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日蓮大聖人・池田大作

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化城喩品(第七章) 因縁──永遠なる「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  須田 ある壮年部の方が、しみじみ言っておられました。
 「今の世の中、情けないことばかりだ。政治家たちは責任をなすりあい、自分の地位を守るのに汲々としている。嫉妬と無責任、無感動、無慈悲が、大手を振って歩いている。そんな日本にいて、本当に情熱をもって理想に生きている人は、何人いるのだろうか」と。
 池田 多くの民衆の思いを代弁していますね。ちょうど百五十年前(一八四六年)、「現代は情熱のない時代だ」と、キルケゴール(十九世紀のデンマークの哲学者)は言いました。
 「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にぱっと燃え上がっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまう」(『現代の批判』桝田啓三郎訳、岩波文庫)と。
 今も彼の時代と似ているようだ。
 遠藤 彼の著作『現代の批判』については、以前、池田先生が、アメリカの青年部に語られました。
 情熱がなく、反省的な時代は「妬み」に支配される。それが定着すると、傑出したものを引きずりおろし、人間を水平化させようとする──ここに、彼の主張の核心がある、と。
 須田 そうでした。鋭く「今」の状況を射抜いていますね。
 池田 そう。キルケゴールの思想が国外で注目されだしたのは、彼の死後(一八五五年)、半世紀以上たってからです。多くの思想家が、これを現代への予言書として推賞した。ヤスパースは「あたこも昨日書かれたかのようなおもむきである」(『現代の精神的状況』飯島宗享訳、『ヤスパース選集』28、理想社)と感嘆したという。
 なぜキルケゴールは、これほどまで深く、「現代」を洞察しえたのか。それは、一つには、彼が自分の寿命が短いことを自覚し、その短い生涯のうちに、なすべきことをなそうと戦ったからです。
 遠藤 権威の聖職者やマスコミの中傷にも、ペンの力で立ち向かいました。そのさなかに、四十二歳で亡くなっています。
 池田 彼は自分で、三十四歳まで生きられないと信じていた。母を亡くし、七人兄弟の五人までを失い、比較的長生きした二人の姉でさえ三十三歳で亡くなっている。その姉以上には、生きられないにちがいない、と。彼が満三十四歳を迎えた時の日記には、「奇跡だ。まったく合点がゆかない」(工藤綏夫『キルケゴール』〈清水書院〉の中で紹介)と記している。
 そして、三十代を中心にした十年余のうちに、およそ四十冊の著書と二十巻におよぶ遺稿を書き残した。『現代の批判』はその一冊です。このなかで彼は、現代の「水平化」を食い止めるには、個人個人が「不動の宗教性を獲得するしかない」(前掲『現代の批判』)と結諭した。
 その哲学は″自分自身の使命を知らねばならない。そのために生き、そのために死のうと思える理想を発見することが必要なのだ″との一点に貫かれていた。
 斉藤 そうした「理想」「使命」に目覚めさせるのが二十一世紀の宗教ですね。
 池田 そう。法華経が現代に贈る「智慧」です。自分は何のために、この世に生まれたのか。何をこの世でなすべきか。それを衆生に気づかせるために仏は出現したのです。
 方便品(第二章)から始まって、まず仏は「法理」を説きました。舎利弗はわかった。次に「譬喩」を説きました。四人の声聞は悟った。さらに多くの衆生を目覚めさせなければならない。そのために仏は何を説いたのか。その智慧の発光のドラマが化城喩品です。
2  三千塵点劫──長遠の師弟関係の始まり
 斉藤 化城喩品のキーワードは「因縁」です。
 遠藤 「因縁」というと、今では、「因縁をつける」とか(笑い)、「因縁話」とか(笑い)、あまり良いイメージで使われていないようです。もちろん、それは仏教本来の「因縁」(原因、条件の意)から派生し、世俗的な意味を帯びたものです。
 斉藤 化城喩品の「因縁」は、釈尊と声聞の弟子たちとの過去世からの深い「結びつき」であり、師弟の「絆」を明かしたものです。
 だから、サンスクリット語の法華経ではこの品の題名は「過去世からの結び付き」(プールヴァ・ヨーガ)とあります。また、竺法護訳の『正法華経』では、三千塵点劫という大昔について説いていることから「往古品」(大昔の章)と訳されています。
 羅什三蔵が「化城喩品」と訳したのは、この品の後半で有名な「化城宝処の譬え」が説かれるからです。
 池田 釈尊は今世だけでなく、果てしない過去から、うまずたゆまず、一貫して弟子の声聞たちを導いてきた。そういう過去からの「因縁」を教えたのです。
 ″今世だけのことではないのだよ。いつも私は君たちと一緒だった。君たちはいつも私と一緒だったのだ″──この熱いメツセージが、声聞たちを目覚めさせたのです。
 そして彼らは、小乗の悟りをもたらす二乗の法は方便であり「化城」だったのだ、成仏という「宝処」こそ本当の目的地だったのだ、お師匠さん(釈尊)は、その宝処にわれわれを連れていってくれるために、これほどまでに忍耐強く、これほどまでに慈愛深く、これほどまでに巧みに導いてくださったのだ──と感動するのです。これが「化城宝処の賛え」の意義です。
 須田 それで、化城喩品という題名でよいわけですね。師弟の関係の長さを説いた「三千塵点劫」とは、気の遠くなるような長遠の時間です。
 次のように説かれています。
