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日蓮大聖人・池田大作

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信解品(第四章) 信解──「信仰」と「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 この座談会のサブテーマは「二十一世紀の宗教を語る」ですが、これに関連して、忘れられない池田先生の語らいがあります。それは二年前(一九九三年)の三月、ハーバード大学のサリバン博士と会談された時のことです。
 須田 私もよく覚えています。聖教新聞に大きく「二十一世紀の『人間と宗教』を語る」と掲げられていました。
 遠藤 サリバン博士は、ハーバード大学の「世界宗教研究センター」の所長でしたね。
 池田 そう。その時、語り合ったことが、この「法華経の智慧」の一つの底流にもなっている。
 斉藤 語らい全体が素晴らしかったのですが、なかでもとくに印象深かったのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを論じられたところです。
 宗教と宗教は「民衆に応える」という点で「自由競争」をすべきだと、先生は強調されました。そして、その平和的論争の基準として、仏法は三証(文証・理証・現証)を説くこと、宗教にも寿命があり、死せる宗教に固執すべきではないこと、などを論じられています。
 先生の結論は意外でした。
 「ともあれ何が真理かを決める主体は『民衆』です」と。
 いえ、意外どころか、じつはそこに感動したのです。″そうだったのか。仏法者の民衆観、宗教観とは、こういうものなのか″と。
 遠藤 もし私なら、「日蓮大聖人の仏法しかありませんよ」と言いっ放しで終わったかもしれません(笑い)。
 斉藤 たしかに、私たちは、ともすれば、そういう飛躍をしがちですね。
 私が感動したのは、二十一世紀の宗教はどうあるべきかを決めるのは「民衆自身」であるということです。これは同時に、民衆が考え、民衆か賢くなり、民衆自身が選んだのでなければ、真の民衆宗教とは言えないということでもあります。
 須田 本当にそうですね。もしかりに、ある優秀な為政者がいて、「正しい宗教はこれだ」と考えたとします。それを国民のために国教にし、「正しいのだから、皆、これを信仰しなさい」と命じたとします。極端な例えかもしれませんが、これでは、宗教は民衆に根づかないでしょう。
 正しいからといって、何かの力によって一方的に与えられたり、保護されたりしたのでは、「宗教の死」です。民衆の「精神の自由の死」につながってしまう。
 池田 そう。仏教にはもともと、権力を使って信仰を押し付けようという発想はない。アショーカ大王も自身は熱心な仏教徒であったが、全宗教への寛容に徹しています。
 日蓮大聖人は、佐渡流罪から戻られた時、寺を寄進しょうという幕府の申し出を断ったと伝えられている。幕府に保護してもらおうなどという発想は、微塵ももっておられなかったのでしょう。
2  遠藤 「権力が主体」ではなく、「民衆が主体」ということですね。今の時代では、なおさらそうあるべきだと思います。
 斉藤 その理想に照らして見ると、今の日本は、どうでしょうか。
 国民は、賢明になろうとしているでしょうか。自分で考えようとしているでしょうか。宗教に無知な状態のまま停滞し、その無知につけこまれて不安感を煽られ、そのあげくに権力者による宗教の管理・統制の動きにも盲目的になっている。
 「法律をもっと厳しくして、悪い宗教を取り締まってください」と言わんばかりの声さえあることは、権力悪への警戒心の薄さと民主主義の未成熱を感じます。
 須田 ジャーナリストのウォルフレン氏は、日本の権力構造の本音は「民は愚かに保て」ということだと告発しました。国民が理性的にならなければ、民衆を愚かなまま支配したい権力者の″思うツボ″ではないでしょうか。
 池田 学会は民衆の集まりです。民衆が愚弄されないために戦っている。すべての民衆が「強く」「賢明」になるために、平和と文化のネットワークを広げ、教育に力を注いでいます。
 民衆が本来持っている強さ、賢さ、明るさ、温かさ。そうした可能性を引き出す原動力になるのが信仰なのです。
 愚かになるために信仰するのではない。賢明になるためにこそ信仰はある。賢さとは、人を不幸にするような知識ではなく、自他ともに向上するための智慧です。
