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第21巻 「人間外交」 人間外交

小説「新・人間革命」

前後
1  人間外交(1)
 対話は、人間と人間を結ぶ。仏法という生命尊厳の哲理も、この対話を通して広がっていく。
 対話には、勇気が必要である。そして、相手を包み込む人間の温もりが求められる。
 また、対話には、納得と共感をもたらす智慧と情熱が必要である。
 いわば、対話力とは、総合的な人間力の結実といってよい。人間は、対話への挑戦を通して、自分を磨き、高めていくことができるのである。  
 SGI(創価学会インタナショナル)の発足となった、グアムでの第一回「世界平和会議」を終えた山本伸一は、一九七五年(昭和五十年)一月二十八日に帰国した。
 ロサンゼルスに始まり、ニューヨーク、ワシントンDC、シカゴ、ハワイ、グアムを歴訪した約三週間にわたるアメリカ訪問であった。
 帰国した伸一は、本部幹部会などの諸行事に出席するとともに、精力的に、大使館関係者や各界のリーダー、ジャーナリストなどと、相次ぎ対話を重ねていった。
 「地球の命運は、対話を推進しゆく我々の能力にかかっている」とは、後年、伸一と対談集を発刊したヨーロッパ科学芸術アカデミーのフェリックス・ウンガー会長の叫びである。
 対話が、時代を動かし、人類の命運を変えるのだ。
 伸一は二月の一日には駐日アメリカ大使館を訪問し、ジェームズ・ホジソン大使にアメリカ訪問を無事に終えたことを報告。約一時間にわたって会談した。
 その翌日には、アメリカの日本協会(ジャパン・ソサエティー)のアイザック・シャピロ会長と会談し、言葉の文化論などについて語り合った。
 さらに六日には、AP通信社のジョン・ロデリック東京特派員と会い、世界の軍縮問題や、伸一の教育国連構想などをテーマに話し合った。
 そして、十二日には、佐藤栄作元総理との会談に臨んだのである。
 佐藤元総理は前年十二月にノーベル平和賞を受賞していた。それを「一日も早く山本会長にお見せしたい」との連絡を受けていたのであった。
 しかし、伸一は一月六日にアメリカに出発するために、日程の都合がつかず、この日の会談となったのである。
2  人間外交(2)
 佐藤栄作元総理は「こちらから山本会長のお宅に、おじゃまさせていただきます」とのことであった。
 しかし、伸一は、″狭いわが家にお迎えするのは申し訳ない″と思った。そこで、自宅近くにある、和食の店で会談することにした。
 伸一は、峯子と一緒に佐藤夫妻を迎えた。元総理は、背広にグリーンのネクタイを締め、やや長髪であった。
 それが、若々しい印象を与えていた。
 伸一が「ノーベル平和賞のご受賞、まことにおめでとうございます」と祝福すると、佐藤は、はにかむように言った。
 「ありがとうございます。どうしても山本会長にご覧いただきたかったもので、押しかけてしまいました」
 食事をしながらの語らいが始まった。
 佐藤は語った。
 「私はノーベル賞の授賞式の帰り、ソ連を訪問し、コスイギン首相とお会いすることができました。意義のある会見となりました。
 領土問題の話はしませんでしたが、約一時間にわたって、友好的な語らいができました。
 実は、その時、コスイギン首相が、こう言われておりました。
 『日本に帰ったら、創価学会の山本会長によろしく伝えてください。この間、有意義な会見をしたばかりなんです』と」
 伸一は頷いた。
 「そうですか。私は昨年の九月に訪ソし、コスイギン首相とお会いした折、率直に意見を申し上げました」
 伸一は、その会談の模様を佐藤に伝えた。
 ″多くの日本人がソ連に対して、「怖い国」であるという印象をもっているので、これを変えなくてはならない″と訴えたこと。
 また、″日本人の理解を得ようと思うなら、「親ソ派」と称される政治家や団体とばかり交流するのではなく、保守党の議員など、幅広く交流すべきである″と述べたことも伝えた。
 佐藤元総理は″親米″の代表のように言われていた。その佐藤とコスイギン首相との会見が実現したのだ。
 コスイギン首相は、伸一の意見を真摯に受け止めてくれたのであろう。
 勇気ある対話は、共鳴の波動を広げ、世界を動かす力となる。
3  人間外交(3)
 佐藤栄作元総理は山本伸一の話を聞くと、大きく頷きながら言った。
 「山本会長の真心と情熱にあふれたご意見が、コスイギン首相を動かし、私との会見が実現したのでしょう」
 伸一はこたえた。
 「いいえ。コスイギン首相の方が、私の提案を誠実に受け止めてくださったからです。その誠実さにこそ、私は首相の偉大さがあると思います」
 思想家の内村鑑三は、「世に、いまだかつて、誠実でなくして偉大となった人間はいない」と述べている。
 これは、伸一も、後輩たちに、よく語ってきた言葉であった。
 佐藤は言った。
 「それにしても、山本会長は、コスイギン首相を相手に、よくぞ言ってくださった。まさに友人としての忠告という感じがします。
 そういう語らいは、政府の代表同士では難しいでしょう。だから民間交流が大事です」
 また、佐藤は、今回、訪問したモスクワ大学でも、伸一への深い信頼によって、創価大学との教育交流が始まろうとしていることを知り、感嘆していた。
 さらに伸一は、前年十二月の第二次訪中で、周恩来総理、鄧小平副総理と会見したことを述べ、中国を大切にしていきたいとの心情を語った。
 すると佐藤は、力を込めて言った。
 「日中国交の橋を架けてくださり、感謝しています。よくやっていただきました」
 佐藤元総理といえば、台湾一辺倒であるという見方が定着していた。しかし、彼は、以前から日中国交正常化を念願していたのだ。
 伸一には、その心がわかっていた。
 佐藤が常に台湾を重要視してきたのは、蒋介石総統に対する信義を貫いたからであった。佐藤は、戦後、蒋介石が日本人の帰国を速やかに認め、賠償金も取らなかったことに、深い恩義を感じていたのである。
 恩をもって恩に報いる――その信念が佐藤を貫いていたのだ。
 伸一は、佐藤が総理在任中から、何度か顔を合わせる機会があった。ひときわ深い思い出となっているのが、九年前の一九六六年(昭和四十一年)一月、鎌倉・長谷の別邸を訪れた時のことであった。

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