 まず三千大千世界にある大地を全てすり潰して塵にし、東方に向かって千の世界を過ぎたところで一つの塵を落とします。さらに千の世界を過ぎたところでまた一つの塵を落とし、同様にして全ての塵を落とし終わるところまで行きます。そして塵を落としたところと落とさないところを問わず、それまで経過した範囲の全ての世界をまたすり潰して塵とし、その塵の一つを一劫と数えると言うのです。
 数えるといっても、数えきれるものではありません。そもそも、最初にすり潰す三千大千世界は、古代インドの世界観で言えば全宇宙ですし、今日の天文学の知識に当てはめれば、太陽系を十億も集めたほどの広大な世界となります。また、一劫という時間も計り知れない。過去世の因縁を明かすにしても、どうしてこのような久遠の過去まで遡らなければならないのでしょうか。
 遠藤 それについて天台は「化導の始終」、つまり弟子たちに対する釈尊の化導の始めから終わりまでを明かすのが化城喩品である、と言っています。始まりは三千塵点劫の昔、終わりは今の法華経の説法です。
 池田 その「始まり」にカギがあるのです。「始まり」に何があったのかがわかれば、今、法華経で成仏の教えである一仏乗を説く意味もわかる。結論的に言えば「下種」が重要なのです。
 日蓮大聖人は「三千塵点劫の時に仏果の種子を下種し、法華経に至って種子を顕し開顕を遂げる」(御書二八四ページ、趣意)と仰せです。
 種を植え(下種)、育て(熟)、実りを得る(脱)──。成仏という果実を今、「授記」によって約束するにあたり、その原点である「下種」の時のことを教えているわけです。
 では下種の時とは、どういう時か。釈尊の化導の始まりに何があったのか。まず、化城喩品の説くところを追ってみたらどうだろうか。
3  斉藤 はい。化城喩品では、初めに、仏の出現が説かれます(法華経二七三ページ)。仏の名は「大通智勝仏」です。また、この仏の国土は「好成」といい、その時代(劫)は「大相」と名づけられています。これらの名に、この時代がどういう時代であったかがうかがえます。
 「大通智勝仏」という名は、″大いなる神通と智慧によって最も勝れた仏″という意味で、この仏が″智慧の完成者″であることが示唆されています。また時代の名である「大相」は″偉大なる姿″という意味であり、国土の名である「好成」は、″好き生成″″好き生誕″″好き起源″等の意味になります。
 池田 大通智勝仏という、大いなる精神的指導者が世に出現し、これから新しい偉大な時代が形成されていく──そういう″始まりの時″を表しているのでしょう。
 新しい時代が始まる時には、いつも精神の変革者が現れる。自身が精神の新しい次元を開き、旧思考にとらわれた人々の心を解放する。あるいは、目に見えない形で深い精神的影響を与えていくのです。
 私どもも、先覚者の誇りをもって前進したい。大聖人は「南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は大通智勝仏なり」と仰せです。
 須田 その大通智勝仏の成仏について、化城喩品では、かなりくわしく説かれています。ここで、分かりにくいのは、大通智勝仏が道場に坐して魔軍を破った後にも、十劫もの間、成仏しなかったと説かれていることです。
 「其の仏は本と道場に坐して、魔軍を破し已って、阿耨多羅三藐三菩提(=無上の悟り)を得たまうに垂んとするに、而も諸仏の法は現に前に在らず。是の如く一小劫、乃至十小劫、結跏趺坐して身心動じたまわず。而も諸仏の法猶お前に在らざありき」(法華経二七六ページ)とあります。
 池田 魔軍を破るとは、根本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われる。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではない。それは悟りの一面です。衆生を救う慈悲と智慧が現れてこそ本当の悟りなのです。
 化城喩品は声聞たちへの説法です。声聞たちは、煩悩を断じて静寂な境地に入ることが悟りだと思っている。仏の真の悟りは、それとは違うことを示すために、あえて大通智勝仏の成仏をこのように描いているのかもしれない。
 もちろん、慈悲・智慧といい、煩悩といっても、「空」であり、実体論的にとらえてはならないことは言うまでもない。そのうえで、分かりやすく言うならば、仏の悟りは、煩悩を「断ずる」のではなく、慈悲と智慧が、煩悩や業を「包み返す」のです。「煩悩・業・苦の流転」を押し返して、「慈悲と智慧の清流」になる。生命の「悪の波」を「善のうねり」へと変える。
 煩悩に煩わされないという意味では、静寂で澄みきった境地だけれども、同時に真の躍動があるのです。それは大海のごとき境涯です。いかなるときも、深みでは絶対の静寂と安定がある。
 そしてつねに「善のうねり」が生命に躍っている。妙法の働きが「如如として来る」ので、如来です。これが、妙法と完全に一体化した仏の悟りの姿です。
 遠藤 おもしろいのは、その十劫の間、諸天が大通智勝仏を供養し続けます。忉利天とうりてんは壮大な獅子座(仏が座る所)を供養し、梵天王たちはつねに天華を降らせ、四天王たちは天鼓を嶋らし続けます。いわば無上の悟りを得ようとしている仏への″応援団″です(笑い)。
 池田 衆生の代表である諸天が″応援団″になったというのは、仏の出現を待つ衆生の心を表現しているといえよう。
 広げて言えば、学会の音楽隊、鼓笛隊をはじめ、すべての合唱団、音楽グループなども、個人の成仏へ、広宣流布へと励ましていく応援団です。諸天といっても、遠いところにいるのではありません。
 遠藤 大通智勝仏が無上の悟りを得た時に、世界中が日月にも勝る光で満たされます。
 池田 仏の生命に妙法が浸透しきり、衆生を救う広大な慈悲と無量の智慧の香りが、全宇宙に向かって放たれたのです。光は、そのシンボルでしょう。

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