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第23巻 「学光」 学光

小説「新・人間革命」

前後
1  学光(1)
 「教育だ! 知性の光だ! 知性の光だ! すべてはこの光から出て、またこの光にもどる」
 これは、文豪ユゴーの叫びである。
 教育は、人間に「知」という力を与え、人びとの幸福を、尊厳を、自由を、平等を実現していく必須の条件である。
 一九七六年(昭和五十一年)五月十六日、ツツジが群れ咲く東京・八王子市の創価大学のキャンパスは、日曜日だというのに活気にあふれていた。
 青葉が茂る石畳を、スーツ姿に身を包んだ男女青年や婦人、壮年など、幅広い年代の人たちが、中央体育館に向かっていた。なかには、白髪の老婦人や、杖を手にした老紳士の姿もあった。
 どの顔も誇らかであり、その歩みは、はつらつとしていた。創価大学の通信教育部の開学式に参加するため、北は北海道、南は九州、沖縄など、全国各地から集って来た通教第一期生の学生たちである。
 正午、開会を告げる司会の声が響き、大拍手が高鳴るなか、開学式が始まった。
 通信教育部長の開式の辞、法学部長のあいさつに続いて、通信教育生代表が元気いっぱいに抱負を語った。
 「必ずや、生きた学問を身につけ、それを職場に、社会に生かし、自己完成への道を歩んでまいります!」
 向学の息吹にあふれた、決意であった。
 ここで、創立者・山本伸一のメッセージがテープで流れた。
 伸一は、なんとしても、通信教育部の開学式に行き、学生たちを激励したかった。しかし、この日は、海外からの来客が予定されており、開学式に出席することは難しかった。そこで、やむなく、事前に、メッセージをテープに録音することにしたのだ。
 通信教育部の開設は、伸一が、創価大学の設立を誓った時からの夢であった。いや、民衆教育をめざす彼にとっては、そこに、大きな眼目があったといってよい。
2  学光(2)
 録音テープに吹き込まれた、山本伸一の力強い声が、創価大学の中央体育館に響いていった。
 「五月十六日は、重大な歴史の日となりました。晴れやかな開学式、まことにおめでとうございます。また、皆さんのご入学を心よりお祝い申し上げます」
 「重大な歴史の日」――皆、その言葉に、思わず息をのんだ。通教生たちは、伸一の言わんとすることの、深い意味を理解したわけではなかった。しかし、誰もが、通信教育部に対する、伸一の、強く、熱い思いを感じながら、メッセージに耳をそばだてた。
 「通信教育部の設置は、創価大学設立の構想を練り始めて以来の、私の念願でありました。
 教育の門戸は、年齢、職業、居住地のいかんを問わず、すべての人びとに平等に開かれねばなりません。まして、本学が″人間教育の最高学府″をめざす以上、教育の機会均等化を図るために、通信教育部をおくことは重要な課題であると考えてまいりました。
 今回、入学された皆さんは、年齢も幅広く、十代から七十歳を超える高齢の方々までいらっしゃるとうかがっております。また、ほぼ全員が仕事をもち、会社員、公務員、主婦等々、多忙ななかで、学問の道を志されたと聞いております。私はそこに、創価教育の原点ともいうべき学問への姿勢を見る思いがしてなりません」
 そして、牧口常三郎が提唱した「半日学校制度」に言及。それは、学習の能率を図ることによって、学校生活を半日とし、あとの半日を生産的な実業生活にあてるという制度である。牧口は、この制度の根本的な意義は、「学習を生活の準備とするのではなく、生活をしながら学習する、実際生活をなしつつ学習生活をなすこと、即ち学習生活をなしつつ実際生活もすることであって、(中略)一生を通じ、修養に努めしめる様に仕向ける意味である」と述べている。
 生涯が学習である。生涯が勉強である。それが、人間らしく生きるということなのだ。
3  学光(3)
 教育の本義は、人間自身をつくることにある。教育は、知識を糧に、無限の創造性、主体性を発揮しうる人間を育む作業である。
 知識の吸収は、進展しゆく社会をリードするうえで、必要不可欠な条件ではあるが、知識それ自体は、創造性とイコールではない。内なる可能性の発露こそが教育であり、知識は、それを引き出す起爆剤といってよい。
 では、知識を創造へ、生き生きと転ずる力とは、いったい何か――。
 山本伸一は、メッセージのなかで論じていった。
 「それは、社会を担う人間としての自覚と責任であると申し上げたい。人びとの現実生活を凝視し、その向上、発展のために、習得した豊饒な知識を駆使するなかに、創造性の開花があるといえると思うのであります」
 そして、勤労しつつ勉学に励むことは、自分自身を鍛え、視野を広げていく行為であると強調。牧口常三郎が「半日学校制度」を提唱したのも、働きながら学ぶことが、人間教育を志向するうえで、最も適切な環境条件であるからだと訴えた。
 ここで、伸一の声に一段と力がこもった。
 「その意味で皆さん方は″創価教育体現の第一期生″であると申し上げておきたい!」
 集った通教生たちの瞳が輝いた。決意を新たにし、ぎゅっと、唇をかみしめる青年もいた。身を乗り出して拍手をする婦人もいた。
 続いて、伸一は、自らの青年時代の思い出に触れた。窮地に陥った戸田城聖の事業を支えるため、学問の道を、いったん断念せざるを得なかったこと。その代わり、戸田がさまざまな学問を教えてくれたこと……。
 伸一は、深い感慨を込めて、その″戸田大学″での講義の実感を語った。
 「それは文字通り、人生の師と弟子との間に″信″を″通″わせた教育でありました」
 伸一は、創価大学の通信教育の「通信」という意味も、郵便による伝達ということではなく、師と弟子が、互いに″信″を″通″わせ合う教育であるととらえていたのである。

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