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提婆達多品(第十二章) 竜女成仏――大…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  遠藤 今回は提婆達多品(第十二章)の後半、竜女の成仏について、見ていきたいと思います。
 須田 竜女は、女人成仏の典型として有名ですね。
 池田 女性の成仏は、法華経の重要なテーマの一つです。それにしても、こうして男性ばかりが集まって、女性のことを論ずるのも、大変な挑戦だね(笑い)。
 斉藤 はい。後で婦人部・女子部の方々に叱られないよう、しっかり学んでいきたいと思います。
 遠藤 婦人部の方の中には、「女性が成仏できるかどうかではなくて、仏道修行をさぼりがちな男性が成仏できるかどうかのほうが問題よ!」(爆笑)と鋭い指摘をされる人もいます。
 池田 皆、ふだんから、女性陣の求道心には圧倒されているようだね(爆笑)。
 以前(一九九五年九月七日)、会談したジブチのハッサン・グレド・アプティドン大統領が言っておられた。「将来は、男性と女性の戦争になるかもしれません。そうしたら私は、女性に味方します」と。「私も同じです」と、すかさず賛同しました(笑い)。
 このことを、ロシアのヤコプレフ博士夫妻にお話しした(九六年四月十九日)。すると博士は「私は戦争になる前から白旗をあげて『降参』です」(爆笑)。
 「男性が女性にかなうわけがありません。なぜなら、この五十年間の経験上、妻にはいつも負けてばかりなのです」と(大笑い)。
 ともに乗り越えてこられた五十年の人生の春秋──すばらしいご夫婦です。
 じつは、提婆達多品の竜女の話は、一面から言えば、″威張っている男性が、女性に負けた″″智慧第一の舎利弗も、竜女の信心にはかなわなかった″という物語なのです。また、女性を差別する思想に対して、実証をもって、それを打ち破った「大いなる人権宣言」なのです。
 女性の成仏については、少々誤解もあるところなので、正確に把握しておこう。
2  「即身成仏の現証」の衝撃
 須田 まず提婆品での流れを見ておきます。
 提婆達多への授記が終わると、多宝如来についてきた智積菩薩が本土(宝浄世界)に帰ろうとします。智積とは″智慧が積み重なっている″という意味ですから、頭がよくて察しが早かったのでしょう。悪人成仏を聞いて″令法久住(釈尊の入滅後、法華経を弘めること)の勧めは、もう終わった″と思ったのかもしれません。
 遠藤 しかし、早とちりだった(笑い)。釈尊の説法は、まだ終わっていませんでした。
 池田 そう。智積にもわかっていないことがあった。それが「即身成仏」だね。
 須田 はい。そこで釈尊は智積を引きとめ、「文殊師利菩薩と妙法について対話をしてから帰ったらどうか」と提案します。すると、大海の竜宮で弘教していた文殊師利菩薩が、教化した多くの菩薩たちを引き連れて虚空会に出現します。
 そこで智積と文殊の対話が始まります。まず、智積が文殊に「あなたは竜宮でどのくらいの衆生を化導してきたのか」と尋ねます。文殊は「竜宮おいて、もっぱら法華経を説いて無量の衆生を化導してきた」と言い、さらに「竜王の娘であるある八歳の竜女が法華経を聞いて即座に悟りを得た」と語ります。
 しかし、智積はそれを信じようとしません。仏の悟りは菩薩が無量劫の間、難行苦行を重ねて初めて得られるものであって、竜女が短い時間に成仏したなどということは、到底信じられないと言うのです。
 斉藤 文殊の竜宮での弘教は、宝塔品(第十一章)が説かれているわずかの間であったと大聖人は仰せです。そのわずかの間に、文殊は多くの衆生を教化し、竜女は悟りを得たのですが、それは全部、「法華経の力」を示しているとも仰せです。
 (「文殊の教化によりて海中にして・法師・提婆の中間わづかに宝塔品を説かれし時刻に仏になりたりし事は・ありがたき事なり、一代超過の法華経の御力にあらずば・いかでか・かくは候べき」)
