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五百弟子受記品・授学無学人記品 声聞た…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 過日(一九九六年二月十六日)法華経研究家のヴォロビヨヴァ博士(ロシア科学アカデミー東洋学研究所)と池田先生との会談に同席させていただきました。
 お話は本当に感動的でした。博士は、若くしてご主人に先立たれてしまった。しかし、懸命にご子息を育てながら、四十年もの長きにわたって、こつこつと法華経を研究されてきました。しかも、社会主義政権下です。仏教研究が容易だったとは思えません。
 国境を超え、境遇を超えて、多くの人の心をとらえる、法華経の普遍性を確かめる思いでした。
 池田 博士は人格者です。人柄も実に謙虚な方であった。その人間性ゆえか、法華経の特徴を、深く、つかんでおられる。お話をしていて、よくわかります。
 法華経の真理といっても、人間の″心″を離れてはありえない。才知だけでは絶対につかめません。法華経に脈動する人間讃歌の心をどうつかむか。そこに法華経研究の魅力もあり、また難しさもあります。
 博士は、その点、″心″に触れる法華経研究を成し遂げておられる。
 須田 法華経がなぜ多くの人に受け入れられ、広まっていったのか──この点についての博士の答えも明快でした。
 法華経がもたらした、まったく新しい考え方、それは「人間は本来、自由であり、自分の力で運命を切り開けるし、人間の運命は変えられるという考え方です」と。「この法華経の思想は、人々を内面的に解放しました。そこが多くの人々を魅きつけていったのだと思います」と述べられています。
 斉藤 この「法華経の智慧」でも、さまざまな角度から、明らかにされてきたところですね。
 遠藤 二十一世紀に果たす法華経の使命についても、博士の言葉は印象的でした。
 「法華経は、人間の一人一人に『なぜ、私はこんなことをしているのか』『自分は、いずこへ行くのか』、また『人類は、いずこへ向かうのか』等と思索させます。人々が考え始めるのです。それが法華経の使命であると考えます」と。
 これはまさに、この座談会の初めで「哲学不在の時代を超えて」と題して、池田先生に語っていただいた法華経観です。
 斉藤 博士は、「(池田SGI)会長と学会のおかげで、私の研究に命が吹き込まれました。真に人類の役に立つものになったのです」と言われていました。その言葉に、″人々のために″という使命感が、にじみ出ていて、心が洗われる思いでした。
 池田 ″人々のために″それが本当の大学者の心です。また、どんな分野であれ、その心なくして大きな仕事ができるはずがない。この心が忘れ去られているのが現代です。
 須田 「人の幸せは自分の不幸」「人の不幸が自分の幸せ」と放言する人さえいます。
 斉藤 そういう人は、競争社会に毒された悲しい犠牲者ですね。
 池田 本当は、人のために生きることは、自分の幸福のためにも不可欠なのです。
 遠藤 深層心理の研究で有名なユングなどの心理学者たちは「理想的な人生」を、おおよそ、こう描いています。
 ──「幼年期」には、両親など周囲の人々の愛に包まれて安心感があり、「青年期」には、より高きもの、神聖なものを求めて努力する。「中年期」には他者に奉仕し、「老年期」には希望や智慧などの内面性に生きて、人生そのものを絶対的に肯定できる。そういう人生が完全に幸せな人生である、と。
 池田 高きものを求めて努力し、他者に奉仕して、人生を完成させる──仏法の「菩薩」の生き方に通じる。この「菩薩」の生き方を復活させることが二十一世紀の根本課題なのです。
2  レニングラード市民の戦い
 須田 ヴォロビヨヴァ博士との対話で先生が語ってくださった「レニングラードの戦い」でも、菩薩のごときドラマが、たくさん生まれたといいますが──。(レニングラードは現在サンクトペテルブルグに)
 池田 そう。九百日にわたるナチス・ドイツの包囲──この戦いで、八十万とも百万人ともいわれる市民が亡くなりました。大半が餓死であった。(包囲のエピソードは、ソールスベリー『攻防の900日』大沢正訳〈早川書房〉から引用、参照)
 ある女性詩人は、夫の遺体を子どもの橇に乗せて、郊外のピスカリョフ墓地まで運んだ。野積み遺体の中に放置するしかなかった。彼女が、疲労と空腹に耐えながら、休み休み道を歩いていると、同じように亡骸を布などで包んで橇で運ぶ、いく人もの女性たちとすれちがったという。彼女は詠んだ。
 「わたしにとって勝利など
 本当にあるのでしょうか?
