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日蓮大聖人・池田大作

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第27巻 「求道」 求道

小説「新・人間革命」

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1  求道(1)
 青葉には希望がある。未来に伸びゆく若々しい力がある。
 青葉──それは、限りない可能性を秘めた東北を象徴していよう。
 杜の都・仙台は、美しい青葉の季節であり、街路樹のみずみずしい緑がまばゆかった。
 一九七八年(昭和五十三年)五月二十七日午後二時二十分、仙台空港に到着した山本伸一は、車で、仙台市の錦町に完成した東北平和会館(後の青葉平和会館)へ向かった。
 伸一の車には、長く東北を担当した副会長の関久男と、東北総合長である副会長の青田進が同乗していた。伸一は、語り始めた。
 「東北創価学会は強くなったね。東北の同志の強さは、チリ津波や冷害など、試練に遭遇するたびに、困難をはね返し、ますます広宣流布の勢いを増してきたことにある。
 蓮華が泥沼に咲くように、苦難のなかで広布の使命を自覚して、それぞれが人間としての強さと輝きを発揮し、信仰の力を示してこられた。最悪な状況のなかでも、怯むことなく、自らの生き方を通して、仏法の偉大さを証明してこられた。まさに、その姿こそが、地涌の菩薩です。仏を見る思いがします。
 東北には、何があっても、”負げでたまっか!”という意気込みがある。それこそが、『学会魂』です。だから私は、東北の同志を、心から尊敬しているんです。
 一人ひとりが、その強さにますます磨きをかけていくなかに、自身の一生成仏と東北繁栄への大前進がある。すごい時代が来ます」
 車の助手席に座っていた青田が言った。
 「そのためには、どこまでも組織の第一線で戦う皆さんに照準を合わせ、すべての活動を、そこから組み上げていくことが大切ではないかと思いますが……」
 「そうです。私は、第一線の会員の方々にこそ、最高幹部の指導や体験を聞いて、信心への強い確信をもってもらいたい。ゆえに、副会長や県長などの幹部は、直接、会員の皆さんと会い、語り合う機会を、徹底してつくってほしいんです。いや、断じて、そうしていかなければならない」
2  求道(2)
 山本伸一は、最前線の会員に照準を合わせた活動について、具体的に語っていった。
 「会員の皆さんが、信心の栄養を吸収できる場は、座談会になります。したがって、座談会を、信心の歓喜と確信に満ちあふれたものにするために、幹部であればあるほど、最大の力を注いでいかなくてはならない。
 また、皆がしっかりと教学を研鑽できる場は、御書学習会です。ゆえに、最高幹部から率先して御書学習会を担当し、「仏法とは、こんなにも深いものなのか! よし、頑張ろう!」と、皆が決意できるような、魅力あふれる講義をしていってもらいたい。
 ところが、方面幹部や県幹部は、県で行う支部長会など、幹部の会合が盛会であれば、良しとしてしまう傾向がある。大切なのは、それを受けて行う支部や大ブロック(現在の地区)、ブロックの会合です。そこが、一人ひとりの会員の皆さんに、信心のエネルギーを与えるものになっているかどうかなんです。
 組織が大きくなると、方面や県の幹部の意識が第一線から離れ、本部長や支部長などしか、見えなくなってしまうことがよくあります。そうなると、すべての運動は、上滑りしていってしまう。常に見失ってはならないのが、最前線の会員の皆さんです。
 私は、さまざまな立場の幹部に、『組織の皆さんはお元気ですか』と尋ねます。その時に、誰を”皆さん”として思い浮かべるのか。自分の身近にいる幹部なのか、それとも会員の方たちなのか。
 その時、すぐに”昨日、家庭訪問したあの人””一昨日、個人指導したあの人”というように、会員の方々の顔が浮かんでくるのが、民衆の指導者なんです。
 戸田先生は、時間がある限り、多くの会合で質問を受けられた。それは、どこまでも一会員に焦点を当てられ、幸せになってほしいというお心の表れであり、皆と直接つながっていこうとされたからなんです」
 一人ひとりの会員を最重要視することこそ、創価学会の伝統精神にほかならない。
3  求道(3)
 山本伸一の一行は、午後三時過ぎ、東北平和会館に到着した。この会館は、五月初めにオープンしたばかりであり、外壁は赤茶色のタイル張りで、地上四階、地下一階の堂々たる大法城であった。車から降りた伸一は、出迎えた幹部らに語りかけた。
 「皆さんは、仙台支部が結成してから三十年近く、全力で走り抜いてこられた。この二、三日は、ゆったりした気分で過ごしてください。そして、また新しい心で、新しい未来へ出発しよう。では、皆で記念の写真を撮りましょう」
 笑顔が広がるなか、カメラに納まった。
 仙台支部の結成は、戸田城聖が第二代会長に就任した一九五一年(昭和二十六年)の五月であり、以来二十七周年を迎えた。
 その間、旧習の根深い地にあって、さまざまな偏見や迫害と戦いながら、広宣流布の道を切り開いてきた同志を、伸一は、心からねぎらいたかったのである。
 彼自身は休む間もなく、記念植樹に臨んだ。植えられたのは、二本の桜であった。
 一本は、「広布の母」である婦人部に敬意を表し、もう一本は、東北学生部の発展に尽力した功労の友の遺徳を讃えての植樹である。
 婦人部の桜に土を盛った伸一は、東北婦人部長の斉間恵と、東北書記長で宮城県婦人部長の野崎裕美に視線を注ぎながら言った。
 「この桜は、婦人部の皆さんの手で、大木に育ててください。桜も、人材も、立派に育てるには、常に心を配り、よく手入れしていかなければならない。この木を、東北婦人部の人材育成の象徴にしていってください。
 東北婦人部には、斉間さんと野崎さんという、息の合った最強のコンビが誕生した。
 中心となる人たちが、力を合わせていくことができれば、大発展します。団結は『建設』であり、『善』なんです。しかし、反目は『破壊』であり、『悪』となってしまう。
 組織を実質的に担っているのは、結局は婦人部の皆さんです。婦人部が強ければ、広宣流布の盤石な基盤を築くことができます」

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