Nichiren・Ikeda
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第31巻 「勝ち鬨」
勝ち鬨
小説「新・人間革命」
前後
1 勝ち鬨(1)
青年の心には、果てしない希望の青空が広がり、真っ赤な情熱の太陽が燃えている。ほとばしる勇気と、限りない創造の泉がある。
新しき時代の主役は青年である。青年が、いかなる志をいだき、どれほど真剣に学び、果敢に行動し、自身を磨き鍛えているか――そこに、未来の一切がかかっている。
ソ連・欧州・北米訪問から帰国した山本伸一は、今こそ青年の育成に力を注がねばならないと、固く心に決めていた。
一九八一年(昭和五十六年)七月十日夜、男子部・女子部結成三十周年を記念する青年部総会が、常勝の天地である大阪市の関西文化会館で意気軒昂に開催された。伸一は、次代のリーダーたちの、新たな前進と活躍に心から期待を寄せ、長文の祝電を送った。
「道は刻々と開かれている
若き君達の舞台は
刻々と近づいている
私はそのために死力をつくして
君達を広宣流布の
檜舞台にのせたいのだ
一人も退いてはならない
一人もたじろいではならない
一人も軽蔑されてはならない
わが学会の青年部も三十周年を迎え
ここに三十歳になった
三十にして立つとは
古賢の言葉である」
青年よ、立て――彼の魂の叫びであった。
「西暦二〇〇一年に向かって
つねに世間の人々が感嘆し
感服しゆくような
この二十年間
本舞台ともいうべき激動にして
このすばらしき時代を
私とともに勇気凜々
築いていっていただきたいのだ」
眼前の課題を、一つ一つ確実に勝ち越えていくなかに、新世紀の絢爛たる勝利もある。
2 勝ち鬨(2)
山本伸一の祝電は、こう結ばれていた。
「アメリカの青年も
ドイツの青年も
またイタリアの青年も
そしてフランスの青年も
イギリスの青年も
東南アジアの青年も
皆 真実の平和のために立ち上がった
わが真の同志たる日本の青年部の
すばらしい団結とすばらしい成長と
すばらしい勝利の連続の歴史を
祈り待ってメッセージとしたい」
伸一は、広宣流布即世界平和のために、地球上の創価の青年たちが、スクラムを組み、先駆となって、生命尊厳の人間蘇生の哲理を広げていってほしかったのである。
この呼びかけに応えるかのように、会場後方には、青年たちの誓いとして「新たなる広布の歴史は始まった 2001年へ勇んで勝利の前進を!!」との横幕が掲げられていた。
一方、地球の反対側に位置するブラジルでは、大瀑布イグアスの滝から二十キロほどのところにあるフォス・ド・イグアス市で、十一日午後四時(現地時間)から、ブラジルをはじめ、パラグアイ、チリ、ウルグアイ、アルゼンチン、ボリビアのメンバー千人が集い、初の南米男子部総会が開かれた。
アマゾン方面最大の港湾都市ベレンから、バスをチャーターしてブラジルを縦断し、八十時間をかけて参加した同志もいた。
伸一は、ここにも祝福の言葉を贈った。
「ともかく二十一世紀の舞台は君たちのものである。あらゆる苦労をしながら、題目を声高らかにあげながら、職場で第一人者になりながら、生涯を大切にしながら、生活を大切にしながら、教学を研鑽しながら、一歩、一歩、また一歩と、南米の歴史に残る諸君の成長と健闘を心から祈り待ちます」
伸一の呼びかけに、南米の青年も意気盛んに立ち上がった。青年の時代の幕は開いた。
3 勝ち鬨(3)
それは、突然の訃報であった。七月十八日午前零時五十三分、会長の十条潔が心筋梗塞のため、信濃町の自宅で他界したのである。享年五十八歳であった。
前日、十条は、山本伸一と共に、東京・小平市の創価学園グラウンドで行われた北多摩圏の総会に出席し、引き続き創価中学・高校の恒例行事である栄光祭に臨んだ。
夜、伸一は、十条や秋月英介ら首脳幹部を自宅に招き、共に勤行した。唱題を終えて伸一が、世界の青年たちが目覚ましい成長を遂げていることを伝えると、十条は、嬉しそうに、「二十一世紀が楽しみです」と言って目を細めた。語らいは弾んだ。
午後十時ごろ、伸一の家を出た十条は、さらに、数人の首脳と懇談し、帰宅した。自宅で御本尊に唱題し、入浴後、就寝したが、体の変調を訴えた。そして、そのまま眠るがごとく、安らかに亡くなったのである。
十条の会長就任は、荒れ狂う宗門事件の激浪のなかであった。伸一が名誉会長となり、会合に出席して指導することもできない状況下で、十条は必死に学会の舵を取らねばならなかった。また、この年の一月に恐喝の容疑で逮捕された山脇友政が、学会を意のままに支配しようとした卑劣な謀略への対応にも、神経をすり減らし、苦慮し続けた。体は人一倍頑健であったが、この二年余の心労は、いたく彼を苛んだようだ。
伸一は、十条とは青年時代から一緒に戦ってきた同志であった。一九五四年(昭和二十九年)三月、伸一が青年部の室長に就任した時には室員となった。十条の方が、五歳ほど年長であったが、信心の先輩である伸一を慕い、共にあらゆる闘争の先頭に立ってきた。伸一にとっては、広布の苦楽を分かち合った、信頼する“戦友”であった。
伸一が第三代会長に就任すると、十条は彼を師と定め、自ら弟子の模範になろうと努めてきた。師弟のなかにこそ、創価学会を永遠ならしめ、広宣流布を大発展させゆく要諦があると、十条は深く自覚していたのだ。