立った弾圧はこうむらないまでも、意欲をそがれたり妨害されたりしてきたのです。
 池田 たしかに、ある特定のイデオロギーのために文学を利用しようとすることは、正しい文学のあり方を歪めるばかりか、それが政治権力によって行われるならば、人間の基本的人権である表現の自由をも踏みにじることになります。ソ連の実情がどうなっているのか、詳しいことはわかりませんが、たしかに博士のおっしゃるような言論弾圧がなかったとはいえないでしょう。ソルジェニーツィンの苦悩もおそらくそうしたところにあったのでしょう。
 トインビー 一九一七年以前の帝政ロシアも、文学的表現の自由を嫌い、恐れていました。しかし皇帝の政権は、現在の共産政権ほど教条的ではなかったため、ロシアの作家たちに圧力を加えれば、かえって政府にとってマイナスになることに気づいていました。つまり弾圧は作家たちの影響力を弱めるどころか、かえって強めることを知っていたのです。
 文学は、作家がその創造的衝動を表現する自発性に比例して、実際的な効果を生むものだということが、近代ロシア史の教える教訓であると思われます。これは逆説のようですが、そう聞こえるだけにすぎません。なぜなら、創造的であるということは、人間の精神生活の源泉からインスピレーションを引き出すことを意味するからです。
 池田 これは非常に有益なご指摘です。科学者と同様、文学者の場合も、自由な精神の発露が真に偉大な作品を生むのであって、もし社会的な目的によって文学が何らかの制約を受けるとしたら、そこからは真実の文学は生まれてこないでしょう。たとえ文学が、飢えたる人々に対して何もなしえなかったとしても、文学の目的が限定されたり、自由な創造性の芽が摘まれてしまうようなことがあってはなりません。ただいまあげられたような歴史上の教訓に照らしても、イデオロギーの極桔に縛られた文学が、広く普遍的な共感を呼ぶことができないのは明らかです。革命後半世紀を経たソ連で、ドストエフスキーを超える世界的な文学作品がいまだに現れてこないのは、そのことをよく物語っているといえましょう。また、コーロッパにおいても、かつて精神的束縛の強かった時代には、幾多の文学者や芸術家が快悩してきたのではないでしょうか。
 トインビー 一般に、表現の自由が拒まれるについては、二つの異なる動機があります。一つには、イデオロギー上の正統性を維持しようという配慮です。これは、キリスト教であれイスラム教であれ、マルクス主義であれ資本主義であれ、他の何であれ、当てはまることです。もう一つは、社会の倫理的水準を維持しようという配慮です。
 教理上の理由に基づく検閲は、まぎれもなく、文学を枯渇させるだけの効果をあげています。したがって、私の意見では、それはいかなる事情のもとでも、決して正当化されるものではありません。しかしながら、こうしたイデオロギー的検閲はやりやすいものです。ある思想や感情の表現が許されうるか否かの決定は、すべて全機能をもつ独裁政権とか教会当局とかの厳命によって行われるからです。
 これに対して、倫理上の理由による検閲は、もっと面倒な問題を提起します。性的な乱交や倒錯、麻薬使用、アルコール中毒、暴力行為などへの傾斜が内密に煽られたり、ラジオやテレビを通じて煽られるのを、すべて放任すべきだと主張する人はほとんどいないでしょう。たいていの大人は、腐敗堕落的な影響をもつと思われるものに青少年をさらすことは、許されるべきでないと考えるものです。しかしながら、実際に腐敗堕落的なものは何なのか、また許容か規制かの境界線をどこに引いたらよいのか、ということになると、一致した意見はありません。そのうえ、どんな規制も逆効果となりかねない、という議論も成り立ちます。制限を加えることによって、かえって好奇心が煽られたり、反対意見を起こしたりするからです。
 池田 文学は時代の精神であり、社会を映す鏡でもあります。したがって、現代のような価値の多様化の時代にあっては、さまざまな方向に分岐するのは当然のことかもしれません。ポルノ文学やフリーセックスを扱ったものが受け入れられているのも、その意味では、現代人の意識の変化を反映するものといえましょう。しかし、このような傾向が長続きするとは、私には思えません。なぜなら、そうした欲望の充足は一時しのぎにすぎないからです。やがて大衆は、見向きもしなくなるでしょう。もちろん、それが青少年を堕落させ、社会を混乱と無秩序に導く悪影響を与えるとの判断から、倫理的、道徳的な面の検閲を強化すべきであるという意見もあります。いや、それがこれまでの支配的な思考法であったといえるでしょう。
