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日蓮大聖人・池田大作

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第22巻 「命宝」 命宝

小説「新・人間革命」

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1  命宝(1)
 この世で最も尊厳な宝は、生命である。
 それゆえに「命宝」と言う。
 「観心本尊抄文段」には「夫れ有心の衆生は命を以て宝と為す。一切の宝の中に命宝第一なり」とある。
 生命を守ることこそ、一切に最優先されなければならない。本来、国家も、政治も、経済も、科学も、教育も、そのためにあるべきものなのだ。「立正安国」とは、この思想を人びとの胸中に打ち立て、生命尊重の社会を築き上げることといってよい。
 一九七五年(昭和五十年)九月十五日、山本伸一は、東京・信濃町の学会本部で行われた、ドクター部の第三回総会に出席した。ドクター部は、医師、薬剤師らのグループである。伸一がドクター部の総会に出席するのは、これが初めてであった。
 ドクター部が結成されたのは、七一年(同四十六年)九月のことであった。仏法を根底にした「慈悲の医学」の道を究め、人間主義に基づく医療従事者の連帯を築くことを目的として、発足した部である。
 このころ、医療保険の改正をめぐって、厚生省と日本医師会の対立が続いていた。
 その背景には、医療費の急増があった。
 当時の診療報酬の体系では、医師の医療技術は、ほとんど評価されず、診療報酬の大部分は、薬代、注射代などが占めていた。それが結果的に、薬漬け、検査漬けと言われる医療に拍車をかけ、医療費の増大という事態を生む、要因となってきたのである。
 そこで、厚生省は、医療費急増の打開策として、医療費を引き上げるのではなく、診療報酬体系を見直そうとした。
 すると、医師会は「医師の犠牲のもとに低医療費政策を押しつけるもの」と猛反発し、遂に、この年の四月、保険医総辞退の方針を決議したのだ。
 そして、七月、大多数の医師が、組合管掌健康保険など、被用者保険の保険医辞退に突入したのである。
2  命宝(2)
 国民健康保険は、医師の保険医辞退の対象ではなく、標的となったのは、賃金労働者の健康保険である被用者保険であり、なかでも、組合健保であった。そのため、多くのサラリーマン家庭が深刻な影響を受けたのである。
 被用者保険の加入者と、その被扶養者は、医師にかかると、まず、全額、現金で支払い、領収書を社会保険事務所や健康保険組合に提出し、払い戻しを受けることになる。
 それだけでも煩雑なうえに、組合健保については、現行料金から値上げされた、医師会が定める″新料金″が請求された。この差額は患者の自己負担となる。
 それによって、病気になっても、金銭的な問題から、早期受診を控える人もいた。また、治療を中断せざるをえない人も出た。
 一九七一年(昭和四十六年)七月半ばには宮城県で、息子夫婦に医療費の過重な負担がかかることを苦にして、息子の被扶養者になっていた老婦人が、自殺するという悲惨な出来事が起こっている。
 すべての国民が、医療保険に加入し、その適用を受ける国民皆保険は、日本の社会保障制度の根幹をなすものであった。それを根底から揺るがす医師会の対応である。
 医師会側は医療制度の抜本的な改革を主張しており、政府がそれに応え切れていないことも事実であった。しかし、国民の生命を人質に取るような結果になったことから、医師会は、人びとの怒りを買うことになった。
 保険医辞退は、政府と医師会で合意が成立し、一カ月で終わったが、医師会は、医療費の大幅引き上げ等を要求。事態は、難航し続けていたのである。
 山本伸一は、そうした状況を見ながら、医師の良心という問題を、考えずにはいられなかった。彼は思った。
 ″人命を預かる医師という仕事は、聖職である。医療制度の改革も重要である。しかし、それ以上に、医師が生命の尊厳を守ろうとする信念をもち、慈悲の心を培うことこそ、最重要のテーマではないか……″
3  命宝(3)
 「医師などの医療従事者のグループとして、文化本部にドクター部を結成しよう」
 山本伸一が、こう提案したのは、医師の保険医辞退で社会が混乱していた、一九七一年(昭和四十六年)の七月のことであった。
 それまで、医師らは学術部に所属してきたが、九月の第二回学術部総会の席上、新たに医師、歯科医師、薬剤師らで構成される部として、ドクター部が誕生したのである。
 伸一は、医学界の現状を深く注視していた。
 医術は人命を救う博愛の道であるとして、「医は仁術なり」と言われてきた。しかし、それをもじって、「医は算術」などと揶揄されるほど、一部の医師の″利潤追求″は、目に余るものがあった。
 また、「患者不在の医療」との指摘もあった。「医師に苦痛を訴えても、真剣に聴いてくれない」「病院では、検査漬けで、モノとして扱われているようだ」「治療法や薬の詳しい説明もなく、大量に薬物投与される」という声も少なくなかった。乱診乱療の傾向を、多くの人びとが痛感していたのである。
 そうした現代医療のひずみは、医療制度の問題だけではなく、医師のモラルや生き方にも、大きな要因があろう。
 伸一は、本来、医療の根本にあるべきものは、「慈悲」でなければならないと考えていた。「慈悲」とは、抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)ということである。一切衆生を救済せんとして出現された、仏の大慈大悲に、その究極の精神がある。
 日蓮大聖人は「一切衆生の異の苦を受くるはことごとく是れ日蓮一人の苦なるべし」と仰せである。あらゆる人びとのさまざまな苦しみを、すべて、御自身の苦しみとして、同苦されているのである。
 医療従事者が、この慈悲の精神に立脚し、エゴイズムを打ち破っていくならば、医療の在り方は大きく改善され、「人間医学」の新しい道が開かれることは間違いない。
 いわば、医療従事者の人間革命が、希望の光明になるといってよい。

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