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日蓮大聖人・池田大作

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妙音菩薩品(第二十四章) 社会に「希望…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  「妙音」とは、妙法根本の大文化運動
 池田 「シルクロードの法華経」を見た。
 経文が喜んでいた。光っていた。笑っていた。幸せそうだった。
 今から千二、三百年前の「サンスクリット語の法華経」です。
 斉藤 ペトロフスキー(ロシアのカシュガル総領事)がもたらした「ホータン出土の写本」(七〜八世紀)ですね。
 遠藤 「法華経とシルクロード」展には私も感動しました。
 (=同展は「ロシア科学アカデミー東洋学術研究所〈サンクトペテルブルグ〉」所蔵の貴重な写本・木版本など四十七県を世界初公開したもので、名誉会長が創立した東洋学術研究所が共催。東京・戸田記念国際会館で、一九九八年十一月九日から三十日まで公開され、名誉会長は開催に先立って、十一月八日に会場を訪れた)
 池田 マルガリータ・ヴォロビヨヴァ博士(ロシア科学アカデミー東洋学術研究所写本室主事)が、「この写本はホータンで書写されたもので、親戚を弔うために、ある人物が依頼したのです。奥付に、その人の名前も残っています」と語っておられた。人の″後生善処″を祈る″心″がこもった写本です。
 文字は文字であって、それ以上のものです。
 ″魂″です。″心″がこもっている。日蓮大聖人は「文字は是一切衆生の心法の顕れたるすがたなり」と仰せだ。
 須田 文字という″色法″に、目に見えない″心法″が顕れている。それを、どこまで、くみとれるか──。
 池田 いわんや「法華経の文字」です。大宇宙の根源で「渦」を巻き、「波」をうっている大生命力のリズムを写しとった表現です。
 このことを私が言うと、マルガリータさん(ヴォロビヨヴア博士)は「私たちも、写本と触れ合って、生命力をもらうことができます」と言われていた。
 斉藤 「写本が喜んでいるのは、池田先生の大いなる人格に包まれて、安心したのでしよう」とも言われていましたね。
2  明るいから″民衆の心″をつかんだ
 池田 四十年以上も、こつこつと古文書を、なかんずく法華経を研究してこられた大学者です。ご主人は二十八歳の若さで亡くなった。幼い一人息子を遺して──。
 ご主人は、将来を嘱望されていた言語学者でした。最愛の人を亡くしたマルガリータさんは、以来、子どもを育てながら、研究ひと筋に生きてこられた。お子さんは立派に育って、化学の博士になられたという。「冬は必ず春となる」という御聖訓を思い起こさせる人生です。
 「法華経とシルクロード展」でお会いして、ますますお元気そうで、うれしかった。「法華経には『不老不死』と説かれています。年を重ねても、いよいよ若くなつていくのが法華経の人生です」。そう言うと、にっこり笑つて「仏の力によって、私たち皆が不老不死をわかるようになりたいですね」と言われた。
 私は答えました。
 「それが本当の世界平和です。法華経こそ″人類の大いなる平和の波″です」。
 チェリストのパブロ・カザルスは言った。
 「仕事と価値あることにたいする興味は、不老長寿のいちばんの薬だ。毎日私は新しく生まれる。毎日私はゼロから始める」(ジュリアン・ロイド・ウェッパー編『鳥の歌』池田香代子訳、筑摩書房)
 同時期に、来日されたペトロシャン博士(ロシア科学アカデミー.サンクトペテルブルク学術センター副総裁)も、クチャーノフ博士(同アカデミー東洋学研究所所長)も、マルガリータさんと三人で一緒に、四十年間、いな五十年近く、ひたすら文化のために生きてこられた。名声も、富も求めず。言うに言われぬ苦しみを乗り越えて──。
 なんとと尊い人生か。ともかく、すごい展示会を実現してくださつた。
 遠藤 海外初公開。ロシアでも、これほどい一挙には見られない″文化の宝″です。
 斉藤 訪れた専門家も感激していましたね。これまで写真でしか見られなかった″本物″が目の前にある。
 モントリオール大学のルブラン博士(東アジア研究所前所長)は、言われていました。
 「ここまで多くの翻訳された法華経を見るのは初めてです。大変に感銘しました。一つの経典がここまで多くの言語に訳されている事実は、仏教が数多くの民族、民衆に訴えかける力があることを物語っています」(「聖教新聞」一九九八年十一月十日付)と。
 池田 たしか、法華経は東方の七つの言語に翻訳されたものが知られている。そのうち五言語の写本が展示されていたね。
