Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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序論 「生命」がキーワードの時代へ  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  斉藤 このたびの阪神・淡路の大震災(一九九五年一月一七日)を通して、「生命の重さ」を、改めて痛感しました。とくに、政府の対応の遅さ、無慈悲さには、怒りの声が、世界中から起こっています。なぜ人命を最優先にしなかったのか──と。
 遠藤 本当に、その通りだと思います。生き埋めになった人を救出する場合、わずか一、二時間の対応の遅れが、被災者の生存を左右します。それが分かっているから、各国の救援隊は緊急出動の体制をとってくれた。それを政府は、ほとんどむだにしてしまったのです。
 だれが、いつ、どう判断し、それを断ったり、保留にしたりしたのか。一切の克明な事実を公表すべきでしょう。国民、なかんずく被災者には、それを知る権利があります。
 須田 池田先生と会われたハワイ大学のマーセラ博士(臨床心理学研究所長)も、こうした救援メンバーの一人だとうかがいました。心理学の専門家が、災害時に緊急出動する。そんなところにも人間への視点を感じます。
 大震災の時、博士も即座に体制を整え、いつても向かえる状態で待っておられた。しかし結局、日本政府からの要請がなく、出動できなかったそうです。
 池田 マーセラ博士から、そのお話は、うかがいました。
 被災者のことを思うと、本当に胸が痛みます。毎日のように「死者五千何人」と報道されていますが、人間を「数」で計ることはできません。五千人亡くなったから、悲劇なのではない。亡くなったどの方も、かけがえのない父であり、母であり、わが子であり、家族であり、友であったのてす。(=その後の調査で犠牲者は六千四百人を超えた)
 戸田先生も二十三歳の時に、幼いお子さんを亡くされた。三歳の女の子でした。
 「冷たい死骸を一晩抱いて寝て泣きました。(中略)そのときぐらい世の中に悲しいことはなかった」(『戸田城聖全集』2。以下同じ)。三十年以上たった、ある質問会の折にも、話しながら、涙ぐんでおられた。
 「そこで、もし自分の妻が死んだら……と私は泣きました。その妻も死にました。もし母親が死んだらと思いました。それは私としても、母親が恋しいです。今度はもう一歩つっこんで、ぼく自身が死んだらどうしようと考えたら、私はからだがふるえてしまいました」
 「それが牢に入って、少しばかりの経典を読ませてもらって『ああ、よくわかりました』と解決したのですが、死の問題は二十何年間かかりました。子供を亡くして泣きすごすと、妻の死も自分自身の死もこわかった。これがようやく解決できたればこそ、戸田は創価学会の会長になったのであります」と。
 ともあれ、災害時の対応には、その国の「文化」が表れる。「生命を大切にする社会」か否かを、はっきりと映し出してしまいます。
 斉藤 「生命」を最高の価値とする時代をつくらなければなりません。
 池田 そのためには、「生命」の素晴らしさ、尊さ、無限の可能性を説き明かした哲学が絶対に必要です。先ほど戸田先生が″牢で経典を読まれた″話をしましたが、先生の「獄中の悟達」の焦点も、そこにある。
 須田 ここでは、その「獄中の悟達」の意義から、うかがいたいと思います。
2  「獄中の悟達」の意義
 遠藤 私は、高校生の時に、聖教新聞に連載されていた池田先生の小説『人間革命』第四巻、「生命の庭」の章を読んで、初めて戸田先生の悟達について知りました。
 戦時中の拘置所の中で、すさまじい気迫で法華経の真髄を求め抜かれた厳粛なドラマ。法華経について、ほとんど何も知らなかった私の心にも、深く残りました。
 池田 一言でいえば、戸田先生の悟達は、創価学会こそ日蓮大聖人の仏法の継承者であることを明らかにした、記念すべき瞬間です。
 今日の広布進展の原点であり、仏教史上、画期的な出来事であったと、私は確信しています。
 難解な仏法を現代に蘇生させ、全民衆のものにしたのです。私も、若き日、戸田先生から直接、その内容を聞かせていただいた。学会の宗教的・哲学的核心が、ここにあると思った。
 それはそのまま、日蓮大聖人の仏法の極説に通ずる。戸田先生の悟達は、人類の行き詰まり打開への「道」を開いたと、私は信じている。この「道」を、あらゆる次元へ広げていくのが弟子の使命です。
 須田 法華経身読のドラマは、昭和十九年の元旦、軍部権力の手によって獄中の身にあった戸田先生が、法華経を読み切ろうと決意されたところから始まりました。法華経が、何度宅下げしても、不思議と独房に舞い戻ってきたと言うのです。
