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日蓮大聖人・池田大作

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第24巻 「灯台」 灯台

小説「新・人間革命」

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1  灯台(1)
 人間という真実から 表現を除けば
 何が残るか
 表現 表現……必然性の表現
 已むにやまれぬ表現
 これは、山本伸一が、一九七一年(昭和四十六年)九月に、学生部に贈った詩「革命の河の中で」の一節である。
 われらは、表現する。この世で果たすべき、自らの使命を知り得た大歓喜を! 人びとを、断じて不幸になどさせるものかという、慈悲と決意の燃え立つ心を! 大宇宙を貫く仏法という偉大なる生命の哲理を! 文字で、言葉で、行動で……。
 七七年(同五十二年)の一月二十六日は、グアムに世界五十一カ国・地域の代表が参加して行われた第一回「世界平和会議」の席上、SGI(創価学会インタナショナル)が発足してから二周年の記念日であった。
 伸一は、この日の午後、聖教新聞社で、全国から集って来た業務部長らと記念撮影したのをはじめ、本社の各局を回って、職員を激励した。人間主義の仏法の光を、社会へ、世界へ、未来へと送る、「灯台」の使命を担っているのが、聖教新聞であるからだ。
 記念撮影の折、伸一は業務部長らに語った。
 「遠くから、ご苦労様です。最も尊い存在は、陰で、黙々と頑張ってくださる方です。ゆえに私は、皆さんを尊敬しております。
 また、全国の配達員の皆様方に、くれぐれもよろしくお伝えください。″無冠の友″である配達員さんは、学会の最高の宝です。その方々に仕える思いで、私は働きます」
 編集室では、伸一は記者たちに言った。
 「みんな、一騎当千の人材になるんだよ。では、どうすれば、力が出るのか。
 自分の話で恐縮だが、私は、青年時代から″すべてに勝ち抜いて、戸田先生の正義を世に示すのだ。先生のために戦おう。先生にお喜びいただこう″と決めて戦った。つまり、師弟の道に、私の力の源泉がありました」
2  灯台(2)
 山本伸一は、聖教の記者たちに訴えた。
 「戸田先生は、広宣流布の大誓願に生涯を捧げられた指導者でした。
 先生は、こうおっしゃっていた。
 『私は、創価学会を、愛おしい全同志を、全会員を、断じて守らねばならない。いや、学会員だけではない。全人類を幸福にしていかねばならん。そのために、命をなげうとうと思うと、力が出る。元気になる。怖いものなど、何もなくなるんだよ』
 広宣流布の師匠には、すべての民衆を救っていこうという地涌の菩薩の大生命が、脈動している。その″師のために″と、心を定めて戦う時、生命が共鳴し合い、自身の境涯も開かれていくんです。
 私は、そうすることによって、戸田先生の生命、ご境涯に、連なることができた。わが命は燃え上がり、無限の勇気が湧き、智慧が湧きました。誰もが不可能と思い、たじろぐような困難の壁にも、勇猛果敢にぶつかり、乗り越えていくことができた。また、忍耐強く戦うこともできたんです。師弟の不二の道こそ、自身を開花させる大道なんです。
 人間は、ただ自分のためだけに頑張っているうちは、本当の力は出せないものだ。女性の場合でも、母親となって、わが子を必死になって守り抜こうとする時には、想像もできないぐらいの力を発揮するじゃないですか」
 伸一は、編集室を回り始めた。何気なく、傍らの記者の机を見ると、評論家の小林秀雄の本があった。
 「君は、この本を読んでいるのかい。私は小林さんとお会いしたことがあるんだよ」
 「はい、存じております。学会創立四十六周年の記念行事で、先生は、小林秀雄さんの著作を通して、大野道犬の話をしてくださいました。それで読んでみようと思いました」
 大野道犬は、豊臣秀頼に仕えた武将・大野治胤のことである。
 「そうか。嬉しいね。青年は、貪欲なまでに学び、その知識を生かし、実践し、民衆のなかに入り抜いて、戦うんだよ」
3  灯台(3)
 山本伸一が学会創立四十六周年の記念行事で語った大野道犬についての話は、小林秀雄の「文学と自分」のなかで紹介されているエピソードである。
 ――大坂冬の陣で、徳川家康は大坂城の外堀を埋める条件で、豊臣と和議を結ぶ。しかし、家康は外堀のみならず、内堀までも埋めたのである。それを見て、大野道犬は、家康が心の底では、和睦するつもりはないことを知り、憤怒する。そして、徹底的に抵抗を試みた。家康は憤り、彼を生け捕りにするよう命ずる。彼は、捕らえられるが、堂々と、家康に「大たわけなり」と言い放つ。
 火刑に処された大野道犬は、黒焦げになるが、検視が近づくと、動きだし、検視の脇差しを抜く。そして、検視の腹を刺し貫く。その瞬間、黒焦げの体は、たちまち灰になったというのだ。
 小林秀雄は、この逸話について、「諸君はお笑いになりますが、僕は、これは本当の話だと思っています」と述べている。
 伸一は、その小林の言葉を紹介し、人間の執念の問題について、こう語ったのである。
 「これに共通する話として、有名な石虎将軍の故事を思い出します。虎に母(父の説もある)を殺された将軍が、仇を討とうと、石を虎と間違えて矢を射る。矢は命中し、石に深く刺さったという話であります。
 大野道犬の話も、石虎将軍の話も、一人の人間が、本気になって何事かをなさんとした時には、常識では考えられないことを成就できるという原理を、これらの話から汲み取っていただきたいのであります」
 伸一は、彼らの生き方の是非を語ったわけではない。広宣流布の決戦の時には、岩盤に爪を立てても険難の峰を登攀する、飽くなき執念が不可欠であることを、同志の生命に深く刻んでおきたかったのである。
 初代会長・牧口常三郎は、七十歳を超えて、独房の中で敢然と戦い抜いた。この壮絶無比なる闘争なくして大願の成就はない。輝ける未来を開くのは、不撓不屈の闘魂だ。

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