Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第19巻 「宝塔」 宝塔

小説「新・人間革命」

前後
1  宝塔(1)
 「『立宗の日』にちなみまして考えますことは、″日蓮大聖人は、いったい何をこの世に弘めようとなされたのか″という一点であります」
 山本伸一の力強い声が響いた。大きな、根本的な問題提起であった。
 金沢市の石川県産業展示館を埋め尽くした参加者は、求道心にあふれた視線を、伸一に注いだ。
 一九七四年(昭和四十九年)の「立宗宣言の日」にあたる四月二十八日、伸一は、北陸広布二十周年を祝す記念総会に出席していた。
 その講演のなかで、彼は大聖人門下として最も重要な、このテーマに言及していったのである。
 「大聖人がこの世に弘めようとされたものは、端的に申し上げれば『本尊』であります。
 『本尊』とは、『根本として尊敬すべきもの』です。
 人は、根本に迷えば、枝葉にも迷い、根本に迷いがなければ、枝葉末節の迷いも、おのずから消えていくものである。
 ゆえに、いちばんの根本となる『本尊』を、一切衆生に与え、弘められたのであります。
 では、その『本尊』の内容とは何か」
 物事の本質にまっすぐに迫っていく伸一の講演に、参加者はぐいぐいと引き込まれていった。
 「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以って本尊と為す可し』(『富士宗学要集』第一巻所収)とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」
 「御本尊七箇相承」とは、日蓮大聖人から日興上人に相承された、御本尊に関する七箇の口伝である。
 伸一は、力強い声で語っていった。
 「つまり、大聖人の仏法は『一切の根源は″生命″それ自体である。根本として大切にして尊敬を払っていくべきものは、まさに″人間生命″そのものである』という哲理であり、思想なのであります」
 明快な話であった。明快さは、そのまま説得力となる。
 この総会には、五百人ほどの各界の来賓も出席していた。
 「生命をもって本尊とせよ」という話に、皆、身を乗り出した。
 これまでの宗教にはない、斬新な哲学性を感じ取ったからである。
2  宝塔(2)
 山本伸一は、さらに、「御本尊七箇相承」の「法界の五大は一身の五大なり、一箇の五大は法界の五大なり」、また、「法界即日蓮、日蓮即法界なり……」の文を引き、こう語った。
 「つまり、宇宙を構成している要素である地・水・火・風・空という、同じ五大種によって、人間も構成されている。
 大聖人は、『宇宙法界の全要素』と『日蓮という一個の生命体の全要素』とは、全く同じものであると断言されているのであります。
 これは、大聖人御自身だけでなく、一切衆生にも共通することであります。
 わが身は即大宇宙であり、妙法の当体である。それゆえに、生命を『本尊』として、大切にするのであります。私どもは、この御指南に、『生命の尊厳』の原点を見いだすものであります」
 伸一は、日蓮仏法の本尊とは、決して神秘や幻想の象徴ではなく、人間自身の生命であることを明らかにしたのである。
 日蓮大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と仰せになっている。
 また、法華経に説かれた宝塔について、「宝塔即一切衆生・一切衆生即南無妙法蓮華経の全体なり」とも言われている。
 仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。
 そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。
 「宇宙の法則は本来人間の中にも宿っているのだ。このことを悟る時、はじめて人間は自分の力を信ずることができる」
 これはインドの大詩人タゴールの卓見である。
 人間の生命を根本尊敬する日蓮仏法こそ、まさに人間尊重の宗教の究極といってよい。そして、ここにこそ、新しきヒューマニズムの源泉があるのだ。
3  宝塔(3)
 誰もが、平和を叫ぶ。誰もが、生命の尊厳を口にする。
 しかし、その尊いはずの生命が、国家の名において、イデオロギーによって、民族・宗教の違いによって、そして、人間の憎悪や嫉妬、侮蔑の心によって、いともたやすく踏みにじられ、犠牲にされてきた。
 いかに生命が尊いといっても、「根本尊敬」という考えに至らなければ、生命も手段化されてしまう。
 ボリビアの人間主義の大詩人フランツ・タマーヨは訴えた。
 「世の中に存在するすべては、生命に奉仕するために存在する。哲学も、宗教も、芸術も、学問も、すべて、生命に奉仕し、生命に仕えるために存在するのである」
 人類に必要なのは、この思想である。そして、生命が尊厳無比なることを裏付ける、確たる哲学である。
 人間の生命に「仏」が具わり、″本尊″であると説く、この仏法の哲理こそ、生命尊厳の確固不動の基盤であり、平和思想、人間主義の根源といってよい。
 その生命の哲理を、人類の共有財産として世界に伝え、平和を実現していくことこそ、自身の使命であると、山本伸一は決意していたのである。
 伸一は言葉をついだ。
 「この仏法という生命の法理を原点として、あらためて人間とは何かを問い直し、新しき『人間の復権』をめざしているのが、私たちの広宣流布の大運動なのであります」
 そして、学会が、人間の復権のために、地域に根ざした広範な文化活動を展開し、社会の建設に取り組んでいることを訴えていった。
 出席した来賓の多くは、伸一の話から、宗教が人類社会に果たす役割の大きさを知り、驚きを隠せなかった。
 北陸は、浄土信仰が深く根を下ろしてきた地域である。
 その念仏の哀音と思想は、心の″なぐさめ″にはなったとしても、社会を変革・創造し、未来を切り開く理念とはなりえなかった。
 そうした仏教に慣らされてきた人びとにとっては、「生命の尊厳」の哲理を根本に、人間の復権をめざす創価学会の仏法運動は、衝撃的でさえあったようだ。

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