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日蓮大聖人・池田大作

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陀羅尼品(第二十六章) 「広宣流布の『…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  ″守護の功徳″の莫大を説く
 池田 あれは昭和三十五年(一九六〇年)の七月だった。
 水滸会(人材グループ)の野外研修をした。千葉県のお犬吠埼です。それは、この地の「灯台」のように、全民衆を照らしてほしかったからです。
 戸田先生逝いて二年余。私は会長になったばかり。幹部も皆、若かった。私は、戸田先生の精神を永遠に伝えておきたかった。自分は、いつ倒れるかわからない。後を継ぐ青年に、魂を託したかった。
 夜、「かがり火」を焚いた。赤々と燃え上がる火を、青年たちが円陣で囲んだ。電灯の明かりを使おうと思えば、それもできた。しかし、私は、あえて「かがり火を焚きなさい」と言った。なぜか。この「かがり火」こそが、われわれ自身なのだと教えたかったのです。「自分自身を燃やしきって、民衆を照らしていくのだ!」と。
 指導者の──幹部の「信心の炎」が燃えているかぎり、全学会員が、その光を目指して、安心して前進できる。燃え上がる「正義の炎」を目指して、全日本の民衆が、いな世界の民衆が、希望を求めて集まってくる。必ず、その日が来る。この水滸会の「かがり火」が燃えているかぎり、学会精神の炎が燃えているかぎり、必ず広宣流布はできる。そういう意義を教えたかった。その後、期待通りに、まっすぐ生き抜いた人もいる。誓いを裏切った人間もいる。
 今、私は再び、「信心の炎を燃やせ!」と叫びたい。そこにしか、生きた仏法はないからです。「仏法」といっても「人」です。人の「信心」です。それ以外、まったくよそに求むることなかれです。「信心」の炎が、創価学会に燃えているかぎり、人類を救う「広宣流布」の聖業は進む。どれほど尊い存在か。どれほど命をかけて守るべき学会の組織か。
 「炎」が消えたならば、未来はまっ暗です。そして、「炎」を消そうとして、ありとあらゆる障魔の大風が襲ってくる。しかし「大風吹けば求羅は倍増するなり」と日蓮大聖人は仰せだ。
 求羅という虫は、風を得て大きくなり、一切を飲みこむと言われている。そのように、障害があればあるほど、いよいよ「大いなる炎」を燃やして進むのです。
 小さな火なら、風に消える。大きな火なら、風でさらに勢いを得る。
 広宣流布は、永遠に闘争です。善と悪との大闘争です。仏と魔との合戦です。
 そして、「陀羅尼品」(第二十六章)とは、仏の胸に燃える「広宣流布への大情熱」を見て、菩薩が、諸天が、鬼神までが、「私が、その大闘争を守護いたします! 広宣流布の実践者を全生命をかけて守ります! 仕えます!」と、次々と誓いを述べた。やむにやまれぬ思いの熱気が、霊鷲山を包んだ。そういうドラマです。
 では、概要を見てみよう。
2  題目の力は仏にも量り知れない
 斉藤 はい。陀羅尼品では冒頭、薬王菩薩が釈尊に質問します。「法華経を受持し、読誦し、勉強し、書写する功徳はどれくらいでしょうか」と。
 すると釈尊は、それには答えず、反対に薬王に質問します。
 「もしも八百万億那由佗のガンジス河があって、その河のすべての砂と同じ数の諸仏を供養したとしたら、その功徳はどうだろうか?」薬王は「それは、とてつもなく大きい功徳です」と答えます。
 釈尊は「いいかね、法華経の一つの偈でも受持し、読誦し、信解し、修行したら、その功徳は、これらの諸仏を供養したように、とてつもなく大きいのだよ」と教えるのです。
 須田 法華経の一つの偈を信受しただけで、無量の諸仏を供養したのと同じ功徳を得る──考えてみたら大変なことです。
 池田 それはなぜか。法華経こそが、無量の諸仏を生んだ「根源」だからです。なかんずく文底の「南無妙法蓮華経」の一句こそ、一切諸仏を生んだ根源であり、少しのまじり気もないエキス、原液そのものです。
 遠藤 本当に、すごい仏法です。
 池田 だから、題目の力を、自分の小さな境涯で、「このくらいだろう」と推し量ってはならない。その功徳は、仏でも知り尽くすことができないと言われている。
 いわんや凡夫が勝手に決めつけるのは、増上慢でしす。御本尊の無量の功力を小さく見てしまう「弱い信心」であっては、御本尊の力も小さくしか出ない。戸田先生は、よく豊島公会堂で「私の受けた功徳を、この公会堂の大きさとすると、皆さんのは小指くらいだ」と言われていた。
 今は、経済も大変だ。私は、だからこそ、今こそ、皆さんに「大功徳」を受けてもらいたい。くめども尽きない「大福徳」を得てもらいたい。
 斉藤 薬王菩薩も、問答を聞いていた人々も、法華経の大功徳に感動しました。
 薬王は、こう誓いいます。「仏さま! 私は、この尊き法華経を弘める人を断じて守護してまいります!」。そして、その人を守るために「陀羅尼呪」を贈りますと言って、呪文のようなものを唱えるのです。
