Nichiren・Ikeda
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第28巻 「勝利島」
勝利島
小説「新・人間革命」
前後
1 勝利島(1)
不屈の精神は、不屈の行動を伴う。
寄せ返す波浪が、いつしか巌を穿つように、粘り強い、実践の繰り返しが、偉大なる歴史を生み出す。
ロシアの文豪トルストイは記す。
「行動はすべて信仰から出る」(「わが信仰はいずれにありや」(『トルストイ全集15』所収)中村融訳、河出書房新社)と。
自らの使命を自覚し、勇んで活動する人の胸には、歓喜の炎が赤々と誇らかに燃え盛り、その日々には、充実と躍動がある。
山本伸一は、行動し続けた。走り続けた。戦い続けた。
一九七八年(昭和五十三年)の九月二十日夜、第四次訪中から帰国した彼は、翌二十一日には、訪中について、マスコミ各社のインタビューに応じるとともに、依頼を受けていた新聞社などの原稿執筆に余念がなかった。
二十二日には、執筆作業を一時中断し、東京・池袋の寺院に赴任してきた住職と懇談した。
学会員を守り抜くため、宗門の僧らに、どこまでも誠実に対応していった。
そして、二十三日には、東京・立川文化会館での本部幹部会に出席して指導。
翌日には静岡へ赴き、法主の日に訪中の模様を報告し、さらに、富士宮の代表らと懇談した。
彼は、一日に四回、五回と、会合等に出席し、激励を重ねることも珍しくなかった。
九月二十五日を見ても、東京・信濃町で、聖教新聞社を訪れた人をはじめ、出会った何人もの同志と語り合った。
夕刻からは新宿区代表幹部会(新宿文化会館)、世田谷区代表幹部会(創価文化会館内の広宣会館)、渋谷区代表幹部会(同文化会館内の地涌会館)、新宿区女子部の代表との勤行会(学会第二別館)に出席し、全力で励まし続けた。
広宣流布は着々と進み、今や、創価の太陽は世界を照らし始めた。
それゆえに、障魔の暗雲は湧き起こり、学会への攻撃が繰り返されていた。
伸一は、「わが同志を断じて守らねばならぬ」と、深く心に決めていた。
人間の一生には限りがある。なればこそ彼は、わが使命を果たすために、一分一秒たりとも時間を無駄にしたくなかったのである。
2 勝利島(2)
山本伸一は、世界平和の確かな潮流をつくるために行動することも、今世の自身の使命であると、強く自覚していた。
それゆえに、各国の識者、指導者との語らいを重ね続けた。
九月の中国訪問のあとも、二十七日には、北京大学の周培源学長をはじめとする中国科学院代表団一行と、二十八日には、イギリスのマイケル・ウィルフォード駐日大使夫妻と会談。
その翌日の二十九日には、西ドイツのボン大学名誉教授のゲルハルト・オルショビー博士と語り合っている。
また、伸一は、創価大学をはじめ、創価教育各校の創立者として、その諸行事にも、できる限り出席した。
九月三十日に行われた創価大学の体育祭では、開会式で「英知は太陽のごとく、身体は鉄のごとく」と激励。
閉会式では「英知を磨き人格形成を」と訴えた。
また、中国からの留学生と卓球に興じた。
さらに懇談し、「人の偉さは謙虚な人柄に表れてくる」など、人間としての生き方について語り、励ました。
そして、翌日の十月一日には、東京創価小学校の第一回運動会に出席している。
日々、さまざまな行事が、びっしりと詰まっていた。
しかし、そのなかでなお、伸一は首脳幹部らに尋ねるのである。
「ほかに、今日は、会合はないのかい。
また、私がお会いして激励すべき人がいたら、どんどん言うように!」
伸一の行動は、とどまるところを知らなかった。
「次は?」「次は?」と、間断なく尋ねては、可能な限り、全力で、激励、指導にあたっていくのである。
十月五日の全国県長会議で、彼は語った。
「人間として生まれて、最高の幸せとはなにか──人に法を説けることです。
多くの人に仏法を語れる人こそが、果報者なんです。
それに勝る幸福の実感はありません。
だから私は、その歓喜を胸に、感謝の心で、命ある限り戦い続けます。
どうか皆さんも、その自信と確信をもっていただきたい」
3 勝利島(3)
十月五日の全国県長会議で山本伸一は、広宣流布を担う人材の生き方についても言及している。
「広宣流布の活動の世界、舞台は、あくまでも現実の社会です。
社会を離れて仏法はありません。
したがって、私たちは、社会にあって、断固、勝たねばならない。
そのために、まず皆さん自身が、社会の誰が見ても立派だという、人格の人に育っていただきたいんです。
誰からもからも慕われ、信頼される人間革命の確たる実証のうえに、広宣流布の確かな前進もある。
時代は「格の時代」に入ったことを銘記していただきたい。
信心の深化は、人間性となって結実し、豊かな思いやりにあふれた、具体的な言動となって表れます。
その人間性こそが、今後の広宣流布の決め手となっていきます」
仏法の偉大な力は、何によって証明されるか──実証である。
病苦や経済苦、人間関係の悩み等々を克服した
功徳の体験も、すばらしい実証である。
同時に、自分自身が人間として、ここまで変わり、向上したという人格革命があってこそ、仏法の真実を証明しきっていくことができる。
伸一は、新しい時代を担う、新しい人材の育成に懸命であった。
全国県長会議のあとも、壮年・婦人部の代表と懇談し、人格の輝きを放つためのリーダーの心構えについて、諄々と諭すように訴えている。
「細かいようだが、リーダーは約束した時間は、必ず守ることです。
自分は忙しいのだから、少しぐらい遅れてもいいだろうといった考えは、絶対にあってはなりません。
それは、慢心であり、甘えです。
自分の信用を、学会の幹部への信頼を、崩すことになります。
また、人材育成とは、高みから指導するのではなく、広宣流布の宝たる仏子に、誠心誠意、骨惜しみせずに仕えていくなかにあることを、忘れないでいただきたい。
そうして人材を育み、伸び伸びと活動に励んでもらい、最後は、自分が一切の責任を持つ──これが、本当の指導者なんです」