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随喜功徳品(第十八章) 妙法を伝える「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 今回は「随喜功徳品」(第十八章)がテーマです。
 池田 随喜功徳──「随喜」すれば「功徳」があるということです。「喜んで」信心していけば、その分、大功徳があるということを教えている。「心こそ大切」です。
 だから諸君も、同じ頑張るならば、「いやいや」ではなく、「喜んで」やったほうが得です(笑い)。
 何でも、″ああ、またか、いやだな″と思ってやるか、″よしまた福運を積ませてもらおう″と勇み立つか。一念のわずかな差が、大きな差になってしまう。
 随喜功徳品では、信心を勇んで人に勧めていく「大功徳」が、きちっと文証として示されている。
 遠藤 はい。「法華経の智慧」も、前章の分別功徳品から、いよいよ「流通分」に入りました。
 時を同じくして、全国で、すごい勢いで弘教の対話が進んでいます。
 (流通分は、序分〈無量義経と序品)、正宗分〈方便品[第二章]から分別功徳品[第十七章]の前半までの十五品半〉に続く部分。分別功徳品(第十七章)の後半から法華経の結経である観普賢経の経末まで)
 須田 「流通」とは「流れ通わしめる」という意味ですから、まさに弘教のことですね。
2  我らは広布を願って生まれた
 池田 「流通」とは「広宣流布」のことです。今、学び始めた「流通分」には「妙法広宣流布」への指針がちりばめられている。
 だから、仏法三千年の歴史の中で、私どもこそが、この経文を実感をもって読むことができる。私どものための「随喜功徳品」です。
 戸田先生は言われた。「予は立宗七百年を期として、これより盛んに広宣流布することを断定するものである」と。(『戸田城聖全集』3)
 昭和二十七年(一九五二年)です。会長就任の一年後でした。創価学会は折伏の団体です。広宣流布の団体です。広宣流布のために、御本仏・日蓮大聖人が呼び出された不思議なる団体なのです。この一点を、どこまで深く「自覚」できるかです。
 斉藤 日淳上人(第六十五世)は、こう言われています。読んでみます。
 「将来の歴史家は立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。これまでの宗門の歴史を見ますれば時に隆昌がありましたが、結局、護持といふことを出なかったと考えます」
 「開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起こった仏縁に唯ならないものがあると思います」(昭和三十一年〈一九五六年〉元旦「開宗七百四年を迎へて」)
 遠藤 ″ただならない仏縁″と言われていますね。本当に深い意味があると思います。
 須田 末法万年にわたる「流通広布の時代」が始まった。その開幕に応じて集った創価学会員について、日淳上人は、こうも言われています。
 「法華経の霊山会において上行を上首として四大士(=四菩薩)があとに続き、そのあとに六万恒河所沙の大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊鷲山の約束でございます。その方々を(=戸田)会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。
 即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万(=の学会員)として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(昭和三十三年〈一九五八年〉五月三日「創価学会第十八回総会御講演」)
 上人は、学会は「仏の一大集まり」とも言われています。
 斉藤 これが宗門の先師の御言葉です。
 この明々白々たるお言葉を裏切った日顕宗は、先師違背の大謗法です。広宣流布を邪魔する「日蓮大聖人の大怨敵」になってしまった。
 池田 われわれは「流通広布の時代」を待ち、その時を選んで、今、生まれてきたのです。
 今世に、どれほどの深い使命があるか、どれほどの尊貴な立場か、はかりしれない。末法万年への先駆けです。それを思えば、大感激です。欣喜雀躍きんきじゃくやくです。しっかり御本尊を拝して、「自覚」をしなければならない。
