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日蓮大聖人・池田大作

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序文  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  序文
 読者諸氏は、「目次」を一瞥すれば、本書が広範な話題を扱っていることをただちに知るはずである。そのように多くの話題がこの対談で論じられた理由は、それらがいずれも二人の対話者にとって個人的な関心事であったためである。対談は、いまこうして上梓されることになった。それは両著者の日本における、世界の英語圏における、あるいはその他の地域における同時代人にとってもまた、これらの話題が共通の関心事であれば――との願いからである。
 本対談は、もともとは口頭で行われたものである。二人の対話者はロンドンで会い、対談は約十日間にわたって行われた。こうして交わされた対話の記録が、その後、リチャード・L・ゲージ氏によって調整され、編集されたのである。ゲージ氏の手になる編集は優れたものである。が、同時にそれは骨の折れる作業でもあった。文字を追う読者の眼というものは、話として聞く者の耳に適する言葉とはまた違った、別の表現を要求するからである。こうした労をとってくれた同氏に対して、本書の二人の共著者は深く感謝している。そして、読者諸氏もおそらく同様の感慨をいだかれるものと信じている。
 本書で論じられた話題はじつに多種多彩である。あるものは現代の差し迫った関心事であり、そうした切実な問題のあるものは、かつて程知れない遠い昔、われわれの祖先が自意識に目覚めてよりこのかたずっと思索され続け、話題にのぼってきた、永久に重要な疑問でもある。これらの永久的な疑問は、人類が心身統一体の存在としてこの物質的環境の中で――いいかえれば惑星「地球」を薄く覆う″生物圏″(バイオスフェア)の中で――生き続けるかぎり、おそらく今後もずっと論じられていくことであろう。
 池田大作は東アジア人である。アーノルド・トインビーは西欧人である。西欧は、人類史のいちばん最近の段階において主導権を握り、支配的な役割を演じてきた。アーノルド・トインビーは、本書において、人類史の次の段階では、西欧がその主導権を東アジアに譲り渡すことになろうと予測し、そのいくつかの理由をあげている。人類はこれまで、過去五百年間に西欧諸民族がその活動を世界的に拡大させてきたことの結果として、技術面での統合をみてきた。二人の共著者は、本書において、人類がその歴史の次の段階で政治面、精神面にわたる統合化に成功するであろうと予測し、期待することで、同じ見解に立っている。ただし、こうした大きな変革が、人類全体にわたる平等を前提として、つまりこれ以上一部の人間が他を支配し続けることなく自主的な形で実現される見通しについて、池田大作はアーノルド・トインビーよりも希望的である。この一部の人間が他の人々を支配することこそは、一つの悪であり、過去において、全世界的規模には至らなかったにしろ、かなり大規模な形で政治的、精神的統合がなされたさいに、あまりにもしばしば支払われた代償であった。
 両著者は、人類の存続に不可欠の条件として、人類がその姿勢、目標、行為に根深い変革を行うことの必要性をともに信じている。ただ、全体としてみれば、アーノルド・トインビーは、人類がそうした根深い変革をなすには高価な代償を支払わねばならないと予測する点で、池田大作よりも悲観的である。アーノルド・トインビーがこのようにどちらかといえば悲観的なのは、たんに彼の年齢だけによるものであろうか(人間は誰しも老齢に達すると一般に世の中を″ひが目″に見やすい、というのはよく知られた事実である)。あるいは、それは彼が西欧人として、二十世紀には人類が「西欧の没落」を目撃することになるというシュベングラーの信条を、ある程度分かちもっているためであろうか。あるいはまた、彼が自らの天職として歴史家の道を選んだことにより、そしてそれゆえに従来の人間生活の政治面における、またそれ以上に精神面における人類の悲劇的な失敗――技術面での業績の輝かしさに比べるとき、はなはだ際立ったものとなる失敗――を、とくに(たぶん過度に)意識するためであろうか。
 池田大作がそうあるべきと考えるよりも、人類史の次の段階がより暴力的かつ野蛮なものになるのではないかとアーノルド・トインビーが恐れるもう一つの理由は、たぶん二人が生まれ育った宗教的土壌の違いにあると思われる。アーノルド・トインビーはキリスト教徒として生まれ育った。池田大作は北伝仏教(大乗仏教)の信奉者である。仏教もキリスト教もともに広い地域――これまでに広まったいかなる非宗教的制度の場合よりも広い地域――に普及した。しかし、両宗教の流布にさいしてとられた手段、およびその与えた影響には違いがあった。仏教は、ほとんど平和的伝播によってのみ広まっていった。しかもその流布地域にあっては、土着の既存宗教、既存哲学と出合ったさいにも、何らためらうことなく、それらの宗教、哲学と平和裏に並存してきた。中国においては道教や儒教と、日本においては神道と協調しつつ、その地での生活様式を形成してきたのである。このような仏教に対して、キリスト教のほうは、その姉妹宗教たるイスラム教と同様排他的であり、多くの場合、力ずくで押しつけられてきた。たとえば、ローマ帝国領内の住民の大多数に対して、ョーロッパ大陸のサクソン系人種に対して、またコロンブス発見以前からメキシコやベルーに住んでいた諸民族に対して、それぞれ力による布教がなされた。キリスト教史のもつこうした暗い一面が、あるいは、社会的大変革を平和裏に達成する可能性について、一キリスト教徒ないしは一脱キリスト教徒をして、一仏教徒よりも懐疑的にさせるのかもしれない。
