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日蓮大聖人・池田大作

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3 現代都市の諸問題  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  (1) 地価の高騰とビルの高層化
 池田 現在、巨大都市の抱える諸問題は、世界的にますます複雑化するとともに、その深刻さを増しつつあります。とくに日本の大都市においては、道路、住宅、上下水道、ゴミ処理、緑地不足、交通戦争、物価高、環境汚染等々、およそ人間が人間らしい生活を営むのに必要な諸条件が、極度に軽視されています。
 しかし、これは日本のみの問題ではなく、ある意味では、こうした都市の諸問題は、現代文明自体のもつ欠陥が凝縮して噴出したものだといえましょう。これら諸問題の解決は、当然、政治に課せられるものではありますが、都市化現象がこのように激しくなってきている以上、あらゆる分野の人々が協力して、早急に抜本的な対策を立てる必要があると思います。
 トインビー 都市化現象は、現代の生活様式にみられる際立った傾向の一つです。しかも今日の都市生活の状況には、暴露的な働きがあります。つまり、あたかも凹面鏡のように、そこには現代生活のいろいろな汚点が誇張的にさらけ出されています。急速に発展しつつある世界の諸都市では、ただいま列挙されたような現代の病根が、極限状況にまで達しています。
 すでに今日まで、急増している世界の人口の大部分が各都市へと流れ込んでおり、一方、縮小しつつある農村地帯に残った人々の生活も、しだいに都市化されています。都市自体が、高速道路という形でその触手を遠く農村にまで伸ばすにつれ、農耕や牧畜が機械化されているわけです。
 池田 まことに深刻な事態というべきです。そうした現象にともなって、まず地価が高騰してきました。これは、都市に生活する人々にとって、とくに大きな悩みの一つです。
 日本でも人口の都市集中が続いており、それにともなって土地の価格は年々上昇を続けています。そのため大部分の人々にとっては、自分の土地をもち、自分の家を建てたいという願いも、かなわぬ夢となりつつあります。
 東京などでは、すでに人口の増加がピークに達しており、ここ数年間は若千の減少さえ示しているものの、それでも住宅事情はますます悪化するばかりです。とくに民間アパートの多くは、大戦後まもなく建てられた木造建築であり、そのため耐用限度にきていて、改築しなければならないところが増えています。改築されたアパートは、当然賃貸料至局くなりますから、これはアパート住まいの庶民にとっては、たいへん不利になるわけです。
 トインビー そうした問題が日本で切実なのは、私も知っております。しかし、この問題は世界的なものです。地価の高騰は、イギリス各紙の紙面を埋めている数えきれないほどの住宅関係記事を見てもわかるように、今日、イギリスでも緊急の課題となっています。しかし、世界中で最も住居問題が切実なのはおそらく香港でしょう。あの巨大な人口を、きわめて限られた地域に住まわせなければならないからです。
 先年、香港に滞在したとき、私たち夫婦は、新しくできたアパート建築のいくつかを見せてほしいと申し出ました。香港では、この十年間に全人口の四分の一、つまり四百万人のうち百万人までが、高層アパート群に転居しており、その業績には目をみはるものがあります。ともあれ、私たちは、イギリス人の役人の案内でそのいくつかを見て回ったわけですが、非常に困難な条件のもとで、中国人たちがじつに秩序よく生活しているのには、まことに感心させられました。中国人は、家族内の結束が強く、子供たちもよくしつけられているため、あのような、ヨーロッパ人にはとても耐えられない環境のなかでも生きていくことができるのでしょう。こうした方面に示される彼らの能力には、じつに驚かされます。
 池田 たしかに中国人をはじめとして、一般に東洋人は、そうした困難な環境に順応する能力が優れているのかもしれません。しかし、狭い家屋に住むことが苦痛であるのは、洋の東西を問わず、どの民族にとっても同じことです。
 ところで、これもまた世界的な傾向かもしれませんが、日本では、最近、土地が投機の対象となって、地主やブローカーが地価の高騰に便乗して大儲けをするという傾向が強まっています。毎年の長者番付では、これらのいわゆる土地成金が上位を占めるという、不健全な状況さえみられます。こうした現状に対しては、何らかの手を打つ必要がありますね。
 トインビー イギリスでも、投機的な土建業者たちが、ほとんどスキャンダルともいえるほどの大儲けをしています。この連中は、建物や土地の資産価値が急騰するのを見越し、そこからくる巨額の利ざやを懐にしようとして、建物を何年間もカラにしておくのです。