 池田 智積は、その「法華経の力」がわからなかった。だから竜女が即身成仏したといっても信じられなかった。「不信」です。妙法への不信は、日蓮大聖人が「根本無明」と言われている。それは自分自身の生命に暗いことであり、結局、自分自身の生命への不信です。また大聖人が、智積の不信を「別教の意なり」と仰せのように、菩薩の五十二位など、「多くの段階を経なければ成仏できない」という考えを智積は代表しています。
 これに対し、竜女は、法華経という円教を代表している。旧思想の男性軍に対して、新思想を身をもって示しているのが竜女なのです。
 提婆品は、そういう「思想劇」の側面を強くもっている。深遠な内容を、劇的なストーリーによって表現しています。だから聴く人を飽きさせない。
 遠藤 次のところもそうですね。智積が不信の言葉を言い終わらないうちに、突然、竜女本人がその場に現れます。
 須田 ドラマチックですね。
 遠藤 竜女は、釈尊にあいさつして言います。「仏のみが自分の成仏を知ってくださっています。私は大乗の教え(法華経)を開いて、苦悩の衆生を救ってまいります」(法華経四〇七ページ、趣意)と誓うのです。
 池田 「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」(同ページ)。有名な言葉です。すばらしい言葉です。
 ″皆は自分をバカにしているかもしれない。しかし、そんなことはどうでもよい。真実は仏がわかってくれている。自分はただ、自分を救ってくれた妙法の力で、人々を救っていくだけだ″と。
 即身成仏とは、「苦しむ人を救わずにはおくものか」という仏の強い心を、我が身に開くことなのです。バカにされようが、差別されようが、にっこり笑って、悠々と、不幸の人々を救っていくのです。その人は、その身そのままで、仏と輝いていくのです。
3  須田 男性側は、わからずやというか(笑い)、このあとも「不信」の言葉が続きます。
 竜女の決意を聞いて、今度は、舎利弗が不信を表明するのです。舎利弗の不信の理由は二つあります。一つは、智積と同じで、仏の悟りは長い長い間の苦行によって得られるものだという固定観念です。
 もう一つは、女性は梵天・帝釈・魔王・転輪聖王・仏には成れないという「五障」の説です。ここから、女性の身で速やかに成仏するなどということはありえない、と竜女を非難するのです。
 斉藤 天台大師は「身子(=舎利弗)は三蔵の権を挟んで難ず」(『法華文句』)と述べています。「五障」の説は「三蔵の権」つまりかりに説かれた小乗教の説ですね。
 遠藤 舎利弗は、ここでは、いわば小乗教の代表選手で、悪役です(笑い)。
 池田 これら「歴劫修行の成仏観」も「五障の説」も、竜女が即身成仏の現証を示すことによって、見事に破折されるわけだね。
 須田 はい。竜女は、三千大千世界すなわち宇宙全体の価値に等しい一つの宝珠を取り出して、釈尊に奉ります。釈尊は、これを直ちに受け取ります。そして、竜女は、これを見ていた舎利弗に対して、自分の成仏は、この宝珠の受け渡しよりも速やかなのだと言い放ちます。
 池田 象徴的な表現だが、根本的な破折になっている。
 「宇宙全体と同じ価値を持つ宝珠」とは、宇宙の根源の法である「妙法」を象徴しています。また、妙法の当体である自身の「生命」の象徴であると言ってもよいでしょう。
 それを仏に捧げるということは、かけがえのない自分の身命を捧げることです。つまり、帰命であり、南無することであり、信心です。
 宝珠を仏が受け取ったということは、竜女の生命が仏と一体になったということであり、竜女の成仏を仏が証明しているのです。また宝珠とは一念三千の宝珠のことです。仏にそれを捧げたとは、竜女が一念三千の妙理を悟っていることを表している。
 遠藤 「御義口伝」では、こう仰せです。「竜女が手に持てる時は性得の宝珠なり仏受け取り給う時は修得の宝珠なり」と。
 性得の宝珠とは竜女が本来具えている仏性であり、修得の宝珠とは、仏性を修行によって現したということでしょうか。

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