 しかしながら、両著者におけるそうした宗教的、文化的背景の違いにもかかわらず、二人の間で交わされた対話には、それぞれの人生観、目的観に、多くの合致点がみられるのはむしろ驚くべきことである。しかも、そうした合意点はきわめて広範囲に及んでいる。そして相違点は比較的わずかである。まず、二人は宗教こそが人間生活の源泉であると信ずる点で同じ見解に立っている。また、人間は宇宙の万物を利用しようとする生来の傾向性を克服すべく不断の努力を払わねばならず、むしろ己が自在に宇宙万物に捧げじめ、もって自我を″究極の実在″に合一させるべきである、とする点でも二人は同意見である。ここに″究極の実在″というのは、仏教徒にとっては″仏界″のことである。二人はまた、この″究極の実在″が人間の姿をした人格神ではない、と信ずる点でも立場を同じくしている。
 二人の共著者は、さらにカルマ(宿業)の実在を信ずる点でも同じ立場に立っている。カルマとは、字義通りには″行為″を意味するサンスクリットであるが、仏教用語では倫理上の″銀行口座″のようなもの、といった特殊な意味を帯びてくる。この″銀行口座″にあっては、心身統一体としての人間の、現世における一生の間に、貸し方・借り方の勘定が新たに記帳され、そのたびごとに残高が絶えず変動している。しかもこうした人間のカルマの残高は、いかなる特定の瞬間をとってみても、それまでに記帳された貸し方勘定・借り方勘定がプラスであるかマイナスであるかによって決まってくる。ただし、カルマを背負った存在としての人間は、それ以後の行為によってこのバランスシートを良くも悪くもでき、またそうせざるをえない。したがって、その意味では、少なくともカルマの一部に関しては、人間は自由な行為者なのである。
 また二人の共著者の見解では、人間にとっての永久の精神的課題は、己の自我を拡大し、その自己中心性(エゴティズム)を″究極の実在″と同じ広がりのものにすることである。事実、自我は″究極の実在″からは分離しえない。ヒンズー教には″タット・トヴァム・アシ″すなわち「汝(人間)はそれ(″究極の実在″)なり」という格言があるが、こうして「汝」と「それ」の同一性を述べたところで、それはあくまで一つの命題にしかすぎない。しかして、それは厳しい精神的努力によって現実生活に生かされる必要が、どうしてもあるのである。こうした個々の人間による精神的努力こそ、社会を向上させる唯一の効果的な手段である。人間同士の関係は人間社会を構成する網状組織(ネットワーク)であるが、諸制度の改革というものは、それらがいま述べた個々の人間による精神変革の兆候として、かつその結果として現れてきたとき、初めて有効たりうるのである。
 このように、本書の対話内容における、東アジアと西欧からの両当事者の合意点は、じつに広範囲にわたっている。これはいかにして説明すべきであろうか。人類は今日、地球全域において数多くの、切実な、共通の諸問題に直面している。これらの諸問題は、いまや貧富の差を問わず、技術上の先進性、後進性を問わず、われわれすべてを悩ませている。一民族にとっての、あるいは一個人にとっての父祖伝来の宗教がたまたまインド系の宗教であろうと、あるいはまたユダヤ系の宗教であろうと、それにはかかわりなく、これらはわれわれ全体にのしかかっている。このように、人類共通の諸問題が現今かくも普遍化しているのは、ひとえに過去五百年間にわたる西欧諸民族の活動の拡大により、世界的な規模の技術的、経済的関係の網状組織がつくられたという歴史上の所産なのである。技術や経済の関係が密接になれば、政治、倫理、宗教における関係も、また当然密接になる。事実、現在われわれは一つの共通的な世界文明の誕生を目撃しているが、これは西欧起源の技術という枠組みの中で生まれながらも、いまやあらゆる歴史的地域文明からの寄与によって精神的にも豊饒化されつつある。池田大作とアーノルド・トインビーの世界観にみられるじつに多くの共通点をいくぶんなりとも説明づけるものは、あるいはこうした人類史における最近の傾向なのかもしれない。また、それを説明づけるもう一つのものとしては、二人の共著者がその哲学論、宗教論を交わすにあたって人間本性中の意識下の心理層にまで分け入り、そこにいつの時代、いかなる場所においてもあらゆる人間に共通する、人間本性の諸要素というべきものにまで到達していることが考えられよう。すなわち、人間本性の諸要素といえども、やはり森羅万象の根源をなす究極の存在基盤から発生した存在だからである。
 本序文では、ここまで本書の両著者の共通の立場から述べてきた。しかし、いまここでアーノルド・トインビーは、池田大作に感謝の意を表したい。本対談を行うにあたり、池田大作がそのイニシアチブをとってくれたこと、またその後本書の発刊にさいして諸手配をしてくれたことに対してである。すなわち、アーノルド・トインビーがすでに旅行を困難と感ずる年齢に達していたとき、池田大作はすすんで訪英の労をとり、わざわざ日本から会いにきてくれた。本対談中の彼自身の発言部分についての英訳を手配したのも、本書の全内容を書物形式に編集すべく手を尽くしてくれたのも、すべて池田大作であった。これもまた、大変な仕事であった。
 アーノルド・トインビーは、これらの諸事をその若い双肩に担ってくれた池田大作に対し、心から感謝している。
  一九七四年七月 ヨークにて
                 アーノルド・トインビー
  
 なお池田大作は、いまこの最終パラグラフを借りて、アーノルド・トインビー博士に深甚の謝意を表したい。本対談において、トインビー博士は、その豊かな人間性と深い学識とを、惜しみなく、真剣に注いでくれた。すべて人類社会の向上を願ってのことである。この世界的に著名な歴史家が、浅学未熟な一若輩に心から胸襟を開き、終始温かい態度でまったく対等の立場に立ち、諸般にわたる意見の交換をしてくれたことに、池田大作は大きな喜びと名誉とを感じている。
  一九七四年七月
                 池田 大作

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