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日蓮大聖人・池田大作

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如来寿量品(第十六章) 生きて生きて生…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  世界的に「生と死の探求」が始まった
 斉藤 最近、「死への準備教育(デス・エデュケーション)」が、きわめて強い注目を集めています。たとえば、「あなたは、あと半年間しか生きられない」と仮定して、「その半年に何をしますか」という課題を出して、考えさせるのです。
 また「″人生で、あなたが大切にしているもの″を順番に三つ書いてください」とか、「死」を考えるなかで「生」を見つめ直していくわけです。
 遠藤 ヨーロッパ、アメリカでは「死への準備教育」を学校でしているところも多いようです。小学生向けのプログラムもあるそうです。
 日本でも、かつてない「高齢化社会を迎えて、「老い」や「死」の問題に光が当てられるようになりました。しかし、まだまだ″自分の問題″として深く考えている人は少ないのではないかと思います。
 池田 人生、何が確実かと言って、「いつかは必ず死ぬ」ことほど確実なことはない。ほかのすべてが″不確か″で、変化、変化している時代にあって、これだけは永遠に″確かな″事実です。
 それなのに、一番確実な「死」から人間は目をそらそうとする。たしかに「太陽と死は直視できない」かもしれないが、確かな生死観をもたない人生は、根なし草のようなものです。そのままでは、確かな人生を歩むこともできないのは当然でしょう。
 須田 「死」から目をそらすことは、「本当の自分」から目をそらすことに通じると思います。今、自分の前世を知りたがる若者が増えています。
 ある精神科医によると、それは「自分は何者なのか」という″ルーツ″を「現在の自分」に見いだせず、「過去の自分」に求めているからではないかというのです。(小田晋著『精神科医が明かす生と死 心の深層』はまの出版、参照)
 池田 そうかもしれない。表面的に見ると、一時の流行のがようにも思えるが、根底には、確かな拠り所を求める心のうめきがあるのではないだろうか。
 現代の文明は、「死をタブー視する(ふれてはならないものと見る)文明」と言われてきた。しかし、「死への準備教育」といい、今、世界的には、急速にそれが変わりつつある。人々は、確かな生死観を懸命になつて求めている。
 私は、生命探求への熱い鼓動を感じます。
2  老いも若きも「生死を学ぶ」仏法運動
 須田 まさに「生命の世紀」──二十一世紀への助走が始まった感があります。
 池田 「生と死を学ぶ」という意味で、創価学会の教学運動は、時代を先取りしてきたと言ってよいでしょう。
 斉藤 はい。学会は、老いも若きも、日常的に仏法の生死観を勉強してきました。
 たとえば、昨年(一九九六年)の第一回「教授登用論文試験」に挑戦された八十歳のおばあちゃんの話しを聞きました。選んだテーマは、「『生死』についての一考察」。
 この方がしみじみ語っていたそうです。「今まで、こんなに勉強したことはありません。仏法の三世の生命観を真剣に学んでいるうちに、死ぬということが怖くなくなってきたんです」と。こうやって「学んでいる」事実が、すごいことですね。
 池田 その通りです。「学ぶ」ことです。それは哲学を学ぶだけに限らない。人々の現実の「死」の姿からも学ばなければならない。なぜなら、亡くなった人々は、だれであれ、「死」を経験したという点で「人生の先輩」にあたるからです。たとえ、それが年下であっても、子どもであっても、「先輩」です。
3  ″自分は勝つた″と誇れる人生
 遠藤 そう言えば、白血病で亡くなった九歳の少年の、こんな話があります。
 末期患者のカウンセリングや、臨死体験の研究で有名なキュープラー・ロス女史が紹介している話です(以下、『「死ぬ瞬間」と臨死体験』鈴木晶訳、読売新聞社、引用・参照)
 彼──ジェフィは三歳のときから入退院を繰り返し、体は弱りきっていました。あと二、三週間の命であることが、ロス女史にはわかりました。
 ある日、「ぜったいに今日、家に帰りたい」と、ジェフィが言い出します。これは事態が非常に差し迫っているというメッセージでした。ロス女史は、心配する両親を説得し、車で帰宅させることにしました。
 ガレージに入り、車から降りると、ジェフィは父親に頼みました。「ぽくの自転車を壁からおろして」。それは三年前に父が買ってくれた、新品の自転車でした。
 「一生に一度でいいから自転車で近所を回りたい」──それがジェフィの夢だったのです。フラフラして、立っているのがやっとのジェフィでした。自転車に補助輪をつけてもらうと、ロス女史に言いました。「ここにきて、ママを押さえていて」。お母さんが止めに入らないためです。
 言われた通り、ロス女史が母親を押さえ、父親がロス女史を押さえました。そしてジェフィは、近所へ自転車の旅に出発します。
 「おとな三人は、たがいの体を押さえ合いながら、感じていました。──死が間近に迫った弱々しい子どもが、転んでけがをして血を流す危険をおかしてまでも勝利を味わおうとするのを黙って見守ることが、いかにむずかしいかを。ジェフィを待つている時間は、永遠のように感じられました」
 須田 無事に戻って来られたのですか?
 遠藤 はい。こう書かれています。「彼は満面に誇りをたたえて帰ってきました。顔じゅうが輝いていて、まるでオリンピックで金メダルをとった選手みたいでした」。
 一週間後、ジェフィは亡くなります。さらにその一週間後、誕生日を迎えた弟が教えてくれました。
 じつはあの後、ジェフィは両親に内緒で、弟にプレゼントを渡していたのです。「いちばん大事な自転車を直接プレゼントしたい。誕生日まで待つことはできない。そのときには自分はもう生きていないだろう」から、と。彼は自分のやり残した仕事をやり遂げたのです。「両親はもちろん嘆き悲しみました。でもそれは重荷としての悲嘆ではありませんでした」「彼らの胸には、ジェフィが自転車で近所を回り、人生最大の勝利に顔を輝かせて帰ってきたという思い出が残りました」
 ロス女史は言います。「すべての人には目的がある」。それを「患者たちとの触れ合いのなかで学んだ」と。彼らは、ただ″助けられる″だけの存在ではない。生命についての大切な何かを″教えてくれる″先生にもなるのだ、と。

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