 今の社会の狂いは、全人格的な「智慧」と「知識」とを混同し、全人格的な「信仰」と「盲信」との見わけがつかないところから起こっていると言える。
 「妙と申す事は開と云う事なり」と大聖人は仰せです。どこまでも可能性を開き、向上しょうとする特性が、生命にはある。その特性を、最大に発揮させていくのが妙法であり、真の宗教です。そして生命を開き、智慧を開くカギが「信」の一字にある。大聖人は「開とは信心の異名なり」と仰せです。
 限りなき生命の「向上」──その心を、鳩摩羅什は「信解」と訳しました。法華経の第四章「信解品」のタイトルです。
 「信解」とは、やさしく言えば「心から納得する」ということです。だれもが納得できることが大切です。法華経はそういう信仰を説いている。断じて盲信ではないのです。
 この信解品を通して、「信仰とは何か」「信ずるとはどういうことか」を語り合いたいと思う。
3  四大声聞が目覚めを語る「長者窮子の譬え」
 斉藤 信解品は、二乗作仏が説かれた歓喜から開幕します。
 譬喩品(第三章)で、釈尊は、舎利弗が将来、「大宝厳」という時代に「離垢」という世界で「華光如来」という仏になるだろうと保証を与えました。
 これまで諸大乗経では、成仏できないと厳しく糾弾されていた二乗が、将来、必ず成仏できると初めて説かれたのです。
 遠藤 それを受けて、須菩提ら声聞を代表する四人がその喜びを語ります。
 「解空第一」と言われた須菩提、「論議第一」の迦旃延、「頭陀(貪欲を払いのける修行)第一の迦葉、「神通第一」の目犍連は、「世尊が舎利弗に対して、将来、阿耨多羅三藐三菩提(仏の無上の悟り)を得るだろうと記別(成仏の保証)を授けられたことを聞いて、味わったことのないような感動を発し、心も歓喜し、身も踊躍した」(法華経二〇八ページ、趣意)と。
 この「未曾有のことに出会えた喜び」を語ったのが、信解品です。
 須田 彼らは、「僧の首」即ち釈尊の教団のリーダー、最高幹部でした。
 しかし「年並びに朽邁せり」(同ページ)、もはや年老いて枯れてしまった、と。また「みずから己に涅槃を得て、堪任する所無しと謂いて」(同ページ)、すでに自分たちは悟りを得ていて、もはや頑張ることはないと思っていた。そして「阿耨多羅三藐三菩提を進求せず」(法華経二〇九ページ)、仏の得た無上の悟りを求めていなかった。
 池田 立場がある。年功がある。経験がある。四大声聞は、そこに安住してしまっていた。
 自分は長い間、修行をして、年老いた。それなりに悟りを得た。もうこれで十分だ。師匠の釈尊の悟りはたしかにすばらしい。けれども、自分たちには、とうていおよびもつかない。だから、このままでいいんだ──と。
 このような、大幹部の無気力を打ち破ったのが、舎利弗への授記だったのです。一生涯、熱い求道心を燃やし続ける。それが、法華経の示す人生です。
 斉藤 小説『新・人間革命』(第三巻)でも紹介されていましたが、舎利弗は釈尊より年長という説があります。法華経が説かれたとされる釈尊入滅直前には、八十歳ほどの老齢だったといいます。
 また、梵本(サンスクリットの写本)をみると、四大声聞も「世尊のそばに永く座っていたので、体中が痛み、関節がうずきました」「年老いて耄碌しておりました」(『法華経』坂本幸男・岩本裕訳注、岩波文庫)と訴えています。
 須田 師である釈尊は、そのような人々に対しても「まだまだこれからだ、頑張れ!」と激励しているのです。すごいことです。
 池田 「永遠向上」の心を教えているのです。「不退」の決意を促しているのです。「進まざる」は「退転」です。仏法は、つねに向上です。前へ、前へと進むのです。「永遠成長」です。それでこそ「永遠青春」です。生命は三世永遠なのです。
 遠藤 また、二乗たちは、菩薩たちが仏法に基づいて、社会を変革し、人々を導いている努力に対しても、冷めた眼差しで見ていたと語っています。
 池田 二乗は、いわば″心が死んでいた″のです。みずからが仏になろうと欲しない。また、仏になろうと目指して努力している人に対しても、お高く止まって冷淡である。人ごとのように見、バカにしている。だから、諸大乗経典では「焼種」、仏となる種子を焼いてしまった者だと言われていたのです。
 しかし、仏はその二乗を根底では見捨てていなかった。″このままでは駄目だ。お前たちは、本当はそんなものではないぞ。もっとすばらしい境涯を手に入れられるのだぞ″と厳しく叱って、励ましたのです。

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