Nichiren・Ikeda
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第19巻 「虹の舞」
虹の舞
小説「新・人間革命」
前後
1 虹の舞(1)
人間……
なんと尊きものよ!
なんと強きものよ!
なんと美しきものよ!
我欲と保身と嫉妬に狂う人の世の現実は、あまりにも冷酷であり、人の心は弱く、移ろいやすい。
しかし、仏法の眼を開けば、見えるはずだ。
すべての人の胸中に宿る、尊極無上なる生命の宝玉が! そこから発する、慈悲と勇気と創造の光彩が!
ゆえに私は、人間を信ずる。
人よ光れ! 太陽のごとく、その生命を輝かせゆくのだ。
そして、苦悩の雨雲を破り、幸福と平和の虹を晴れ晴れと懸けよう。
それがわれらの、人間革命の大運動なのだ。
一九七四年(昭和四十九年)二月二日、山本伸一は、妻の峯子と共に、沖縄の天地に立った。
一月三十一日、六日間にわたる香港訪問を終えて帰国の途に就き、休む間もなく、沖縄に向かったのである。
伸一の沖縄訪問は今回で七度目である。七二年(同四十七年)五月十五日に沖縄が本土復帰してからは、初めての訪問であった。
この七四年は、沖縄の地に日蓮大聖人の仏法の種子が植えられてから二十年、すなわち沖縄広布二十周年の佳節にあたっていた。
沖縄は、広宣流布の新章節に向かって飛び立つ″旅立ちの朝″を迎えたのだ。まさに、「新生・沖縄」の出発であった。
ゆえに伸一は、この訪問で、新しき前進のためのあらゆる布石をするとともに、未来にわたる指導原理を示し、メンバー一人ひとりの胸中に、大飛躍を期す発心の火をともそうと決意していた。
さらに、沖縄本島だけでなく、八重山諸島の石垣島、また、宮古島への初の訪問も計画し、滞在期間もこれまでで最も長い、八泊九日を予定していたのである。
午後六時半、伸一たちが那覇空港に到着すると、沖縄長になっていた高見福安は、彼の手を強く握りながら、満面に笑みを浮かべて言った。
「先生、お疲れにもかかわらず、ようこそおいでくださいました。ありがとうございます!」
その後ろには、沖縄県婦人部長となった上間球子や、瞳を輝かせた青年部の代表の姿もあった。
2 虹の舞(2)
山本伸一は、沖縄広布の使命に燃える出迎えのメンバーに、微笑をたたえながら言った。
「ありがとう! もうパスポートもいらないし、本土復帰を実感しますね」
沖縄の返還は、これまでに伸一が、強く主張してきたことであった。
一九六七年(昭和四十二年)八月の第十回学生部総会では、彼は沖縄について、「施政権の即時全面返還」「核基地の撤去」「通常基地の段階的全面撤去」を訴えるとともに、産業振興対策の具体案を提案したのだ。
ジョンソン米大統領と佐藤栄作首相との会談で、沖縄の施政権返還の方針が明らかになる、三カ月前のことである。
伸一は、本土復帰は実現したが、それは、沖縄の平和と幸福を築くうえで、第一歩を印したにすぎないと考えていた。
むしろ、これからが、本当の試練と挑戦の時代であるというのが、彼の認識であった。
伸一は皆に尋ねた。
「復帰後の沖縄は、どう変わりましたか」
上間球子が答えた。
「本土から物資が入ってきて、モノは豊富になりました。でも、大変な物価高で、生活は苦しくなっています」
政治も経済も、その実像は民衆の暮らしに端的に現れる。真実は評論家の言葉にではなく、生活者の声にある。「民の声」こそが、「天の声」なのだ。
沖縄では、復帰とともに、通貨は米ドルから円へと切り替えられた。
かつて、円は一ドル三百六十円の固定相場制であったが、復帰前年に変動相場制となって円高が進み、通貨切り替えの交換レートは三百五円となったのである。
住宅ローンなどを抱えていた人は、その恩恵に浴したが、多くの人は減収に泣くことになった。
また、通貨切り替えに乗じて物価が上げられ、その後も高騰が続いていた。
那覇市では復帰の年の七月から翌年三月までに、生鮮魚介類は二三・二パーセントも上昇し、建築資材などは、ほぼ二倍になっていた。
さらに、本土の企業や観光会社などが、沖縄の土地の買い占めに走り、地価も著しく高騰した。
それによって、ささやかなマイホーム計画が消えてしまった庶民も少なくなかった。
3 虹の舞(3)
上間球子は、県民の思いを代弁するかのように美しい声で語った。
「基地のさまざまな問題も、復帰前とほとんど変わっていません。
相変わらず沖縄は基地の島ですし、米軍のヘリコプターなどが墜落したりする事故も後を絶ちません。米軍兵士の犯罪も頻発しています。
そして、何よりも人びとの関心がモノやお金に向かい、心が荒廃してきているように思います。特に、子どもたちの心は荒んできています。青少年の非行も、最近では目に余るものがあります」
壮年の幹部が、上間の言葉を受けて言った。
「祖国復帰への期待が大きかっただけに、いざ実現してみると失望も大きいようです。
私たちは、山本先生にご指導いただいた通り、″平和も幸福も、外から与えられるものではなく、自分たちの手で築き上げていくものだ。
そのためには、この人間革命の大仏法を広宣流布する以外にない″と結論しています。
″いよいよ沖縄広布の本舞台に立った。これからが本当の戦いだ。新しい前進を開始しよう″というのが、沖縄の同志の決意です」
山本伸一は、その言葉に頼もしさを覚え、ニッコリと笑みを浮かべた。
「さすが沖縄健児です。新しい戦いを起こすことが大事なんです。
沖縄の広宣流布の基盤は、この二十年間で完壁に整ったといえます。
しかし、基盤が出来上がってしまうと、ともすれば、″これまで通りにやっていれば、なんとかなるだろう″という考えをもつようになる。
実は、その発想、その感覚自体が、惰性に陥っている姿です。
状況や事態は、刻々と移り変わっているし、時代も人びとの感性も変化している。
したがって、広宣流布を進めるうえでも、常に新しい挑戦を忘れてはならない。『月月・日日につより給へ』です。
リーダーは、どうすれば新しい局面が開け、新時代に対応できるのかを考え、手を打ち続けることです。
私は今回の訪問で、その新しい広宣流布の流れを開いていきます」
確信にあふれた、力強い言葉であった。
出迎えたメンバーの目が燃え、顔が輝いた。