 しかし、これに対しては、私は、表現の自由はあくまで保障されなければならないと考えます。いかなる理由によるにしても、ひとたび権力による検閲を許せば、それが突破口になって、思想、信条、信教の自由にまで手が伸ばされることは、歴史の証明するところです。
 トインビー いかなる体制にも、体制外の宗教、哲学、イデオロギーの抑圧に、その権力を用いる権限は道義上まったくありません。
 全体主義的風土にあっては、宗教にせよ芸術にせよ、体制者の日から正統ではないとみなされたものは、花を咲かせることができません。こうした風土のなかでは、正統派の文学や芸術までも立ち枯れてしまうことがあります。体制からの抑圧や審間がひどいと、正統派の作家や芸術家でさえ検閲にひっかからないよう、そうした危険を避けることをまず考えなければなりません。こうした懸念があると、創造力を発揮させる条件としての自発性を殺してしまいます。
 しかしまた、同時にいえることは、全体主義体制のもとでいくつかの偉大な文学作品、芸術作品が生まれたことも、歴史上の事実だということです。たとえば、西暦四世紀から十七世紀にかけてのキリスト教諸国や、より近代に至るまでのイスラム教諸国の体制が、これに該当します。
 つまり、詩人なり芸術家なりが、支配的なイデオロギーに完全に同調し、それによってもはやじっとしていられないほど啓発されている、ということもありえます。この場合、全体主義体制のもとで生活し、仕事をしておりながら、当人としてはそこからの束縛を一向に感じていないということでしょう。自分が制約を感じていないかぎり、その人は精神的に自由なわけです。
 ダンテは、当時の西洋キリスト教世界に異端の徒がいて、罪を負わされ死刑に処せられていたことを、まぎれもなく知っていました。しかし、おそらくダンテは、異端者に対するこうした処置は正当なものであり、当たり前であるとみなし、もしも自分が異教徒であったなら、などとは夢にも思わなかったことでしょう。ダンテの例にみられるこうした精神状態は、たぶんキリスト教教会のために絵画を描き、彫像や図像を彫った芸術家たちにも、また儀式用の音楽を作詞、作曲した音楽家たちにも共通するものであったはずです。もしダンテが、全体主義的体制下に生きていること、したがって自由人でないことを知らされたなら、彼はきっと真剣になってそのことを否定したことでしょう。
 ひとくちに全体主義体制といっても、その抑圧の程度にはもちろん差があります。ヒンズー世界や東アジアの観察者の目から見たなら、中世キリスト教世界は全体主義的と映ったことでしょうし、その判断も正しかったことでしょう。ところが、ダンテにしてみれば、すでにそのなかでも十分に精神の自由をもっていたことになると思うのです。つまり、ダンテが、もしキリスト教以前のイタリアとか、彼の時代のインドや東アジアなど、宗教が数多く並存し、しかも宗教的理由による迫害がほとんどなく、あっても比較的穏やかな地域に生まれた詩人であったなら、それはそれで彼も精神的に自由だったことでしょう。しかし、中世キリスト教世界にあっても、彼はなおそれに劣らぬ精神の自由を享受していたのです。
 ところが、これに対して十九世紀ロシアの作家たちの場合は、ロシア帝政の抑圧主義を意識し、それによって影響されていました。さらに、現ソビエト政権下にあって、体制化した共産主義信仰の熱烈な信者が、中世西洋のキリスト教詩人ダンテの場合と同じく、まったく自発的に、しかも自らの頭上低く垂れこめる全体主義的不寛容の暗雲には何らの不安も感じることなく、マルクス・レーニン主義の理論と神話を崇高な詩に託して表現するなどということは、想像しがたいことです。
 マルクス・レーニン主義体制のもとにあっては、精神的自立の代償はまぎれもなく弾圧となります。現在の共産主義諸国の圏外においても、もし今後、人類の無秩序な混乱状態を安定化に導くのに必要な機関として、世界的な全体主義政権が現れることになれば、その時は、精神的自立の代償として弾圧が加えられることになるでしょう。
 ギリシャの詩人アイスキュロスは、適切無比な二語(ギリシャ五じで「学習は苦悩から生まれる」といっています。ダンテの場合も、その苦悩の体験が、たしかに彼の詩の一つの源泉になっています。もっとも、ダンテの苦悩は、全体主義的な教会制度から受けたものではありません。そこでは彼はまったく自由に生き、感じ、考えていました。しかし、彼は恋に破れ、さらに故郷の都市国家から追放されたのでした。もしダンテがこの二重苦を味わわなかつたとしたら、あの『新生』や『神曲』は決して生まれなかったでしょう。