 随喜功徳品では、有名な「五十展転」が説かれるが、これを事実の上で実践してきたのも創価学会です。弘教といっても、単なる理屈だけではなくて、信仰の「感激」と「確信」「喜び」を語っていくのが根本です。それが、人の生命を揺さぶるのです。
3  五十展転の功徳は絶大
 須田 「五十展転」のところは、このように説かれています。まず弥勒菩薩が「この法華経を聞いて随喜する者には、どんな功徳、福徳がありますか?」と質問します。
 これに対して、仏が答えます。如来の滅後に──その真意は末法ということです──法華経を聞いて随喜する者がいるとする。それがだれであれ、年寄でも、若くても、町へ行き、田舎に行き、静かな所、にぎやかな所、いろんな所へ行って、父母、親族、友人、知人に対して、聞いた教えを、自分の力に応じて説く(随力演説)とする。
 そうすると、聞いた人々は、また随喜して、次の人に教えを語る。それを聞いた人がまた随喜して、教えを語る。このように「転教」し、「展転」していって第五十番目の人に至ったとする。
 遠藤 五十番目ともなると、随喜といっても、もうかなり薄まっているでしょうね。
 須田 それでも、その人の功徳は莫大であるというのが「五十展転」の趣旨です。
 池田 どのくらい莫大かというと、日蓮大聖人が「五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり」と言われているところだね。
 遠藤 はい。「八十年の布施」というのは、「四百万億阿僧祇の世界」に住む、生きとし生ける者に対して、それぞれの欲しがるものを、何でも与える人がいたとします。
 金、銀、瑠璃、瑪瑙、珊瑚など、もろもろの宝を与え、立派な乗り物を与え、七宝で飾った宮殿を与える。八十年間、それを続けます。
 このように、「物」を与えるだけではなく、この人は、衆生がだんだん年老いてきて、髪が白くなり、しわが増え、死期が近づいてきたのを見て、仏法を教えるわけです。
 斉藤 物を与えるのは「財施」。法を教えるのは「法施」です。物だけでは、どんなに豊かになっても、「老」そして「死」という人生の根本問題を、どうしようもない。そこに、法を教える必要があるということですね。
 池田 もちろん、この大長者が衆生に教えた大法は、法華経以前の教えです。
 遠藤 はい。そこで教えを聞いた衆生は、皆、阿羅漢の悟りなどを得ます。声聞の悟りです。が、それでも「すばらしい境涯」と思われていたものです。
 須田 これだけの「財施」と「法施」をやり抜いた人の功徳というのは、「どうだ、弥勒よ、どう思う。大変な功徳と思うか?」。仏がそう聞きます。弥勒は「この人の功徳は、はなはだ多くて、無量無辺です」と答えます。
 すると仏は、「この人のその大功徳よりも、先ほど言った『五十番目の人が法華経の一偈を聞いて、随喜した功徳』のほうが、もっと大きいのだ」と説くのです。その「百倍、千倍、百千万億倍」の、それ以上の無量の大功徳があるというわけです。
 池田 いわんや、第一番から四十九番目までの人の功徳をやということです。
 妙法の偉大さです。
 第五十番の人は、文字通り解釈すれば、自分が随喜するだけで人には語っていない。他の人に語る「化他」の行動はないわけです。それにもかかわらず、それだけの功徳がある。いわんや、もっと歓喜し、「化他流通」に励む人の功徳は「無量無辺阿僧祇にして、比ぶること得べからず(比べられない)」(法華経五二一ページ)と説いてある。
 「法華経の一偈」を聞いてとあるが、文底から言えば、「南無妙法蓮華経」ということです。御本尊ということです。御本尊の話を聞いて、「すごいな」「すばらしいな」「ありがたいな」──そう思っただけで大功徳がある。
 いわんや喜びにあふれて御本尊を拝し、妙法を、力に応じて「随力弘通」する人は、絶対に、祈りとして叶わざるなく、福運として来らざるなく、願いとして所願満足にならぬものはない。そういう文証です。
 「五十展転」──。
 大聖人は、一生の間に一回でも題目を唱えたり、また題目の声を聞いて喜び、さらにその喜びの声を聞いて喜び、このようにして五十番目となる人は、智慧第一の舎利弗の如き人よりも、文殊菩薩や弥勒菩薩のような大菩薩の如き人よりも、百千万億倍の功徳があるのだと仰せです〈「月水御書」、御書一一九九ページ、趣意〉。
 斉藤 「随喜する声を聞いて随喜し」(同ページ)と仰せですね。
 実際、座談会場の隣に住む人が、皆の楽しそうな声を聞いて入会するということもあります。

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