 戸田先生が当時読まれたのは、返り点も、送り仮名もない白文の法華経でした。身近に天台などの解説書もなかった。戦時中の拘置所という最悪の環境のなかだった。牛乳びんの蓋で作った数珠を手に、一日一万遍以上の唱題を実行されながら、まさに全生命をかけて法華経に肉薄されました。
 遠藤 そして、すでに法華経を三回読み返し、四回目に入った三月初旬、法華経の開経である無量義経の難解な文について思索されている時に「仏とは生命なんだ」と覚知されたのです。
 池田 仏法が二十世紀に蘇った瞬間です。
 遠藤 その無量義経の文には「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず緑に非ず自他に非ず……」と始まって″三十四の非ず″が繰り返されています。
 (無量義経徳行品には「其の身は有に非ず 亦無に非ず 因に非ず 縁に非ず 自他に非ず 方に非ず 円に非ず 短長に非ず 出に非ず 没に非ず 生滅に非ず 造に非ず 起に非ず 為作に非ず 坐に非ず 臥に非ず 行住に非ず 動に非ず 転に非ず 閑静に非ず 進に非ず 退に非ず 安危に非ず 是に非ず 非に非ず 得失に非ず 彼に非ず 此に非ず 去来に非ず 青に非ず 黄に非ず 赤白に非ず 紅に非ず 紫種種の色に非ず」と三十四の「非」を重ねて仏の身について述べられている)
 池田 「其の身」とは仏の身のことです。経文を読めば、そのことは分かる。しかし、その実体は分からない。
 それは「非ず」という否定形を重ねてしか表現できない何かである。どんな「定義」をしても、そこから、はみ出してしまう面をもつ何かである。しかも、どんなに否定形を重ねても、それでもなお厳然と存在する実在である。
 だからといって、それを単に言語表現を超えたものとか、不可思議なもの、空なるものとか言って、仏を超越的なものに祭り上げても、何も分かったことにはならない。戸田先生は「実感」としてつかみたかった。「体得」されたかった。空虚で観念的な理解では、決して満足されなかった。
 斉藤 当時のご心境は、戸田先生の小説『人間革命』の主人公、巌さんを通して描かれています。
 「巌さんの眼鏡の底の眼は無量義経の徳行品第一を読んで行って、偈のところへくると、白い焔のように光って、最早、眼が読み進んでいるのではなく、頭で読んでいるのでもなく、彼はその一字一句へ逞しい身体を叩きつけているのだった」(『戸田城聖全集』8)
 池田 まさに「身」で読もうとされたのです。
 法華経では「一切衆生の成仏]を説く。しからば、その仏とはいかなる実在か。成仏とは何か。これは仏教全体の根幹にかかわる問題です。戸田先生は、この根本問題を深く思索され、追究されたのです。
 そして、突如として戸田先生の脳裏に「生命」という言葉が浮かんだ。「仏とは生命なり」と読み切られた。
   ″「生命」は有に非ず亦無に非ず
   因に非ず縁に非ず自他に非ず
   方に非ず円に非ず短長に非ず
   …………
   紅に非ず紫種種の色に非ず″──と。
 遠藤 戸田先生は、その時、心に叫ばれています。
 「仏とは、生命なんだ! 生命の表現なんだ。外にあるものではなく、自分自身の命にあるものだ。いや、外にもある。それは宇宙生命の一実体なんだ!」(同前)
 斉藤 戸田先生は、″実在として″つかまれたからこそ、「生命」という言葉で表現されたのですね。
 池田 そう。現代人にも分かる、平易で生きた言葉。しかも、深遠な仏法の真髄を表現し切った「一句万了」(一句にすべてがおさまった)の一言です。
 「生命」は、現に万人にそなわっている。だから万人が実感できる具体性がある。その意味でも、戸田先生の悟達は仏法を万人のものとしたのです。
 また「生命」には多様性がある。豊かさ、闊達さがある。それでいて、法則的であり、一定のリズムがある。この「多様性の調和」を教えたのが一念三千です。その一念三千を体得したのが仏だ。
 しかも「生命」には開放性がある。外界と交流し、物質やエネルギーや情報をたえず交換する開かれた存在である。それでいながら、自律性を保っているのが生命です。宇宙全体に開かれた開放性、そして調和ある自由、これが生命の特徴である。
 仏の広大無辺の境涯とは、生命のこの自由、開放、調和を、最大限に実現した境涯だとも言える。
 妙の三義には「開く」義、「円満」の義、「蘇生」の義がありますが、これこそ「生命」の特質です。そして「仏」の特質にほかならない。ある意味で、仏典はすべて生命論です。天台の仏法は「己心の中に行ずる所の法門を説く(説己心中 所行法門)」(『摩訶止観』)とされ、大聖人は「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」と仰せになった。
 ある時、戸田先生が、笑いながらおっしゃっていた言葉が忘れられない。
 「『説己心中 所行法門』を色読できるなり」──この天台の確信が、身で分かるのだと。
 その時、先生は言われた。
 「大ちゃん、人生は悩まねばならぬ。悩んではじめて、信心もわかる、偉大な人になるのだ」。病魔と戦う私に、何とか生命力をつけようとされていた。私が二十七歳の時です。