 それがわたしにとってなんでしょう
 わたしを放っといて
 わたしに忘れさせて
 わたしはひとりで生きますから……」
 遠藤 ピスカリョフ墓地には、池田先生も訪問されましたね。
 池田 献花をし、心から追善の祈りを捧げました。墓碑銘の一節に、こうあった。
 「だれ一人忘れることはないなに一つ忘れることはない」
 レニングラードの歴史は、一人として代えることのできない″百万の人生″の重みをもって、私たちに呼びかけているのです。
 ″平和を! 何としても平和を!″″こんな不幸を、二度と繰り返してはならない!″と。
 その声なき叫びを届けるために、私は世界をまわり、人々と会い、対話を続けています。
 斉藤 そういうなかで、何がレニングラードの市民を支えたのでしょうか。
 池田 さまざまな見方はあるが、「ラジオ放送」の力が大きかったと言われている。
 遠藤 有線放送ですね。普通のラジオ受信機は、持っているだけでも死刑、とされていたそうです。
 池田 そう。人々は、食べ物もない、寒い部屋にじっとして、ラジオから流れる詩の朗読や演奏を楽しみにしていた。しかし、聴くほうも生きているのがやっとなら、放送するほうも息絶え絶えだったのです。
 ある詩人は、スタジオで最後の力をふりしぼっての朗読後、飢えと衰弱で倒れ、数日後に息を引きとった。ある歌手は、倒れないようにステッキで姿勢をたもちながらアリアを歌い、その夜、亡くなった。放送局には、T字の形をした熊手のような木組みが置かれていたが、それは、弱りきって立っているのがやっとの出演者を支えるためだった。
 放送局長は、懸命に出演者を励ました。
 「何千とあるアパートのなかで、聴取者のみなさんがあなたの声を待っているのです」
 電力不足で放送が中止された時には、「配給を減らされても我慢するから再開してほしい」という市民の声が寄せられたほどです。
 ″なんとか、みんなを励ましたい″。その命がけの「声」が、凍える市民の心に勇気の灯をともしたのです。食糧も暖房も灯火も途絶え、そして、希望も失われた時に、人々の生命を支えたのは、魂に呼びかける「声」であり「言葉」だったのです。
 人間は、胃袋だけが飢えるのではない。魂にも糧が必要なのです。
3  斉藤 「本当の文化とは何か」を考えさせられますね。
 池田 艦隊のなかでも、何千人もの水兵たちが、ドストエフスキーやトルストイを読んでいたという。
 レニングラードの作家たちの、大事なエピソードがある。
 彼らは、この包囲の生活の様子を本に残そうと考えた。しかし、当局は認可しなかった。だいぶたってから認可がおりたが、そのころにはすでに、作家の多くは亡くなり、生きている作家も、ほとんど仕事ができないほど弱りきった状態だったと言うのです。結局、計画は挫折した。
 こうした様子を伝えながら、ソールズベリーは書いています。
 「人びとは、自分が必要とされているのだ、という意識で、お互いに支え合っていた。なにもすることがなくなつたとき、人びとは死に始めた。することがないのは空襲以上におそろしいことだった」
 認可が遅れたのは、当局のだれも、認可の責任をとりたがらなかったからだという。「官僚主義」が、作家たちの希望を奪い、生命を奪ったのです。「民衆の心を知らない」ということが、いかに恐ろしいことか。学会のリーダーも、心の底から自覚しなければならない。
 ともあれ、″あの人のために頑張ろう″″みんなのために歌おう″。″後世のために書こう″その心が、自分を支え、互いを支えたのです。人のために働くなかに「真実の自分」が輝く。
 「生命の底力」が湧いてくる。それが「人間」です。法華経が教えているのも、その生き方なのです。
 さあ、五百弟子受記品(以下、五百弟子品と略)と授学無学人記品(以下、人記品と略)。いよいよ法華経の前半(迹門)の中心テーマ「開三顕一(三乗を開いて一仏乗を顕す)」の締めくくりだね。

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