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日蓮大聖人・池田大作

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第29巻 「常楽」 常楽

小説「新・人間革命」

前後
1  常楽(1)
 さあ、朗らかに対話をしよう!
 胸に歓喜の太陽をいだいて。
 語り合うことから、
 心の扉は開かれ、
 互いの理解が生まれ、
 友情のスクラムが広がる。
  
 対話とは――
 心に虚栄の甲冑を纏って、
 空疎な美辞麗句を、
 投げかけることではない。
 赤裸々な人間として、
 誠実と信念と忍耐をもってする、
 人格の触発だ。
  
 仏教の智者の言には、
 「声仏事を為す」と。
 諸経の王「法華経」は、
 仏陀と弟子たちとの対話である。
 日蓮大聖人の「立正安国論」も、
 主人と客との対話として認められた。
   
 対話は――
 励ましの力となる。
 希望の光となる。
 勇気の泉となる。
 生命蘇生の新風となる。
  
 さあ、はつらつと対話をしよう!
 心と心に橋を架けよう!
 その地道な架橋作業の彼方、
 人も、世界も一つに結ばれ、
 人間勝利の絢爛たる平和絵巻は広がる。
 一九七八年(昭和五十三年)十月十日の午後、山本伸一は妻の峯子と共に、アメリカの経済学者で、『不確実性の時代』などの著者として知られる、ハーバード大学名誉教授のジョン・K・ガルブレイスとキャサリン夫人の一行を聖教新聞社に迎えた。
 人間のための″確実性の道″を開きたいとの思いで、伸一は会談に臨んだ。
2  常楽(2)
 山本伸一は、聖教新聞社の玄関前で、女子部の代表らと共に、ガルブレイス博士夫妻を出迎えた。長身で銀髪の博士が車を降りると、大きな拍手が湧き起こった。
 博士は、一九〇八年(明治四十一年)生まれで、間もなく七十歳になる。しかし、その瞳には闘志が光り、その表情には青年の活力があふれていた。挑戦への燃える心をもつ人は若々しい。
 伸一は手を差し出しながら、語りかけた。
 「長旅でお疲れのところ、ようこそおいでくださいました。お会いできて光栄です」
 博士は、九月十日にアメリカを発ち、要人との会見や講演を重ねながら、イタリア、フランス、デンマーク、ベルギー、インド、タイを経て、日本へやって来たのだ。しかし、疲れも見せず、満面に笑みを浮かべて語った。
 「私の方こそ、お会いできることを楽しみにしておりました。また、皆さんの温かい歓迎に、旅の疲れなど吹き飛びました」
 その横でキャサリン夫人が、伸一の妻の峯子から贈られた花束を抱えて言った。
 「奥様から花束をいただいたうえに、皆さんからは、庭中を埋め尽くす、美しい笑顔の花を頂戴しました。これで元気にならない人などおりません」この言葉に、さらに微笑の大輪が広がった。
 伸一は、「今日は、大いに語り合いましょう。人類の未来のために!」と言って、一行を案内し、館内に入った。
 ガルブレイスは、カナダで大学を卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得。ハーバード大学教授、駐インド大使、アメリカ経済学会会長などを務める一方、フランクリン・ルーズベルト、トルーマン、ケネディ、ジョンソンと、アメリカの歴代大統領を支えてきた。
 著書も、『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『経済学と公共目的』など数多い。なかでも、この年の二月に邦訳出版された『不確実性の時代』はベストセラーとなり、彼の名は日本でも広く知られるようになっていた。
3  常楽(3)
 ガルブレイス博士の身長は二メートルを超える。案内する山本伸一の頭は、博士の肩まで届かなかった。会談の会場に到着すると、あらためてあいさつを交わした。
 伸一は博士を見上げ、その頭に手を伸ばしながら、ユーモアを込めて語った。
 「既にご覧になったと思いますが、日本一の山は富士山です。私は、経済学の巨匠・ガルブレイス先生を迎え、その富士を仰ぎ見る思いで、語らいを進めさせていただきます」
 博士が微笑みながら応えた。
 「私は、この背の高さから皆さんが想像するほど、危険な人物ではございませんから」
 大笑いとなった。すかさず伸一は言った。
 「背の高い人は、遥か遠くまで見通すことができます。しかし、地面は背の低い人の方が、細かく、明確に見ることができます。したがって、両者が論議し、意見の合意をみるなかに、全体の確実性を見いだしていけるのではないでしょうか」
 会談には、博士を招いた企業の一つである出版社の社長らも同席していた。二人のやりとりに顔をほころばせ、耳を傾けていた。
 語らいは、伸一と博士が、交互に問題提起し、それに対して意見を交換するかたちで進められた。まず、伸一が尋ねた。
 「現代は、人間の生にばかり光をあて、死というものを切り離して考えているように思います。しかし、生の意味を問い、幸福を追求していくうえでも、また、社会、文明の在り方を考えていくうえでも、死を見つめ、死とは何かを探究し、死生観を確立していくことが極めて重要ではないでしょうか。
 仏法では、生命は永遠であると説きます。つまり、人間の死とは、生命が大宇宙に溶け込むことであり、その生命は連続し、再び縁に触れて生を受ける。そして、生きている時の行動、発言、思考が、『業』として蓄積され、継続するというものです。そこでお伺いしたいのですが、博士は、人間の死後は、どうなるとお考えですか」
 死の解明なくしては、生の解明もない。

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