 池田 ダンテが全体主義的な中世のキリスト教世界にあって、何ら抑圧を感ずることなく精神の自由を謳歌していたというのは、彼が時代に合致した強い信仰心をもっていたからでしょう。このダンテのような場合には、創作にあたっての主要な動機が、実際的な社会的目標の達成でなかったことは確かです。しかし、十九世紀ロシアの作家たちの場合には、そうした打算的なものが、彼らの創作活動の大きな目標となっていたわけです。実際に、彼らのうちの何人かは、自らの社会的使命が不毛に終わることを知って、ニヒリストになっています。
 この傾向は、現代にも通じるものであり、多くの作家が、文学によって飢えた人々を救いえないとして、ニヒリズムに走っています。私は、彼らが虚無的、厭世的な諦観に陥っていることのかげに、文学・芸術がきわめて内省的な傾向に走っていることを指摘しなければならないと思うのです。
 トインビー 私は、ニヒリズムとは、それに代わるべき何らのビジョンももたないままに、人生と宇宙にただ絶望し、これを拒否することであろうと想像します。こうした否定的な反応が勢いを得て一般的になると、それは文学その他の形式をとって表現されやすいものです。ある心理状態が、文学という説得力のあるものによって表現されると、その心理状態は強化されて定着してしまいます。その意味で、私も同じく、ニヒリスティックな文学は嘆かわしく思うのです。
 いわゆる内省ということには、次の二つの目的のいずれかが考えられます。一つは、他の人々や宇宙との触れ合いを避けて、自己の内面に閉じこもることです。もう一つは、精神の意識下の深層において″究極の精神的実在″との触れ合いを探求することです。この二つの目的のうち、前者をめざす内省は孤立主義的なものであり、後者をめざす内省は調和主義的なものです。また、前者は否定主義的であり、後者は肯定主義的なものとなります。内省的な文学は、それを動機づけ啓発する内省の性質によって、否定主義的にも肯定主義的にもなりうるわけです。私は、否定的な内省文学は嘆かわしいと思いますが、肯定的な内省文学はむしろ歓迎したいと思うのです。
 私はまた、文学の役目というものが、善悪いずれにせよ、特定の世界観を広めることにあるとは考えません。それが社会的であれ形而上的であれ、目的を意識的にもつ文学は、文学本来の目的を果たさずに終わってしまうことでしょう。文学固有の働きは、人間生活の諸事実、諸問題を描写し、論評することにあります。私は、文学とは率直で、しかも勇気あるものでなければならないと思っています。
 池田 文学の目的が限定されることはもちろん誤りであり、あくまでも創造的精神の自由な発露が認められなければなりません。しかし、そうした個人のなかに自由な創造的精神が生み出されるためには、人生に対する真摯な姿勢、人間の苦悩に取り組む何らかの動機がなければなりません。こうしたものが作者の心にあって初めて、それが作品として外に発現するのであり、そしてそのとき、万人の心を打つ、偉大な有用性をもった文学が生まれてくるのだと思います。
 そうした意味で、私は、もちろん文学の目的を初めから規定するわけではありませんが、あくまでも結果として、あえて飢えた人々さえも救うことのできる偉大な文学が創造されることを期待してやまないのです。
 トインビー 芸術のための真の芸術は、同時に人生のための芸術です。もちろん、芸術家がもし人類同胞のためでなく、もっぱら専門家仲間だけのために著述するような職業的専門家になってしまえば、芸術はたしかに不毛となってしまうでしょう。
 私の見解では、そうしたものは、もはや芸術のための芸術でさえなく、芸術職人のための芸術にしかすぎません。しかも、それは芸術職人のためということさえはき違えているのです。そうした意味からも、私は、文学にしても、あるいは科学や学問にしても、少数者だけのものになってしまったなら、それこそ不幸なことであり、社会的病弊の兆候であると思っているのです。
 池田 私も、文学はやはり、人々に生きる勇気を与えるものであってほしいと念願しています。人間が地獄に向かって真っ逆さまに落ちていく姿に″美″を求めようとするような文学が与えるものは、生への絶望的な気分でしょう。あくまで人間として生き抜く真摯な姿のなかに、人間らしい生命の尊厳が見いだされると思うのです。
 トインビー 文学は、人生のさまざまな挑戦に応戦してこれに打ち勝つ人間本性の力というものに、決して望みを失うことなく、あくまでも人生の諸悪や困難に対して真正面から立ち向かうべきです。たとえそれに打ち勝つことの保証は何もなくとも、われわれは、なお人生の戦いに勝利を得るべく、奮闘しなければなりません。

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