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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 十界論(上)幸…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 これまで、寿量品で明かされた釈尊の「本因本果」について語っていただきました。読者の方々から、「日蓮大聖人の『太陽の仏法』が、どれほど深く、広大か、永遠の生命観をもった人生が、どれほどすばらしいか、改めて実感しました」という声が寄せられています。
 池田 私どもは「無上道の人生」を生きているのです。それを自覚するか、しないかです。仏法は何のためにあるのか。それは万人を「幸福」にするためにある。万人に「大歓喜」の境涯を開くためにある。トルストイは綴っています。
 「喜ベ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい」(小沼文彦訳編『トルストイの言葉』彌生書房)
 人生の使命は喜びにあり!──これが大文豪の一つの結論であった。その本義を知っているのは、私どもです。法華経こそ、「歓喜の中の大歓喜」を開く経典なのです。
 遠藤 釈尊が菩提樹の下で開いた境涯というのも、何ものもさえぎることのできない「大歓喜の境涯」だったのですね。
 池田 その通りです。「始成正覚」というと、何かいかめしく感じるけれども、わかりやすく言えば、菩提樹の下で悟りを開いた瞬間、釈尊の胸中には「歓喜の中の大歓喜」の太陽が燦然と昇ったのです。
2  壮絶な「魔との闘争」
 須田 釈尊が悟りを開いたとされるブッダガヤには、私も訪れました。経文に「伽耶城を去ること遠からず」(法華経四六八ページ)とありますが、現在のガヤー市街(インド東部のビハール州)から南方へ十キロメートルほどの所です。
 ガヤーの町の近郊で釈尊が成道したことから、後に、ここはブッダ(仏陀)のガヤー、ブッダガヤと呼ばれるようになりました。
 遠藤 菩提樹という木の名前も、釈尊の成道にちなんでつけられたものです。もともとはアシヴァッタ樹といわれ、「不死を観察するところ」とされています。智慧の樹として尊敬されています。釈尊が座ったこの菩提樹は、後に仏教徒によって各地に株分けされていったようです。
 現在、ブッダガヤにある木は、かつてスリランカに株分けしたものを、再度株分けし直したものです。
 池田 私も行きました。会長になってすぐ、この「仏教発祥の地」に行った(就任の翌年の昭和三十六年〈一九六一年〉)。そして、大聖人の仏法の「仏法西還」を誓いつつ、「三大秘法抄」の写本や記念の石碑を埋納しました。
 斉藤 今、その誓い通り、インドはもちろん、アジアヘ、世界へ、「太陽の仏法」は広まりました。釈尊の仏法がアジアに広まるのに、何百年、千年とかかっていることを考えると、後世の歴史家は″奇跡″と驚くでしょう。
 池田 諸君も続いてほしい。続くべきです。
 ともあれ釈尊は、「人類を救う闘争」を、この地から開始した。ブッダガヤで悟りを開いた釈尊の精神闘争とは、どんなものだったのだろうか。
 遠藤 はい。それ以前、釈尊はすでに外道の苦行を実践し、欲望を断滅した境地に立っていたとされています。しかし釈尊は、「苦行」では本当の幸福の境涯は得られないと分かって、苦行を捨てました。
 須田 欲望の世界も捨てた。苦行も捨て去った──。では釈尊は、いったい何を求め、何を悟ったのでしょうか。
 池田 そこに重大な意味がある。釈尊が追求したのは、人間の「幸福」です。万人にとっての「本当の幸福の道」は、どこにあるのか。欲望に身を焼く人生では、人間は幸福になれない。苦行に我が身を痛めつける人生でも幸福になれない。
 生命を燦然と輝かせる中道の「道」を求めて、彼は修行したのです。
 須田 菩提樹の下で、釈尊は結跏跌坐(あしを左右の腿の上に重ね、坐ること)のまま、七日のあいだ瞑想したとされています。
 池田 瞑想というと穏やかな印象を持つが、そんな生やさしいものではない。魔との壮絶な闘争です。釈尊は、宇宙に瀰漫する″生命の破壊者″と対峙し、闘い、打ち破ったのです。その時、不幸という名の「闇」は破れた。
 斉藤 仏典には、魔が巧妙に釈尊に迫るさまが綴られています。悪魔ナムチが釈尊に近づき、こうささやくのです。″お前はやせ細り、顔色も悪い。まさに死に瀕している。このまま瞑想を続ければ、生きる望みは千に一つもない″と。
 たしかに、修行の果てに悟達がある保証は何もありません。先覚の道ゆえに誰も先は知らない。死んでしまえば、それこそ幸福の探求も不可能になる……。
 池田 しかし、釈尊は、ぎりぎりの淵で魔を魔と見破り、高らかに叫んだ。
 「悪魔よ、恐れる者はお前に敗れるかもしれぬが、勇者は勝つ。私は戦う。もし敗れて生きるより、戦って死ぬほうがよい!」
 この瞬間、魔は退散した。そして、明け方近く、東の空に明けの明星が輝き始めた瞬間、ついに悟達した。
 仏法とは「魔との闘争」なのです。魔との戦いを離れて、悟りはない。歓喜はない。人間革命はない。仏法はない。命をかけて魔と戦わなければ仏にはなれないのです。
3  大歓喜の太陽は昇った!
 斉藤 釈尊の戦いの最中、日没の時と真夜中と夜明けにわたって、三つの詩が釈尊のロから発せられます。三つの詩の内容について、仏教学者の玉城康四郎博士は、「ダンマが顕わになった」と表現しています。(『仏教の根底にあるもの』講談社)
 「ダンマ(ダルマ)」とは「法」の意味です。宇宙の根源の「法」が自分自身に顕わになり、人格に浸透し、生命を貫いたということでしょう。
 須田 日没の時の詩は、「実にダンマ(dhamma)が、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになる(patubhavati)とき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。というのは、かれは縁起の法を知っているから」(同前)
 真夜中の詩は、「実にダンマが、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになるとき、そのとき、かれの一切の疑惑は消失する。というのは、かれはもろもろの縁の消滅を知ったのであるから」(同前)
 夜明けに発せられた最後の詩は、「実にダンマが、熱心に冥想しつつある修行者に顕わになるとき、かれは悪魔の軍隊を粉砕して、安立している。あたかも太陽が虚空を輝かすがごとくである」(同前)でした。
 遠藤 我が胸中に太陽は昇った!──歴史的な瞬間ですね。
 池田 人類を照らす歓喜の旭日です。仏界とは、最高の歓喜の境涯です。
 釈尊はこの後、法悦の時を経て、決然と説法を開始する。ただ、この胸中の法をいきなり説いても、衆生には到底、受け入れ難い。そこで、皆に分かりやすい方便の教えを説き、機根を整えていったのです。そして、この太陽の大境涯を、そのままストレートに説いたのが寿量品です。寿量品は、いわば″大歓喜の章″といえる。釈尊の一生のクライマックスです。

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