Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第19巻 「陽光」 陽光

小説「新・人間革命」

前後
1  陽光(1)
 生きるということは、戦うということである。
 細胞も戦っている。血液も戦っている。人生も闘争だ。社会も闘争だ。
 文豪ゲーテはうたう。
 「わたしは人間だったのだ。そしてそれは戦う人だということを意味している」
 ――私たちは、なんのために戦うのか。
 自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。
 また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。
 アメリカの思想家エマソンは明言する。
 「他に奉仕し、人間全体の幸福に何ものかを寄与しようという意志、それが人生の本質なのである」
 私たちは、妙法をもって、末法の一切衆生を救うために出現した地涌の菩薩である。まさに広宣流布という「人間全体の幸福」の実現こそ、私たちの使命だ。
 戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。
 勝利のためには、何よりも己自身を制覇せねばならぬ。牙をむく獰猛な敵も、所詮は自分の心の影にすぎない。
  自身に勝つのだ!
  臆病に勝つのだ!
  あきらめの心に勝つのだ!
  怠惰に勝つのだ!
 自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。    
 一九七四年(昭和四十九年)三月二十八日、ペルー時間の午後四時にリマを発った山本伸一たちの乗った飛行機は、アメリカのロサンゼルスへと向かっていた。
 窓の外には、雄大なアンデスの山々が見えた。
 初訪問のパナマ、そしてペルーでの激闘を終えた伸一の体は疲れ果てていた。しかし、心は燃えに燃えていた。
 御書の一節が、彼の脳裏にこだましていた。
 「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
 ″大聖人は、まさに、広宣流布の戦人であられた。私も、戦って、戦って、戦い抜くぞ! 一日一日が決戦だ。さあ、次の舞台はアメリカだ!″
 伸一は、胸の底から、満々たる闘志がこみ上げてくるのを覚えた。
2  陽光(2)
 午後十一時(現地時間)、山本伸一たちが乗った飛行機は、給油のために、メキシコ市の国際空港に着陸した。
 伸一は、機内の窓から目を凝らして、空港の建物を見た。すると、懸命に手を振る大勢のシルエットが見えた。
 「あれは、うちの人たちじゃないのか!」
 伸一が言うと、同行幹部の田原薫が、飛行機を降りて確認に走った。
 しばらくすると、田原は、息を弾ませて戻って来た。
 「先生のおっしゃる通りでした。百人ほどのメンバーが待機しておりました」
 「こんな時間に待っていてくれたのか。会って全力で励まそう」
 伸一は、峯子と共に、走るようにしてメンバーのいる空港の一室に向かった。飛行機の出発までは四十五分しかない。
 歴史を創るとは、今を真剣勝負で生き抜くということである。その積み重ねが、偉大なる建設の歩みとなるのだ。
 伸一の姿を見ると、大歓声があがった。
 理事長のラウロ・イワダテは、「先生!」と言って、飛びつくようにして伸一を抱き締めた。
 メンバーが、イワダテから、「先生が乗られた飛行機が、給油のためにメキシコに寄航するようだ」との連絡を受けたのは、既に午後七時過ぎであった。
 急な連絡にもかかわらず、メンバーは″ぜひ、先生にお会いしたい!″と、空港に集って来たのである。
 伸一は、笑みをたたえて、皆に語りかけた。
 「夜遅く、これほど大勢の皆さんが来てくださり、感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございます」
 彼がメキシコを訪問したのは、九年前(一九六五年)であった。
 その時、空港に、二、三十人のメンバーが見送りに来てくれた。皆、身なりは質素であったが、瞳は生き生きと、決意に燃え輝いていた。伸一は、この健気な友が大功徳を受けきっていくことを真剣に祈った。
 今、ここに集った同志は、衣服も立派であり、表情も喜びに満ち満ちていた。
 伸一は、皆に視線を注ぎながら言った。
 「今日は功徳に満ちあふれた皆さんの姿を拝見し、嬉しくて仕方ありません。勇気百倍です!」
3  陽光(3)
 山本伸一は訴えた。
 「皆さんが幸福になっていただくことが、私の最大の願いであり、そのための私の人生であると決めております。
 信心は一生涯の戦いです。どうか焦らず、御書に『月月・日日につより給へ』とあるように、日々、着実に自身の信仰を深めながら、大きな、大きな、幸福の花を咲かせていってください」
 伸一がこう呼びかけると、「ムーチャス・グラシアス!」(ありがとうございます!)と、元気な声が返ってきた。
 「では、一緒に記念撮影をしましょう」
 伸一が言うと、メンバーは、喜々として、彼と峯子を取り囲むようにしてカメラに納まった。深夜の記念撮影であった。
 写真を撮ったあとも、伸一は、出発時刻ぎりぎりまで、絵葉書を贈ったり、書籍にサインをするなどして、励まし続けるのであった。
 時は激流のごとく、瞬く間に流れ去る。その瞬間、瞬間を逃さず、全精魂を注いで、人に尽くす――それが誠実ということなのである。
 最後に伸一は言った。
 「また、必ず、メキシコに戻ってきます。お元気で!」
 短時間の語らいではあったが、メンバーは伸一の心に触れ、発心の原点を刻んだのである。
 伸一たちが、ロサンゼルスの空港に到着したのは、現地時間の二十九日午前三時過ぎであった。リマを出発してから、十四時間が経過していた。
 伸一は、マリブ研修所に向かった。夜明け前であったが、研修所ではアメリカの首脳幹部が出迎えてくれた。
 日系人の男性幹部が言った。
 「先生、お疲れのことでしょう。ゆっくりとお休みになってください」
 すると、伸一は、毅然とした口調でこたえた。
 「ありがとう。でも、私に『疲れた』という言葉はありません。
 戦場にあって、将軍が疲れたと言えば、兵卒も全員が疲れてしまう。
 私は広宣流布のリーダーとして、どんな時でも同志の前では生き生きと指揮を執るように、戸田先生から訓練を受けました」
 皆、息をのんだ。その言葉が、出迎えたメンバーや同行の幹部たちの、闘志に火をつけた。

1
1