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日蓮大聖人・池田大作

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第22巻 「波濤」 波濤

小説「新・人間革命」

前後
1  波濤(1)
 「人間主義とは、皆がかけがえのない存在であるという哲学だ。そして、皆を人材として磨き抜いていくことだ。それができるのがわが創価学会である。さあ、人材を育てよう」
 一九七五年(昭和五十年)七月三十一日、ハワイでの一切の行事を終えて帰国した山本伸一は、開催中の夏季講習会の報告を聞くと、側近の幹部たちに力強い声で語った。
 広宣流布の未来を開くために、何よりも必要なのは、新しき人材である。あの地、この地に、幾重にも連なる、雄々しき人材山脈をつくることが、伸一の熱願であった。
 夏季講習会は「希望と成長の講習会」をスローガンに掲げ、七月二十九日に、東京・八王子の創価大学をはじめ、北海道から沖縄までの全国十六会場で開講式が行われた。
 一昨年まで、夏季講習会は、総本山だけを使って行われていたが、より多くのメンバーが参加できるようにするために、昨年から、全国各地に会場が設けられたのである。
 この七五年の講習会は、期間は八月下旬までの約一カ月間で、会場も、最終的には全国三十四会場を使用し、約二十万人が参加することになっていた。
 伸一は、早くも八月二日には、創価大学で講習会の陣頭指揮を執っていた。
 翌三日には、講習会の一環として行われた、人材育成グループ「五年会」の第三回総会に出席し、「諸法実相抄」の一節を拝して指導。
 なかでも「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」の個所では、師弟論に言及していった。
 「日蓮大聖人と『同意』であることが、信心の根本です。その大聖人の御心のままに、広宣流布の大誓願に生き抜いたのが、牧口先生、戸田先生に始まる創価の師弟です。
 ゆえに、創価の師弟の道を貫くなかに、大聖人と『同意』の実践があります。具体的な生き方でいえば、自分の心の中心に、常に厳として師匠がいるかどうかです。
 また、師と向かい合うのではなく、常に師匠の側に立ってものを考え、行動していることです」
2  波濤(2)
 「五年会」のメンバーは、十代後半から二十代後半の世代である。二十一世紀を、ちょうど働き盛りの年代で迎えることになる。
 山本伸一のメンバーへの期待は、限りなく大きかった。それだけに、信仰の最も重要な師弟というテーマについて、語っておかなければならないと、彼は思ったのだ。
 初代会長の牧口常三郎も、第二代会長の戸田城聖も、国家神道を精神の支柱にして戦争を遂行しようとする軍部政府の弾圧によって投獄された。
 戸田は、師の牧口と共に投獄されたことを、何よりも誉れとしていた。
 権力への恐れなど、微塵もなかった。さらに、獄中にあっても、″罪は自分一身に集まり、牧口先生は一日も早く帰られますように″と、朝な夕な真剣に祈りを捧げている。
 戸田は、日蓮大聖人の御金言通りに、広宣流布のために戦う牧口に、勇んで随順したのだ。そこに、「日蓮と同意」という御聖訓に則った、現代における実践がある。
 また、牧口の三回忌法要の折には「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」「その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。
 なんたる幸せでございましょうか」と涙した。
 戸田は、牧口という師と同じ心、同じ決意に立つことによって、地涌の菩薩としての使命を自覚することができたのだ。
 伸一は、この牧口と戸田の師弟の絆について触れ、若い魂に呼びかけた。
 「私は、その戸田先生に仕え、お守りし、共に広宣流布に戦うなかで、自分の地涌の菩薩の使命を知りました。創価学会を貫く信仰の生命線は、この師弟にあります。
 どうか諸君も、生涯、師弟の道を貫き、この世に生まれた自身の崇高な使命を知り、堂々たる師子の人生を歩み抜いていただきたいのであります」
 学会が永遠に見失ってはならない指針を、伸一は全力で伝え残そうとしていた。
3  波濤(3)
 山本伸一は、翌八月四日には、創価大学での高等部の第八回総会に臨み、渾身の力を注いで指導にあたった。また、連日のように、講習会に参加した各方面の幹部や各部の代表と懇談を重ねた。
 さらに、五日には、中等部員を、六日には、少年・少女部員を見送るなどして、寸暇を惜しんで激励を続けた。
 七日は、東京男子部の代表三千人が集って講習会が行われた。そのなかで、日焼けした凛々しい顔の男たちの姿が、ひときわ目を引いた。外国航路で働く船員の人材育成グループ「波濤会」のメンバーである。
 彼らは中央体育館での全体集会に参加したあと、教室を借りて、第五回「波濤会大会」を開催。その会合が終了するころ、男子部の幹部が、息を弾ませ駆け込んできた。
 「山本先生が、記念撮影をしてくださいます。校舎前のロータリーの『出発の庭』に集合してください」
 約七十人の″海の男″たちから、歓喜の雄叫びがわき起こった。半袖の白いシャツと白いトレパンのメンバーは、船員帽を誇らしげに被って、急ぎ足で移動し、待機した。
 間もなく、伸一がやってきた。
 「『波濤会』だね。ご苦労様! いつも、皆さんの航海の安全を、一生懸命に祈っています。さあ、記念撮影をしましょう」
 これまで「波濤会」の代表が伸一に激励されたことはあったが、これほど多くのメンバーが、そろって会うのは初めてであった。
 皆、胸を張り、意気揚々と、記念のカメラに納まった。
 この日も、伸一のスケジュールはびっしりと詰まっていた。しかし、時間をやりくりして、「波濤会」のメンバーと、記念撮影をすることにしたのだ。
 伸一は、彼らが、どんな状況のなかで信心に励んでいるかを、よく知っていたからである。
 ″最も大変ななかで頑張っている人にこそ、最大の激励をするのだ。それが私の責務だ″
 伸一は、常にそう自分に言い聞かせていた。

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