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日蓮大聖人・池田大作

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第28巻 「広宣譜」 広宣譜

小説「新・人間革命」

前後
1  広宣譜(1)
 「私の心に、勝利の歌が響く。春の力が、魂に湧き起こる」(注)──ウクライナの詩人レーシャ・ウクラインカは叫んだ。
 山本伸一の胸にも、さっそうと正義の白馬に跨がり、二十一世紀の広野を駆ける若人の凱歌が、力強くこだましていた。
 一九七八年(昭和五十三年)六月二十八日の午後、彼は、東京・信濃町の学会本部にある師弟会館で作詞を開始した。
 三十分ほど前、創価文化会館内の広宣会館で各部代表者会議を終えた時、学生部の代表が、新学生部歌の歌詞を見てほしいと言ってきたのだ。
 「三十日に、学生部結成二十一周年を記念して行われる幹部会の席上、発表する予定です。お直しいただければと思います」
 伸一は、その歌詞を受け取ると、創価学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊に供え、唱題したあと、推敲を始めた。
 第二代会長・戸田城聖が出席して、学生部結成大会が行われたのは、五七年(同三十二年)の六月三十日である。
 それは、新たな民衆勢力の台頭を恐れる権力の不当な弾圧の嵐が、学会に吹き荒れる渦中であった。
 北海道・夕張炭鉱で、学会が組合の統制を乱したとして、炭労が学会員を締め出すという暴挙に出たのだ。
 伸一は、この理不尽な圧迫をはねのけて、信教の自由を守り抜くために、北の大地を疾駆した。
 炭労の対応にあたる一方、友の家々を巡り、励ましの対話を重ね、心の暖炉に勇気の火をともしていった。
 当時、炭労といえば、「泣く子も黙る」といわれるほど、絶大な力をもっていた。
 その横暴を断じて許すわけにはいかなかった。
 さらに、学生部結成直後の七月三日には、大阪府警によって、青年部の室長であった伸一が、選挙違反という無実の罪で逮捕される事件が起こる。まさに、権力の魔性との壮絶な闘争のなかで、学生部は呱々の声をあげたのだ。
 この事実は、学生部こそ、無名の民衆を守り抜くことを使命として誕生した、知勇兼備の闘将の集いであることを示している。
 学問は、庶民を守るために生かすのだ。
2  広宣譜(2)
 山本伸一は、新学生部歌の歌詞の原案を見ながら思った。
 「今、学生部は、人事も一新され、二十一世紀への新出発の時を迎えた。師弟共戦の戦いを起こし、魂のバトンを託す時代が来たのだ。
 その祝福と満腔の期待を込めた歌を、私が作って贈るべきではないか…?」
 伸一は、先ほど、歌詞を持ってきた学生部の幹部らに、師弟会館に来てもらった。
 「学生部は大事だから、今回は、私が歌を作って、諸君に贈ります。みんなのために、後世に残る学生部歌を作ってあげたいんだ。
 永遠に歌い継がれる歌を、君たちの時代に残していこうよ。今日中に曲も完成させます。
 私は、諸君のために一切をなげうつ覚悟です。未来は君たちに託すしかないもの。
 では、口述するから、書き留めてください」
 彼は、目を細め、未来を仰ぐかのように彼方を見た。しばらく沈黙が続いた。
 そして、一語一語、言葉を紡ぎ始めた。
 「『広き曠野に 我等は立てり』──この「こうや」は、「荒れ野」ではなく、「広々とした野原」の方だ。
 「こうや」の「こう」の字は、日偏に旧字の「廣」がいい。
 「広い」という同じ漢字が重なるのを避けるとともに、荘厳な感じを出したいんだよ。
 『広き曠野』と表現することで、学生部の未来は、洋々と開け、舞台は限りなく広いことを強調したいんだ。皆、世界にも羽ばたいてもらいたい。
 次は、『万里めざして 白馬も堂々』にしよう。晴れやかな出発だ。これから全地球を、ところ狭しと駆け巡るんだ。
 『いざや征かなん 世紀の勇者』──「ゆかなん」の「ゆく」は、「征服する」などという時に使う「征」の字だ。
 困難に打ち勝ち、成し遂げるという意味を込めているんだよ。
 そして、この『世紀の勇者』とは、二十一世紀を担う大指導者ということなんだよ」
 伸一の心には、言葉が次から次へと、泉のようにあふれてくるのである。
 必死な励ましの一念は、勇気の言葉を、希望と確信の言語を生み出していく。
3  広宣譜(3)
 時刻は、午後四時半を回っていた。
 山本伸一は、五時半からは、妻の峯子と共に、新宿文化会館での婦人部首脳の懇談会に出席することになっていた。
 彼は、出発時刻ぎりぎりまで、新学生部歌の作詞を続けようと思った。
 「さて、四行目だ。ここは、起承転結の結の部分にあたる大事な箇所だ…。
 よし、『我と我が友よ 広布に走れ』としよう。自分だけではなく、悩める友の味方となり、強い友情を結び、同志と共に前進していくんだ。
 『走れ』ということは、″勢いある行動″なんです。青年は、座して瞑想にふけっていてはならない。
 『広布に走れ』を実行していくには、まず″わが人生は、広宣流布とともにあり″と決めることです。
 そして、瞬間瞬間、広布をめざして力の限り、戦い抜いていくんだ。″広布に歩け″ではないんです。全力疾走だ。
 『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』、私たちの精神だもの。
 さらに、青春時代の誓いを、終生、貫き通していくことです。
 日蓮大聖人は『始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん』(同一四四〇㌻)と仰せだ。”持続”なくして勝利はありません。
 皆の人生には、これから先、就職もあれば、結婚もある。さまざまな環境の変化があります。
 職場の上司や同僚、家族や親戚から、信心を反対されたり、自分が病に倒れたり、勤めた会社が倒産したりすることもあるかもしれない。
 その時に、″いよいよ自分の信心が試されているんだ。負けるものか!″と、歯を食いしばって頑張り抜いてほしい。どんなに苦しくとも、信義のため、正義のために、″使命の走者″として、広宣流布の大道を完走してほしいんです。
 そのための魂の歌を、師弟の応援歌を、私は今、作っておきます」
 伸一は、生命の言葉を紡ぐようにして、歌詞を作り上げていった。

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