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日蓮大聖人・池田大作

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法師功徳品(第十九章) 「法師=弘教の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 「伝統の二月」は、全国で、すばらしい仏法流通の前進ができました。まさに随喜功徳品(第十八草)で学んだ通りの「五十展転」の無限の広がりでした。
 池田 すごいことです。「人を幸せにしたい」と祈り、動くなんて、この末法の世界で、こんな尊い人々はいない。真心から法を説いても、大ていは悪口を言われる。侮辱されることもある。それでも、何もわからない子どもを親が慈しむように、包容しながら対話していく。菩薩です。地涌の菩薩にあらずんば、できるはずのない聖業です。
 大事なことは、悪口を言われるたびに、自分自身の生命が浄化されていくということです。だから戸田先生も「折伏のためにせらるる悪口は、心から感謝しなくではならない」と言われていた。「悪口せらるることによって、われわれの身体の罪障が消えて、幸福生活へと驀進することができるからである」(『戸田城聖全集』1)と。
 遠藤 それが「六根清浄」ですね。ここで学ぶ法師功徳品の中心テーマです。(げんぜつしんの六根が清浄になる功徳)
 須田 法師──すなわち、みずから行ずるとともに「弘教する」人間の功徳とは何かを説いた章です。
 池田 法師とは僧侶のことではない。法師品(第十章)でもやったが、法師とは「法を師とする人」であり、「師となって法を弘める人」という意味です。在家であれ、出家であれ、法を求め(求法)、法を弘める(弘法)人が「法師」なのです。
 斉藤 法師品にも、法師には「在家出家の、法華経を読誦する者」(法華経三五八ページ)とあります。在家でも仏道修行に励む人は、立派な「法師」であり、形は僧でも堕落した人間は「法師の皮を著たる畜生」であるとの哲学です。
 池田 ゆえに、現代において、広宣流布ひとすじに生きる創価学会員こそ、真の法師であると断言できる。
 ″正しい人生は、ここにある!″″幸福への大道は、ここにある!″。
 こう確信をもって言い切れる人が今、他の、どこにいるだろうか。
 法師とは、混沌として出口の見えない闇の社会にあって、人々を幸福へと導く「精神の指導者」のことです。いわば、地域と社会の「灯台」です。そういう人が、創価学会という大民衆組織には、無数におられる。諸君の周囲にもおられるに違いない。
2  須田 はい。私は(東京の)墨田に住んでいますが、墨田区の地区副婦人部長の先輩は、今日まで百六世帯の個人折伏をしておられます。昭和三十一年(一九五六年)の入会です。九七年は三世帯、九八年も二世帯の弘教を実らせ、支部の弘教拡大の突破口を開かれました。しかも、入会した人が皆、着実に成長していて、支部幹部・地区幹部として活躍している人が少なくありません。
 池田 百人もの人の人生を根本から救う──。これは、どんな大学者も大実業家も、遠く及ぶことのない大偉業です。また、そう見ていくのが、「六根清浄」のうちの「眼根精浄」に当たる。世間の「位」などに目を曇らされないということです。
 須田 その婦人は東京の下町で、靴材料の卸業を営み、六十歳を過ぎた今でもみずから車を運転し営業に飛び回っています。元気な彼女も、入会した当時は重い脊椎カリエスを患っていました。五歳の時に母親を亡くし、貧困に苦しんでもいました。
 「宿命を転換するには折伏以外にない」との指導に触れて、弘教の実践を決意したのです。仏法対話の初めは、自分が入院した病院でお見舞いに来る人に話すことから始まったのです。その結果、何年かかるかわからないといわれた入院生活から半年ほどで退院。その四日後には仕事を再開するほど見事に回復しました。その体験から仏法への強い確信を、つかまれたのです。
 斉藤 「確信の人」には誰もかないませんね。
 須田 彼女は「一年、三百六十五日、折伏です」と言っておられます。
 毎朝毎晩「私の眷属に会わせてください」と祈っていると言うのです。すると仏法の話を聞く人が不思議に現れてくる。九八年に弘教した人も、何年ぶりかで偶然に道で再会した人だそうです。
 また″あの人に仏法を教えてあげたい″と思う人の名前を書き出して毎日、祈念しておられます。″あの人が信心すれば、どれほど幸せになるだろうか″という思いで。
 遠藤 慈悲の祈りほど強いものはありません。本当に自分のことを思ってくれる人の言うことは聞かぎるをえません。幸せを祈ってくれている関野さんの強い心を友人も感じるのでしょうね。
 須田 彼女の弘教は、あまりむずかしいことは言わないそうです。短い言葉で十分(笑い)。たいてい素直に友人が入会決意する。理屈ではなく「人の命を動かす言葉」なんですね。
 池田 折伏は「真心が通じますように」と祈っていくのです。
 そうしていけば、たとえその時はどういう結果であれ、「自分の幸せを、これほど真剣に思ってくれた」という信用が残る。感動が残る。それが大事です。
 次元は違うが、一九九八年に「生誕百周年」の周恩来総理が、なぜ今なお中国十数億の人民の胸に赤々と生きているのか。
 「総理のことを思うと、涙が出てくる」と言う人は少なくない。それは、総理が誰よりも中国人民の幸せのために身を粉にして働いたからです。
 「一死尽くしし身の誠」(土井晩翠の詩「星落秋風五丈原」にうたわれた諸葛孔明の心境)です。総理の心には人民の幸福のことしかなかった。その思いが、逝去(七六年一月)から二十年以上たった今も、人々の胸を熱くするのです。
3  遠藤 「生誕百周年」記念に、池田先生が招聘された「中国中央民族歌舞団」の公演に関して、松山バレエ団の清水正天さん(理事長・団長)が、こう書かれていました。
 「周恩来総理は芸術に特別な感情を持っていました。それは感性の豊かさと人一倍の愛の心を持っているからです。人はいつかはこの世から去るが、愛はいつまでも人の心の中で消えません。中国の十四億の人々がなぜ周総理が好きなのかは、ここにその根源があります」(「民音創立三十五周年記念公演 中国中央民族歌舞団」のパンフレットから)
 斉藤 弘教も、慈愛の心が通じるように祈っていくことが大事ですね。
 池田 慈悲の一念が強ければ、相手が、どういう悩みを持っているのか、どこで行き詰まっているのかも、わかってくる。
 名医が患者の「急所」をわかるようなものです。これが「六根清浄の功徳」です。
 須田 先ほどの婦人の方は、入会して四十年余、病気も貧乏も、すっかり飛んでいってしまいました。彼女の口癖は「強いほうが勝つ」ということです。だから生命力を強くするために、必ず真剣な唱題をして弘教に臨むそうです。
 商売のうえでも不渡り手形を受けたり、いろいろなことがあったそうですが「何があっても前に進んでいける強さが身につきました」と語っておられます。
 斉藤 この「強さ」こそ、法師の「功徳」ではないでしょうか。

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