 土地は人間の生活に不可欠のものであり、しかも限られた面積しか利用できないのですから、土地を投機の対象として私腹を肥やそうなどというのは、きわめて間違ったことです。土地は、ほかの生活必需物、たとえば水とか鉱物などと同様に、私利私欲を貪る個人の手にゆだねるべきではありません。
 池田 おっしゃる通りです。土地は、一部の金持ちや、投機をねらうブローカーの独占物にさせては断じてなりません。そこで、一般庶民が土地を生活必需物として使用できるようにするには、まず地価を抑制することが必要です。ところが、地価の高騰をめぐる問題は、すべて需要が多すぎるところからきているわけで、これだけの需要がある以上、自由経済のもとでは地価の高騰はますます避けられなくなるでしょう。これを防ぐためには、私は、土地をしだいに公有化していく方向をとる以外にないと考えます。
 トインビー 公共の利益を図って地価を抑制すべきである、とのお考えに私も同感です。土地は乏しい必需物であり、しかも、他のあらゆる物資が土地の有無によって左右されます。人間の営みにしても、すべてその通りです。したがって、私も、土地・建物はすべて公有化すべきだと考えます。
 その場合、現に所有者自身が住んでいる家屋については、かなり割の良い補償額で、またオフィスビルや工場などに対しては、比較的低廉な補償額でこれを買い上げるべきでしょう。投機家たちが押さえている土地や建物は没収すべきです。また仮に投機家たちに補償金を支払うにしても、それは彼らが投機という反社会的行為に費やした金額より、はるかに低額のものにすべきです。
 池田 土地や建物を公有化する方法に関する博士のお考えに、私もまったく賛成です。それ以外に解決の方法はないでしょう。
 次に、こうした地価の高騰と並んで、もう一つ、ビルの高層化という問題があります。さきほどのお話のなかに、香港で百万人もの一般市民のための高層アパートが建てられた例が出ましたが、最近、日本の大都市でも、マンションと称する高級アパートが続々と建てられています。これは、買い取るにしても賃借りするにしても、一般庶民の給与水準では、高嶺の花です。
 さらに、こうした高層アパートが建ったため、隣接地に住む人々が日陰になってしまうという、日照権をめぐる問題が大きな社会問題となっています。都会に住む人々にとって、太陽の光と爽やかな風を奪われた生活は、肉体的にも精神的にも耐えがたい苦痛となるからです。こうした高層化現象は、もとより避けられないでしょうが、それにしても、住民が等しく日光や環境の恵みを得られるよう、総合的な計画が立てられ、そのもとに行われる必要がありましょう。
 トインビー 日光や風が周囲からさえぎられることは、たしかに高層アパートの建設から生じる一つの問題ですが、その他にも不都合なことがいくつかあります。
 一つには、まず、巨大なアパート群のなかで生活している人々は、互いに物理的な意味での隣人でしかないということです。こうした建造物に住む人々の間では、個人的な接触が生まれるということが、まずほとんどありません。これは社会的にみて、非常によくないことです。
 次に、母親と子供が、建物の高さや大きさ自体に悩まされるということです。母親にとっては、アパートの最上階から降りていって子供のために遊び場を見つけ、子供たちが遊んでいる間見守ってやれるだけの時間はとてもないでしょう。そうかといって、子供と一緒に降りていけないとなると、今度は自分が見守っていない間に子供たちに何が起きるか心配で、とても子供だけを行かせる気にはなれないというわけです。
 池田 たしかに、ビルの高層化にともなって、人間疎外はさらにはなはだしくなる傾向があります。反自然的、反人間的な環境は、人間を不幸にするばかりです。
 人間を大切にし、住みよい環境をつくりだすには、これからは、人間同士の調和を実現するとともに、人間と自然との調和を取り戻すような都市計画、土地利用計画がなされなければなりません。そのためにも、さきほどご指摘がありましたように、土地の公有化ということが必要になってくるでしょう。
 トインビー 仮に社会が一切の土地・建物に関する所有権を持ったとして、ではそのような社会では、住宅用に建てられた高層ビルに対してどのような方策をとるべきでしょうか。
 これまで投機家たちは、最大限の私利を得ようとして高層アパートを建ててきたわけです。ところがこの新しい社会では、すでに社会的にも個人的にも不都合となった建物に人を無理やり住まわせるという、投機家と同じ動機はもはやないはずです。ただし、土地不足という問題には、依然として直面せざるをえないでしょう。かつてギリシャの地理学者ストラボンは、西暦紀元初めのころ、その著書の中で次のような指摘をしています。すなわち、古代ローマ市は、その高層建築物をすべて一階建ての建物に置き換えるならば、おそらくその広さは一方の海辺からもう一方の海辺にまで至ることであろう――と。