 感動して私は、日記にも書いた。けれども先生ご自身こそ衰弱が激しく、お体の具合が非常に悪い時だった。それでも先生は青年を、どう励ますか、どうしたら自分と同じ境涯にできるか、常に心を砕いておられた。
 斉藤 崇高なご境涯、崇高な師弟のお話だと思います。
3  「生命論」に創価学会の原点
 池田 ご自身の悟達後の境涯について戸田先生は、ある人に、こうも語っておられた。
 「広いところで、大の字に寝そべって、大空を見ているようなものだ。そして、ほしいものがあれば、すぐに出てくる。人にあげてもあげても出てくるんだ。尽きることがない。君たちも、こういう境涯になれ。なりたかったら、法華経のため、広宣流布のため、ちょっぴり牢屋に入ってみろ」
 そして「今は時代が違うから牢屋に入らなくてもいいが、広布のために骨身を惜しまず戦うことだ」と。
 須田 戸田先生の悟りは、単に観念の理解ではなく、生命そのものの変革だったのですね。
 池田 その通りです。仏法の目的は、結局、境涯を変えるところにあるのです。また生命論といっても、学会が独自に始めたものではありません。日蓮大聖人の仏法自体が生命哲学です。これを継承したのが学会てす。
 釈尊は、生老病死という人生の苦と対決して、自己の内奥の広大な世界を開いていった。天台もまた、法華経を根本として生命を内観し、そこに覚知したものを一念三千として説明した。
 華厳経では、心と仏と衆生は無作別であると説いているが、天台は、これを借りて、心と仏と衆生の三つの次元で法華経の妙法を論じた。「生命」は、これら三つを統一的に表現できる、現代的な言葉でもあります。
 そして日蓮大聖人は、生命の本源の当体を南無妙法蓮華経であると悟られた。それを全民衆が覚知し幸福への道を開いていくために御本尊をあらわされ、御義口伝をはじめ諸御書で生命哲学を説かれたのです。すなわち、生命論こそが仏法の本体であった。
 斉藤 その本体を、どのように人々に知らせていくか。ここに、先哲の苦闘があったのですね。
 池田 そう。しかも、戸田先生の「生命論」は、ただ「論」のための「論」ではありません。科学的な分析と総合を繰り返して出来たのでもない。かといって、科学にも道理にも反しない。
 戸田先生ご自身の、真理に対する全人格的な格闘によって、法華経の奥底から汲み上げられたものです。これこそ「法華経の智慧」と言える。ゆえに、この「生命論」には、知識を与えるだけでなく、発想の転換を促す力がある。そして希望へ、現実の行動へとつながっている。「生きる力」を湧きたたせる「事の哲学」です。
 この哲学を、そのまま実践に移すならば、そこから、無気力と苦悶の人生を、充実と喜びの人生へ転換しゆく、自己変革のドラマが始まる。そこから、人類が強くなり、豊かになり、賢明になるための、あらゆる次元の革命の歯車が回り始めます。
 斉藤 「人間革命」「総体革命」ですね。
 池田 「人間革命」とは、成仏の現代的表現です。総体革命とは「広宣流布」です。
 それらは、あたかも地球が「自転」しながら太陽の周りを「公転」する姿に似ている。自転によって昼と夜があり、公転によって四季がある。私たちは、太陽の仏法の光に包まれながら、昼もあれば夜もある──無限向上の人間革命史を綴っている。また冬もあれば春もある──広宣流布の春秋のロマンを奏で、進んでいるのです。
 ともあれ学会は、生命論に始まり、生命論に終わるといってよい。「仏とは生命なり」──戸田先生の悟達に、創価学会の原点があったのです。さらに先生は「法華経は何を説かんとしたか」の思索を続けられ、地涌の菩薩として虚空会の儀式に参列している体験をされる。この意義については、後の章で述べることにしよう。
 遠藤 かつて宗門が、戸田先生の「悟達」という表現に難くせをつけてきましたが、在家に、悟達されると、よほど都合が悪いのでしょう(笑い)。
 斉藤 仏法を信奉しながら、悟ったらいけないというのは、大学に入っても卒業してはいけないというようなものですね(笑い)。嫉みでしかない。
 須田 「仏とは生命」──。「生命」という言葉には、科学的で、しかも温かみのある響きを感じます。
 池田 そこがじつは、戸田先生の偉大なところです。
 「仏」というと、人格的な面が表になる。それだけでは、どこか自分とかけ離れた存在というイメージが伴う。また「法」というと、法則とか現象とか、非人格的な面になる。それだけだと、あまり温かみはない。本来、「仏」も「法」も別々のものではない。「生命」といった場合には、その両面が含まれる。
 「生命は万人にある」「生命は尊い」。これは、だれ人も否定できません。「仏とは生命なり」との宣言は、何より、仏法の真髄は「自分自身」にこそあることを、はっきりさせたのではないだろうか。

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