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日蓮大聖人・池田大作

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第29巻 「力走」 力走

小説「新・人間革命」

前後
1  力走(1)
 爽快な秋晴れであった。
 暗雲を払い、威風も堂々と進む創価の同志の心意気を表すかのように青空が広がった。
 一九七八年(昭和五十三年)十一月十八日午後、創価学会創立四十八周年を記念する本部幹部会が、本部総会の意義をとどめて、東京・荒川文化会館で盛大に開催された。学会が定めた明七九年(同五十四年)「人材育成の年」への助走が、力強く開始されたのだ。
 席上、会長・山本伸一は、学会が七年ごとに前進の節を刻んできた「七つの鐘」が、明年には鳴り終わることを述べ、その翌年の八〇年(同五十五年)から二〇〇〇年まで、五年単位に、二十一世紀への新たな前進の節を刻んでいくことを発表した。
 また、「11・18」を記念して、今や人類的課題となった環境問題を中心に、「地方の時代」などについての提言を行うことを語った。
 そして、翌十九日付の「聖教新聞」に、四・五面見開きで、記念提言が掲載されたのだ。
 提言では、まず、「地方の時代」が叫ばれ始めた背景について論じていった。
 ――日本の近代産業は、中央集権的な政治体制と密接に結びついて、効率の良さを追求し、多大な富をもたらしてきた。しかし、その半面、消費文明化、都市偏重をもたらし、過密・過疎や環境破壊が進むとともに、地方の伝統文化は表面的、画一的な中央文化に従属させられてきた。つまり、各地の個性的な生活様式や、地域に根ざした文化の多様性が切り崩されていったのだ。
 そのなかで、伝統に根ざし、伝統を触発しつつ、みずみずしい生活感覚を発揮していける場を取り戻そうとの、人びとの願いが背景となって、「地方の時代」を志向する流れが生まれたと分析。さらに、庶民の日常生活に即して進められる私どもの運動は、そうした願いを、共に呼吸するなかで進められていかなければならないと訴えたのである。
 仏法即世間であり、学会即社会である。人びとの希求、渇望に応えてこそ、時代の創造という宗教の使命を果たすことができる。
2  力走(2)
 山本伸一は、記念提言で、「地方の時代と創価学会の役割」にも言及していった。
 そして、社会に生きる限り、「私ども一人ひとりも、地域に深く信頼の根を下ろし、人びとの心のひだの奥にまで分け入り、苦楽を共にし合う決意がなくてはならない。そうした地道な精神の開拓作業のなかにしか広布の伸展もないし、また、真実の地域の復興もあり得ない」と訴えたのである。
 また、学会員は、驚くほどの辺地にあっても、喜々として広宣流布への情熱に燃えて活躍していることに触れて、こう述べた。
 「一個の人間を大切にするといっても、具体的には、こうした恵まれない、最も光の当たらない人びとのなかに、率先して入り、対話していくことが、私ども幹部に課せられた、当面、最大の課題といえましょう。このことは、即『地方の時代』の先駆けであり、人間救済の仏法の根本精神からいっても、当然の道なのであります」
 次いで環境問題について論じるにあたり、巨大産業による公害などもさることながら、最も大きな環境破壊をもたらしてきたものは、今も昔も戦争であると語った。
 その戦争が人間の心の中から始まるように、″外なる環境破壊″は、いつの時代にあっても、本源的には人間の内面世界の破壊と不可分の関係であることに論及。ヨーロッパ諸国を中心に発達した近代科学の進歩の根源には、「自然への支配欲や征服欲、すなわち人間のエゴイズムの正当化」があると指摘した。
 もとより伸一は、人間のそうした姿勢が、半面では、刻苦や努力、挑戦などの力となり、また、近代科学が飢餓や疾病の克服に大きく貢献してきたことも、よく認識していた。
 しかし、科学技術に主導された近代文明が、エゴイズムという内面世界の不調和やアンバランス、換言すれば、″内なる環境破壊″に発している限り、そのエネルギーは、歪んだ方向へと向かわざるをえないことを、彼は訴えたのである。
3  力走(3)
 山本伸一は記念提言で、「エゴイズムの正当化」によって科学技術の発達がもたらされたが、そうした人間中心主義は、公害の蔓延等の事実が示すように、既に破綻をきたしていると述べた。そして、東洋の発想である自然中心の共和主義、調和主義へと代わらなければ、環境問題の抜本的な解決は図れないと訴えたのである。
 東洋の英知である仏法では、あらゆる存在に、その固有の尊厳性を認めている。さらに、自然環境を離れては、人間生命が成り立たないことを、「依正不二」として示している。これは、生命活動を営む主体たる正報と、その身がよりどころとする環境である依報とが、「二にして不二」であることを説いた法理である。
 つまり、正報という″内なる一念″の変革が、必然的に依報である自然環境、外部環境への対し方と連動し、そこに変革をもたらしていくという、優れて内外呼応した共和、調和への哲理といえよう。
 伸一は、記している。
 「こうした考え方を根本にしてこそ、今まで支配、服従の一方通行であった人間と自然との回路は、相互に音信を通じ、人間が自然からのメッセージに耳を傾けることも可能となるでありましょう。また、人間と自然とが交流し合う、豊かな感受性をもった文化、精神をつくりだすこともできるはずです。
 この発想を根底にするならば、自然に対する侵略、征服の思想から、共存の思想、さらには一体観の思想への転換も可能であると信じております」
 彼は、戦争をはじめ、核の脅威、自然・環境破壊、貧困、飢餓など、人類の生存さえも脅かす諸問題の一つ一つを、断固として克服しなければならないと決意していた。そのために、仏法という至極の英知を広く世界に伝え抜いていくことを、自らの″闘い″としていた。そして、日々、人類の頭上に広がる破滅の暗雲を感じながら、″急がねばならぬ″と、自分に言い聞かせていたのである。

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