 今日、人口爆発の時代にあっては、土地の利用をめぐって二律背反的な二つの主張があり、そのどちらが社会的な利益になるかで鋭い対立が起ころうとしています。つまり、土地は農耕や牧畜のために使うべきか、あるいは高層化を避けるために人間の居住用に使うべきか、どちらを優先させるかという意見の対立です。
 私は、これには妥協案が必要だろうと思います。そして、たぶん新しく建てられる住宅用の土地としては、食料の生産に最も適さない場所を選ぶべきでしよう。しかし、そのような場所といえば、たいていは岩の多いでこぼこの土地になるはずですから、地形的にも不便で、建築費も高くつくことでしょう。また、現在の会社や工場の密集地帯からも、はるか離れた場所にならざるをえません。それでもなお、一家の稼ぎ手は、生活のためにそこまで通い続けなければならないわけです。したがって、われわれは、住宅だけでなく経済・生産活動用の建物も、漸次集中化をとりやめ、分散させていかざるをえなくなるでしょう。
2  (2) 交通機関の未来像
 池田 次に、将来の都市交通機関はどうあるべきかについて、ご意見を伺いたいと思います。
 今日の交通機関の主役は、いうまでもなく自動車ですが、バスは別として、自動車は輸送手段としてはきわめて効率が悪く、運ぶ人数の割に道路で大きな面積を占めるという欠点があります。しかも混雑による交通マヒのため、自動車本来の利点であるはずのスピード性も失われ、また一方通行などの交通規制によって、どこへでも行けるという自在性も低下しています。また、有限の石油資源を消費し、大気を汚染しています。さらに、人間に与える殺傷度も大きく、わが国ではしばしば″走る凶器″とか″走る棺桶″などといわれているほどです。
 だからといって、私は自動車を全廃すべきだというつもりは、もちろんありません。ただ、時代の趨勢として、このままでは自動車のもたらす弊害がますます増えていくでしょうし、都市交通が動脈硬化に陥ってしまう心配があることから、早急に何らかの対策が講じられなければならないと考えるわけです。
 トインビー 私は都市内では、ただ一つの例外として医師の車だけを除いて、あとはすべての自家用車が立ち入り禁上になるよう期待します。そして、この禁止区域内は、公共の交通機関によって独占されることが望まれます。そうすれば、この公共の交通機関は、その数も増え、スピード性も増し、料金も安くなることでしょう。
 その場合、郊外から都市へ向けてやってくる自家用車に対しては、すべて都市周辺の駐車場に止めるよう指示が出されるべきでしょう。これは、すでにベニス市で実施されていることです。また、商業用のトラック類が都市内への立ち入りを必要とする場合にしても、それは公的交通機関の乗客たちの交通量が、最も少なくなる時間に限って、短時間だけ乗り入れを許可すべきでしょう。平日の朝夕のラッシュアワーには、商業用車両の市内通行を禁止すべきです。
 池田 日本でも日曜日などは、大都市の繁華街への自動車乗り入れを禁止して、歩行者に開放するようにしている例があります。これは、ニューヨークが初めて試みたことを模倣したもので、それなりに利点はあるものの、都市交通問題に抜本的な解決を与えるものではありません。
 私は、もし根本的な解決を考えるのなら、自動車の生産や販売台数を、道路施設の許容量と勘案して、厳重に規制することが先決だと思います。また、交通事故を減少させるには、運転免許を認可するさいに、より厳格な性格審査や運転上の道徳教育を行う必要があるでしょう。
 もちろん、博士が指摘されたように、自動車がなくても困らないように、都市部と近郊の公共交通機関を充実させることは必要です。私は、おそらく未来の都市交通機関は、自動車に代わって地下鉄、高架電車、モノレールなどが主役になるのではないかと予想します。
 トインビー 自家用車の総台数は、当然、制限すべきです。立ち入り禁止区域以外での運転を許可される車の台数も規制しなければなりません。また、運転免許の取得条件も、より厳格にすべきです。
 自動車に関する行政上の方針としては、いつの場合も、常に経済的配慮より社会的配慮を優先すべきでしょう。ところが今日、自動車製造業者たちは、彼らが頑張ることによってたとえ社会的にどんな悪影響が出たとしても、最大限に生産するよう奨励されています。これは最大限の生産が最大限の利潤、一雇用、輸出を促進するところからくるのです。しかし、そうしたことは、営利のために生活を犠牲にするような社会でとられる方針です。
 このような方針が招く悪い結果もまた、われわれ人間の価値の優先順位を抜本的に変革する必要があることを物語る、数多くの材料の一つです。

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