 遠藤 「安爾あに一、曼爾まに二、摩禰まねい三、摩摩禰ままねい四、旨隷しれい五、遮梨弟しゃりてい六、賖咩しゃみや(後略)」(法華経六四〇ページ)云々というのですが、意味はさっぱりわかりません(笑い)。
 池田 「陀羅尼」については、後で説明することにして、薬王は、こう言うのだね。
 「もしも、法華経を弘める法師──広宣流布をする人です──を迫害し、そしる者がいるならば、これはすなわち諸仏を迫害し、そしる人間である!」と。
 須田 それを聞いて、釈尊が讃めます。
 「すばらしい、すばらしい。薬王よ、あなたが弘教者を守護することによって、実に多くの人々が、大変な利益を得るだろう!」
 遠藤 つまり、″広布の実践者″を守ることによって、″人類に大利益を与えよう″ということですね。
 池田 そうです。″広布の実践者″とは、今で言えば、創価学会です。また創価学会の同志です。学会と学会員を守るということが、人類を守ることになる。人類に大利益を与える「妙法」を弘めているのだから、「人類の宝」の存在です。独善で言うのではない。傲慢で言うのではない。法華経が、そう説いているのです。
 ありがたいことだ。じつに、ありがたい。この尊い自分の使命を「自覚」できるか否か。それで人生は百八十度、変わる。
3  二菩薩・二天・鬼女の誓い
 斉藤 陀羅尼品では、こういう誓いが五回、繰り返されます。
 薬王菩薩の次は、勇施菩薩が言います。「仏さま! 私もまた、法華経を受持する人を護るために、陀羅尼を説きます。この陀羅尼によって、悪い夜叉や羅刹などが、受持者の弱点を探して攻撃しようとしても、できないようにいたします」。
 次に、毘沙門天が、そして持国天が同じく陀羅尼を唱えて、行者の守護を誓いいます。
 池田 二菩薩の後、四天王のうちの二人が誓ったわけだ。
 須田 はい。続いて、十羅刹女(十人の鬼女)と鬼子母神はじめ、多くの鬼神が誓いを立てます。「仏さま! 私たちもまた、法華経の行者を護って、その患いを取り除きたいのです。もしも、行者の弱点を探して攻撃しようとする奴らがいても、そうはさせません!」。
 池田 すごい気迫だね。女性は強い(笑い)。
 遠藤 彼女たちは「陀羅尼」を唱えたあと、堂々と宣告します。「悪党どもよ! お前たちが、私の頭に乗って、踏みにじろうとも、それはまだいい。しかし、行者を悩ませることは許さない。夢の中でさえ、行者を悩ませはしない!」と。
 「もしも、妙法の説法者を悩ませ、乱すならば、その者の頭は阿梨樹の枝のごとく、七つに分かれるでしょう! 父母を殺す罪のごとき大罪を得ることになるでしよう!」と。
 池田 有名な「説法者を悩乱せば頭破れても七分に作る」(法華経六四八ページ)の文だ。御本尊の向かって右の肩には、厳然と「若悩乱者頭破七分(若し悩乱する者は頭七分に破る)」と、おしたためです。
 斉藤 罰論ですね。
 池田 罰論です。罰と言っても、だれかが当てるというのではなく、自分が「法に逆らった」結果です。「法に則って」生きれば、功徳があるのと裏腹です。御本尊の向かって左の肩には「有供養者福過十号(供養すること有らん者福十号に過ぐ)」(『法華文句記』)と、お認めです。(法華経を供養する功徳は、十号を具えた仏を供養する福に勝る)
 斉藤 それにしても、十羅刹女たちの勢いは、すごい。
 須田 じつは、まだ続きます(笑い)。
 「私たちもまた、説法者を護って、安穏にし、もろもろの患いを打ち払い、もろもろの毒薬も消させてみせます!」
 釈尊が喜んで、鬼女たちをたたえます。「すばらしい、すばらしい。法華経の名前を受持する者を護っただけでも、その福は量りしれない。いわんや、それ以上の修行をし、供養している者を護る功徳となれば! まさに、あなたたちは、このような行者を護りなさい!」
 こういうやりとりを聞いていた、その場の聴衆は、六万八千人が悟りを得たと説かれています。ここで陀羅尼品は終わります。
 池田 「広布の実践者を、何が何でも護り抜くんだ」という情熱が、ほとばしっている。一つの解釈として、薬王菩薩は「健康」の面から護るとも考えられる。行者を病気から守っていく。もちろん薬王は、迹化の菩薩の代表だから、あらゆる迹化の菩薩が、地涌の菩薩を護りに護るということも示しているでしよう。
 また勇施菩薩は、「一切衆生に仏法という宝を勇んで布施する」菩薩です。これは「法の布施」だが、「財の布施」も含めて、行者を支えようという意義をくみ取れるかもしれない。
 また「毘沙門天」と「持国天」は、仏法を守護する四天王の代表です。天界の王であるから、「力」がある。
 今で言えば、ありとあらゆる分野の「指導者」とも考えられる。そういうリーダーが、こぞって広宣流布の実践者を守る。
 遠藤 今、海外の指導者は、次々に学会を賛嘆しています。

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