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日蓮大聖人・池田大作

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第18巻 「師恩」 師恩

小説「新・人間革命」

前後
1  師恩(1)
 師子王の 雄叫び聞いて 奮い起つ 広布の旅の 子等ぞ勇まし
 これは一九五五年(昭和三十年)十一月三日の第十三回本部総会を記念し、第二代会長戸田城聖が愛弟子・山本伸一に贈った和歌である。
 師の雄叫びを聞くや、瞬時にして奮い立つ弟子――この師弟の呼吸が合致し、師弟の大精神が貫かれてこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなるのである。
 ″必要なのは真正の弟子だ。学会精神が全身に脈打つ、後継の人材を育てねばならぬ!″
 伸一は、そう固く決意し、一九七三年(昭和四十八年)の夏季講習会を迎えた。
 この年の夏季講習会は七月の二十八日から八月の二十七日まで、「広布推進の人材に育とう」」をテーマに、総本山で開催された。
 学生部に始まり、男子部、高等部、中等・少年部、女子部、壮年部、婦人部など、十三期に分かれ、約十万人が参加した大講習会となった。
 伸一は、この夏季講習会を新しき飛翔への跳躍台にしようと、深く心に決めていた。
 彼は、各部の講義担当者会や全体集会をはじめ、代表との懇談会、記念植樹、記念撮影などに相次ぎ出席し、全力を注いで参加者への激励を重ねたのである。
 人材の育成は、魂の触発によってなされる。人を育もうとするなら、全生命を燃え上がらせ、熱き魂の語らいをなせ!
 その心の炎ありて、人もまた燃えるのである。
 男子部後期の講習会が開催された八月三日、伸一は、白糸研修所(当時)で行われた、人材育成グループ「白糸会」の集いに出席し、約二時間にわたって懇談した。
 ――「白糸会」は、五年前の一九六八年(昭和四十三年)の夏季講習会に参加した、全国の各総合本部の代表五十五人で構成されていた。いずれも当時は、地区の責任者である隊長であった。
 伸一が「白糸会」の集いに出席するのは、これが三度目である。
 彼らは、純粋に広宣流布への情熱をたぎらせ、師弟の誓いを果たそうと懸命であった。
 伸一も、断じてその心に応えようと、真剣であった。
2  師恩(2)
 「白糸会」の淵源は、一九六八年(昭和四十三年)の夏季講習会にさかのぼる。
 山本伸一は、広宣流布の未来を開くために、各地にあって、二十年後、三十年後の学会を支える皆の模範となる精鋭の人材を育てなければならないと考えていた。
 そして、この年の八月十日から始まった男子部の講習会参加者のなかから、各総合本部で一人ずつ、代表のメンバーを人選してもらった。
 伸一は、その際、役職は隊長で、年齢は二十五歳以下という条件を付けた。「鉄は熱いうちに打て」である。求道の息吹あふれる若き闘将たちの生命に、広宣流布の魂を打ち込んでおきたかったのである。
 メンバーは十日、男子部長らの面接を受け、翌十一日、再び集合するよう連絡を受けた。
 そこで、「今日、男子部を代表して、このメンバーが、山本先生と懇談会をもっていただくことになった」と聞かされたのである。
 皆、驚きを隠せなかった。彼らが喜びと緊張を胸に、バスで白糸研修所に向かったのは正午過ぎであった。
 研修所は、白糸の滝から数百メートルの場所にあった。
 先に到着した伸一は、研修所内の清らかな渓流のほとりで、皆の到着を待った。
 ほどなくして青年たちがやって来た。
 「ご苦労様! 待っていたんだよ。今日は一緒に釣りをしよう。ここにはマスがいるから」
 何本もの釣り竿が用意されていたが、彼らはすぐには、釣り竿に手を出そうとはしなかった。
 「遠慮しなくていいんだよ。私たちは、家族なんだ。
 どんどん釣りなさい。釣ったマスは、みんなで食べていいからね」
 伸一が、あえて釣りを勧めたのは、皆の緊張を解きほぐすとともに、思い出を残してあげたかったからである。
 青年たちは、釣り糸を垂れ始めた。
 あちこちでマスが釣れ、歓声があがった。
 「よし、頑張れ!」
 伸一は、声援を送りながら、見守っていた。
 心に鎧を着ていては、精神を通い合わせることはできない。対話を欲するならば、まず自ら胸襟を開け。人の育成は心の交流から始まるのだ。
3  師恩(3)
 しばしマス釣りに興じたあと、山本伸一は皆に言った。
 「では、仏間に行って一緒に勤行しよう。諸君の成長を祈ります」
 伸一の導師で、厳粛に勤行が始まった。
 伸一は、五十五人の青年たちの大成を懸命に祈った。長い真剣な唱題であった。
 勤行が終わると、伸一は同行の幹部に、皆に水を出すように頼んだ。
 「みんな、喉が渇いているだろうから、出会いの乾杯の意味も兼ねて、水を飲もう。
 水を飲んだら、順番に立って名前を言ってくれないか。一人ひとりのことを覚えたいんだよ」
 皆、喉を潤すと、元気に自己紹介した。
 伸一は皆の顔と名前を生命に刻印するように、じっと視線を注いだ。
 そして、青年たちに、自分の真意をぶつけた。
 「私の願いは何か。ただただ、令法久住です。
 真実の仏法を、広宣流布の流れを、そして、創価学会を、どうやって永遠ならしめていくかにあります。
 一時はどんなに隆盛を誇ろうが、やがて衰微してしまうようでは、なんにもならない。
 しかし、師弟があり、真の弟子が育っているならば、無窮の流れが開かれる。だから私は、諸君と会って、広宣流布の未来を託そうとしているんです。
 君たちは、各自の栄光の人生を築くために、どんな苦難にも負けずに、一生涯、信心を貫いてほしい。
 そして、まずは『七つの鐘』の『第六の鐘』が終わり、『第七の鐘』が始まる四年後の昭和四十七年(一九七二年)をめざしていただきたい。
 今日は、その出発の意義をとどめて記念撮影をします。
 四年後に、支部幹部等になって活躍している人には、この写真の裏に私が署名をします」
 それから研修所の玄関で記念撮影が行われた。皆、不退の誓いを込め、凛々しい顔でカメラに納まった。
 一瞬の決意が、人生を変える転換点となる。
 御聖訓には、「凡夫は志ざしと申す文字を心て仏になり候なり」と仰せである。
 まさに、この時の決意が、青年たちの生涯にわたる前進の原点となったのである。

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