Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第21巻 「共鳴音」 共鳴音

小説「新・人間革命」

前後
1  共鳴音(1)
 烈風の  会長就任  十五歳 断固と指揮執る 五月三日よ
 一九七五年(昭和五十年)五月三日は、山本伸一の会長就任十五周年の佳節であった。
 彼が第三代会長に就任して以来、創価学会は未曾有の大発展を遂げ、十五年前と現在とでは、隔世の感があった。
 伸一の会長就任時には会員世帯も百四十万ほどであったが、今や、事実上、日本第一の大教団に発展し、世界各地にメンバーのスクラムは広がっていた。
 また、東京の創価中学・高校、創価大学、大阪の創価女子中学・高校、民音、富士美術館などが相次いで創立され、教育・文化面でも、社会に大きく貢献してきた。
 さらに、政治の分野では公明党が結成され、福祉をはじめ、民衆のための政治を推進し、日本の政治を支える柱の一つとなった。
 創価学会の目的は広宣流布にあり、さらには、「立正安国」(正を立て国を安んずる)の実現にある。
 「立正」とは、生命尊厳の哲理であり、人間革命の方途を示した仏法の人間主義の思想を、人びとの胸中に打ち立てることである。
 そのための実践が広宣流布である。そして、この広宣流布は、「安国」という、社会の繁栄と平和の実現をもって完結するのである。
 「安国」なき「立正」は、宗教の無力さを意味していよう。
 また、「安国」がなければ、個人の幸福の実現もない。ゆえに「立正安国」にこそ、仏法者の使命がある。
 創価学会が、この目的を掲げているのは、学会が日蓮大聖人に直結した、「人間のための宗教」であることの証明にほかならない。
 伸一は「立正安国」を実現するために、仏法の人間主義の旗のもと、教育、文化、政治など、あらゆる分野の建設に着手してきた。
 それは、苦闘の歳月であった。しかし、そこには喜びと充実があった。
 ヘレン・ケラーは、「他人のために尽そうとか、社会に新生命を打ち建てようという、私欲を離れた目的から永続的な確実な歓喜が生れる」と宣言している。
2  共鳴音(2)
 五月の三日には、午後一時前から、東京・八王子の創価大学中央体育館で「5・3」記念式典が開催された。
 式典の開会に先立ち、午前十一時からは、グラウンドで鼓笛隊の慶祝パレードも行われ、祝賀の調べが大空に舞った。
 集った人びとの顔には、喜びがあふれていた。
 ″山本先生が会長になってくださり、一切をなげうって指揮を執られたからこそ、この十五年間の学会の大発展があったのだ!″
 それが、この日集ったメンバーの実感であり、偽らざる心境であった。
 一方、伸一は、こう思っていた。
 ″私が十五年、会長として指揮を執り、広宣流布を大きく前進させることができたのは、同志の皆さんのおかげ以外の何ものでもない。
 皆、苦労に苦労を重ねて、本当に頑張ってくださった。時には、辛い思いも、悔しい思いも、悲しい思いもされたにちがいない。
 しかし、私と心を合わせ、勇気を奮い起こし、広宣流布の使命に生き抜いてくださった。
 法のため、友の幸福のために流したその汗と涙は、すべて珠玉の福運となることは、仏法の法理に照らして絶対に間違いない。
 私は、地涌の菩薩である尊き創価の法友に、わが同志に、心の底より感謝申し上げたい。そのための式典である!″
 記念式典の会場に姿を現した伸一は、入り口付近にいた参加者に「ありがとう!」「ありがとう!」と声をかけながら、次々と握手を交わしていった。
 感謝あるところに、生命の共鳴があり、団結が生まれるのだ。
 「祝典序曲」の力強い演奏で幕を開けた式典は、開会の辞、「二〇〇一年をめざして」と題する青年部代表の抱負に続いて、「創価功労賞」「国際功労賞」「広布文化賞」「広布功労賞」の授賞が行われた。
 これらの賞は、″功労のあった同志を最大に顕彰したい″との思いから、伸一が提案し、設けられたものである。
 「創価功労賞」は、広宣流布と創価学会の興隆に貢献した功労者の代表に贈られるもので、「国際功労賞」は、世界の各地で広宣流布のために活躍してきたメンバーに贈られる賞である。
3  共鳴音(3)
 「広布文化賞」は、日蓮大聖人の仏法を根底に、人間文化の興隆に努めてきた人に贈られる賞である。
 そして、「広布功労賞」は、地域広布に貢献してきたメンバーを顕彰するものである。
 山本伸一は、共に学会のため、広宣流布のために奮闘してくれた同志を賞讃し、顕彰していく流れを厳然とつくっておきたかったのである。
 受賞者は皆、喜々として晴れやかであった。
 「陰徳あれば陽報あり」と言われるように、隠れた善行は明確な善の報いとなって必ず表れる。陰で黙々と広宣流布のために献身してきた苦労は、いつか必ず、大功徳となって花開く。
 仏法は生命の厳たる因果の法則であるからだ。
 伸一は「冥の照覧」という法理に則り、広宣流布に尽くし抜いてくれた同志を表彰することで、その敢闘を讃え、労をねぎらい、深い感謝の心を伝えたかったのである。
 日興遺誡置文には「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事」と認められている。
 ――一身を賭して法を弘める行者に対しては、いかに身分が低い法師であったとしても、まさに仏を敬うようにするというのが道理であり、最大の尊敬を払わなくてはならない、というのである。
 広宣流布の功労者、実践者、智者を敬いなさいという、こうした遺誡は、二十六箇条のうち四箇条もあるのだ。
 伸一は、この精神のうえからも、広宣流布に多大な尽力をされてきた方々を、顕彰しなくてはならないと思った。
 また、大聖人が「ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず……」と仰せのように、讃えられれば、また頑張ろうというのが人間の心の常である。
 表彰が受賞者の励みとなり、さらに決意に燃えて奮闘していただけるなら、それがまた、前進の新しい活力となる。
 第二代会長の戸田城聖も、広宣流布のために奮闘した弟子たちをいかに賞讃し、励ますか、常に心を砕いていた。
 「論功賞罰はきちんとせよ」というのが、戸田の教えであった。

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