Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第20巻 「信義の絆」 信義の絆

小説「新・人間革命」

前後
1  信義の絆(1)
 「やるからには、すぐやろう! 新しい路を切り拓くんだ!」
 山本伸一の胸には、この魯迅の叫びが、強く、激しく、轟いていた。
 また、魯迅は言う。
 「いつの時代にも、かならず、まず剛健なる者があらわれて、先駆となり、前衛となって、歴史に道を開き、清める」
 伸一は、この箴言を自らに課し、世界平和を創出する先駆となることを心に誓ってきた。
 ソ連訪問から帰国して二カ月ほど過ぎた一九七四年(昭和四十九年)の十一月中旬のことであった。駐日中国大使館を通して、北京大学から、伸一を招待したいという電報が届いたのである。
 彼は、半年前の初の訪中で北京大学を訪問した折、文化交流の一環として日本語書籍など五千冊の寄贈を申し出て、目録を手渡した。その書籍が届いたので、贈呈式を行いたいというのである。
 電報には伸一を熱烈歓迎したい旨が述べられ、こう記されていた。
 「私たちは、会長のご訪問が中日両国人民間の友情及び北京大学と創価大学間の友好往来を、さらに一歩増進させると信じております」
 伸一は、より早く訪中して、ソ連のコスイギン首相の話を、中国の首脳に伝えなければならないと考えていた。
 また、中国との文化交流を着実に推進していくためにも、再度の訪中を望んでいた。
 彼は、北京大学からの招待を、ありがたく受けることにしたのである。
 二度目となる伸一の中国訪問は、一九七四年(昭和四十九年)の十二月二日であった。
 午前八時半、妻の峯子と共に羽田の東京国際空港に姿を見せた伸一は、控室で、見送りに来てくれた駐日中国大使館の参事官らと懇談した。
 この日、東京の朝は寒く、北風が身に染みた。
 懇談の途中、航空会社の関係者が、「現在、北京市内は雪模様となっています」と伝えに来た。
 参事官は言った。
 「寒いなか、本当にありがとうございます」
 伸一は答えた。
 「雪でも、極寒でも、どんな悪条件でも、私は勇んでまいります。
 何があろうが、日中友好にかける私の心情は不変です。大誠実をもって行動するのみです」
 信念の人には、障害となるものなど何もない。
2  信義の絆(2)
 今回、山本伸一は、日本から飛行機で、直接、中国に入ることになる。
 半年前の初訪中の折には、日本から中国に行く飛行機便はなかった。
 そこで、まず日本からイギリス領の香港に行き、香港から列車で中国の深セン(シェンチェン)に入った。そして広州(コワンチョウ)に出て、そこから空路、北京に向かった。北京に行くのに、二日を費やしたのである。
 しかし、九月末、日中定期航空路が開設されたのだ。といっても、まだ週四便であり、東京―北京の直行便は週一便しかなかった。
 伸一たちの乗る便は、大阪、上海を経由して北京入りすることになる。それでも所要時間は七時間ほどの予定である。
 伸一は、そこに時代の変化を感じていた。六年前に、彼が「日中国交正常化提言」を行った時、いったい誰が、こうした時代の到来を想像したであろうか。
 時代は動く。時代は変わる。それには、まず人間の心を動かすことだ。人が変われば、間違いなく歴史も変わるのだ。  
 やがて、搭乗の時刻になった。伸一はタラップを上ると、見送りの人びとに手を振り、機中の人となった。
 伸一の今回の訪中は、北京のみの滞在で、四泊五日を予定していた。
 午前十時前、一行の搭乗機は羽田を飛び立った。その後、大阪を経由し、上海に向かった。大阪から上海までは二時間半、また、上海から北京までは一時間半ほどの空の旅である。
 機内にあって伸一は、今後、日中の教育・文化交流をいかに進めていくかについて、深い思索を重ねた。
 また、お世話になった客室乗務員にも、自著に、「日中の 空飛ぶ天女に 幸光れ」と記して贈るなど、周囲の人びとへの気遣いを怠らなかった。
 知り合った人を大切にし、信頼の絆で結ばれていくことから、真の友好は始まる。
 北京の空港に到着したのは、現地時間の午後四時半(日本時間午後五時半)であった。
 北京の気温は氷点下であった。タラップに立つと、風は頬を刺すように冷たかった。
 寒風に進め――それが伸一の信念であった。
3  信義の絆(3)
 北京の空港では、北京大学の首脳をはじめ、大学図書館の責任者や教師、学生の代表、また、中日友好協会の孫平化秘書長、金蘇城理事、そして、日本大使館の書記官らが出迎えてくれた。
 懐かしい幾つもの笑顔があった。
 北京大学の首脳は、五千冊の図書贈呈を心から喜ぶとともに、贈呈式のために山本伸一が訪中したことに、深く感謝の意を表した。
 伸一は言った。
 「お招きいただき、感謝しているのは私の方です。また、私どもの図書贈呈を、これほど喜んでくださり、本当に嬉しく思います。
 これからも日中両国人民の友好と、北京大学と創価大学の交流の面でも、より以上に貢献していくつもりです」
 そして、刷り上がったばかりの自著『中国の人間革命』を、北京大学の首脳に贈った。
 これは、第一次訪中の印象をつづったもので、発行日は三日後の十二月五日であった。しかし、今回の訪中で関係者に贈呈しようと、持参してきたのである。
 空港を出た一行は、宿舎の北京飯店に向かった。到着したのは、午後六時近くであった。
 その伸一のもとに、中日友好協会の廖承志会長夫妻が訪れたのである。
 廖会長と伸一は、互いに抱き合い、半年ぶりの再会を喜び合った。
 廖夫妻をはじめ、孫平化秘書長、金蘇城理事、また、第一次訪中の際に同行してくれた女性通訳の殷蓮玉も加わり、伸一の部屋で和やかな懇談が始まった。
 伸一は言った。
 「真っ先にお訪ねいただき、大変に恐縮です。
 今回は北京大学の招待ですので、廖承志先生にはお会いできないのではないかと、寂しく思っておりました」
 「山本先生が来られたら、万難を排して駆けつけます。友人ですから」
 信義は、行動のなかにこそ現れる。実際に何をしたかが、信義の有無を示すのだ。
 廖会長の言葉は、伸一の胸に熱く染みた。
 「廖先生のこの恩義に報いる意味でも、さらに青年交流の道を開いてまいります。日中の輝ける未来のために!」
 信義に対して信義をもって応える――そこに、人間と人間の堅固なる絆が結ばれるのだ。

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