 須田 はい。サンスクリット語、古ウイグル語、西夏語、ホータン・サカ語、中国語(漢訳)の五つです。
 遠藤 クチヤーノフ博士は西夏語文献の専門家ですが「西夏語が(十一世紀に)できて、最初に翻訳された仏典が法華経です」と言われていました。
 池田 それだけ、法華経は「民衆の心」をつかんでいた。その理由は、もちろん、さまざまに論じられるだろうが、簡単に言うと、法華経が「明るい」経典だからではないだろうか。
 どんな人にも、分けへだてなく「希望」を与える経典です。″太陽″の温かさ、明るさがある。そして、もうひとつ、表現が「美しい」。芸術的です。″蓮華″が花開き、香りゆく美しさがある。心を奪う楽しさがある。
 明るいところ、楽しいところに、人は集うものです。
3  妙音菩薩は″地球より大きい″
 斉藤 たしかに法華経は、心に映像が浮かび、音楽が聞こえるような芸術性があります。
 池田 「妙音菩薩品」(第二十四章)のテーマも、その代表だね。
 法華経全体に「妙音」は鳴り響いている。心をかき立てる音楽が鳴っている。
 「音楽」は「音を楽しむ」と書く。「楽しい」天の曲が流れている。音楽だけでなく、映像があり、照明があり、色彩があり、香りもある。大地が震動し、天から花も降る。スペクタクル(壮大なショー)でもあり、人間ドラマでもあり、スペース・オペラ(宇宙を舞台にした活劇)のようでもある。
 哲学がある。体験談がある。悪人との戦いもあれば、民衆の行進もある。踊りもある。芸術家ならずとも、大いなる創造力を刺激されるでしょう。
 法華経そのものが「美の価値」を体現しているのです。その「美」の根源は何か。ありとあらゆる優れた「文化」のふるさとは何か。それは人間生命の躍動です。
 つらくとも、苦しくとも、「何くそ!」と耐えて耐えて、最後には勝利する──「冬は必ず春となる」という宇宙本然のリズムを、生命力を、くみ上げ、わき立たせていく戦いです。
 あらゆる一流の芸術の底には、この「生への希望」が脈打っているのではないだろうか。たとえ表面的には、苦しみが描かれていようとも。
 「希望」という大生命力に、「妙音菩薩品」の核心もあると私は思う。
 斉藤 そういえば、妙音菩薩は、とてつもない巨大さで描かれています。前から不思議だったのですが、これも「宇宙の根源の大生命力」を全身にあふれさせているという表現かもしれません。
 遠藤 身長は「四万二千由旬」とあります。(梵本では四百二十万由旬とある)
 虚空会の宝塔が「高さ五百由旬」ですから、あの巨大な宝塔の八十四倍もあることになります。
 須田 一由旬は「帝王が一日に行軍する距離」です。諸説ありますが、少なめに見て、約七・三キロという計算があります。
 そうすると宝塔は、地球の直径(約一万三千キロ)の四分の一以上という巨大さ(三千六百五十キロ)になります。
 斉藤 その八十四倍ですから(笑い)。
 遠藤 ええっと……地球の二十四倍ぐらいの大きさになりますね。(梵本の説だと、地球の二千四百倍、太陽の二十二倍ほどになる)
 須田 そんな菩薩が、地球にやってきたのですから大変です(笑い)。
 池田 そう。別名「妙音菩薩来往品」ともいうように、これは「妙音菩薩が娑婆世界にやってきて、また帰った」物語です。
 妙音菩薩は大きさだけでなく、「顔も端正で、百千万の月を合わせたよりも美しい」と説かれている。
 体は金色に輝き、「無量百千の功徳」と「威徳」があふれている。そして娑婆世界にやつてくる時、通り路の国は震動し、「七宝の蓮華」を雨と降らし、「百千の天樂(天の音楽)」が鳴り響きます。
 遠藤 華やかなパレードのようですね。
 池田 華麗なる「光と音の菩薩です。この壮麗な姿を娑婆世界の人々に「見せる」こと自体が、妙音がやってくる目的の一つなのです。
 斉藤 先ほど、法華経の経文は「大字宙の根源で『渦』を巻き、『波』をうっている大生命力のリズムを写しとった」ものと言われましたが、妙音はまさに、この「大生命力のリズム」を象徴しているように思います。
 池田 宇宙全体が「妙音」を奏でているのです。
 大宇宙そのものが「生命の交響曲」であり、森羅万象が歌う「合唱曲」であり、セレナーデ(小夜曲)であり、ノクターン(夜想曲)であり、バラード(物語風の歌謡)であり、オペラであり、組曲であり、ありとあらゆる「妙音」を奏で、「名曲」を奏でている。その根源が「妙法」です。「南無妙法蓮華経」です。
 だから本当は、勤行も、朝は胸中に太陽が昇る「目覚めの歌」であり、夜は胸中を月光で照らす「夜想曲」であり「月光の曲」なのです。
 経文を読むのは「詩」を朗読していることに通じるし、唱題は最高の「名曲」とも言える。最高に文化的な行動なのです。

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