Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第31巻 「誓願」 誓願

小説「新・人間革命」

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1  誓願(1)
 新しき時代の扉は青年によって開かれる。若き逸材が陸続と育ち、いかんなく力を発揮してこそ、国も、社会も、団体も、永続的な発展がある。ゆえに山本伸一は、常に青年の育成に焦点を当て、全精魂を注いできた。
 青年が、広布の後継者として大成していくうえで大切な要件は、何よりも信心への揺るぎない確信をつかむことである。そして、地涌の深き使命を自覚し、自身を磨き鍛え、人格を陶冶していくことである。ゆえに、挑戦心、忍耐力、責任感等々を身につけ、自身の人間的な成長を図っていくことが極めて重要になる。伸一は、そのための一つの場として、青年たちを中心に、各方面や県で文化祭を開催することを提案してきた。
 文化祭は、信仰によって得た生命の躍動や歓喜を表現する民衆讃歌の舞台である。さらに、信頼と友情がもたらす団結の美と力をもって描き示す、人間共和の縮図である。また、広宣流布、すなわち世界平和への誓いの表明ともなる希望の祭典である。
 二十一世紀に向かって飛翔する創価学会の文化祭の先駆となったのは、関西であった。
 一九八二年(昭和五十七年)三月二十二日、大阪の長居陸上競技場で、第一回関西青年平和文化祭が開催されたのである。
 関西には、全国、全世界に大感動を呼び起こした、六六年(同四十一年)に阪神甲子園球場で行われた「雨の関西文化祭」の歴史があった。この文化祭の記録フィルムを、当時、中国の周恩来総理の指示で、創価学会を研究していた側近の人たちも観賞していた。その一人で、総理と伸一の会見で通訳を務めた林麗は、こう語っている。
 「若人が泥んこになって生き生きと演技している姿を見て、本当にすばらしいと思ったのです」「創価学会が大衆を基盤とした団体であることを実感しました。中日友好への大切な団体であると深く認識したのです」
 関西青年部には、この文化祭を超える、芸術性と学会魂にあふれた感動の舞台にしなければならぬとの、強い挑戦の気概があった。
2  誓願(2)
 第一回関西青年平和文化祭の前年にあたる一九八一年(昭和五十六年)十一月、第三回関西総会に出席するため、大阪を訪れた山本伸一に、関西の青年たちは言った。
 「来年三月の関西青年平和文化祭は、『学会ここにあり、創価の師弟は健在なり!』と、満天下に示す舞台にいたします!」
 「十万人の青年がお待ちしております!」
 燃える太陽のごとき、若き情熱を感じた。
 文化祭は、三月二十一、二十二の両日にわたって行われる予定であったが、二十一日は激しい雨で中止となった。この日、大阪入りした伸一は、落胆しているであろう青年たちを励まそうと、役員会に駆けつけた。
 この文化祭で関西の青年たちは、至難の技である六段円塔に挑もうとしていた。前年四月に、東京下町の同志が集った東京家族友好総会で、江東区男子部が完成させていたが、文化祭では、初の挑戦となる。その報告を受けていた伸一は、こう言って励ました。
 「今日は中止になって、さぞ残念に思っているだろうが、六段円塔という極限の演技を二日も続けることは、あまりにも過酷です。事故も起こりやすい。むしろ雨が降ってよかったんです。明日を楽しみにしています」
 文化祭は、安全、無事故が鉄則である。事故を起こしては、取り返しがつかない――関西の青年たちは、そう深く自覚し、六段円塔への挑戦が決まると、絶対無事故を決意し、事故を起こさぬための工夫、研究を重ね、皆で真剣に唱題に励んだ。
 出演者も体操競技の経験者などを優先して集め、まず、徹底した基礎体力づくりから始めた。走り込みや腕立て伏せ、足腰や体幹強化のための運動などが、来る日も、来る日も繰り返された。
 屋外の練習場では、怪我などさせてはならないと、近くの壮年・婦人部が、自主的にガラスの破片や小石を拾い、清掃に努めた。
 仏法は道理である。御書に「前前の用心」と示されているように、万全な備えがあってこそ、すべての成功がある。
3  誓願(3)
 「常勝関西」に、さわやかな希望の青空が広がっていた。二十二日午後一時半、関西青年平和文化祭は、新入会員一万人の青年による平和の行進で幕を開けた。
 誉れの青春を、真実の生き方を求めて創価の道に進んだ新入会の若人たちが、胸を張って歩みを運ぶ。宗門事件の逆風のなかで、懸命に彼らと仏法対話し、弘教を実らせた同志たちは、その誇らかな姿に胸を熱くした。新しき力こそが、新しい未来を開く原動力だ。
 「国連旗」「創価学会平和旗」が入場したあと、山本伸一が青年たちに贈った詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」に曲をつけた合唱曲を、二千人の混声合唱団が熱唱し、グラウンドいっぱいに純白のドレスが舞う。女子部の創作バレエである。
 平和の天使・鼓笛隊のパレードや高等部のリズム体操、女子部のダンス、袴姿も凜々しい学生部の群舞、音楽と人文字とナレーションで構成する「関西創価学会三十年の歩み」、中等・少年部の体操、女子部のバレエ、音楽隊のパレード、和太鼓演奏「常勝太鼓」と、華麗な、また、勇壮な演技が続いた。
 やがて、男子部の組み体操となった。
 「ワァー」と雄叫びをあげ、男子部四千人がフィールドに躍り出る。
 「紅の歌」「原野に挑む」など、学会歌が流れるなか、次々と隊形変化し、人間の大波がうねり、人間ロケットが飛び交い、八つの五段円塔がつくられた。
 そして、中央で六段円塔が組まれ始めた。
 一段目が六十人、二段目二十人、三段目十人、四段目五人、五段目三人、六段目が一人――一段目は立ったまま、その肩に、あとの三十九人を乗せていく。一段目が揺らげば、上段を支えることはできない。
 二段目が乗り、中腰の体勢で円陣を組む。
 さらに、三段目、四段目……と順に乗り、同じ体勢で、六段目が乗るのを待つ。
 「いくぞーっ!」
 限界への挑戦というドラマが始まった。皆には、鍛錬を通して培われた自信があった。

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