Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第17巻 「民衆城」 民衆城

小説「新・人間革命」

前後
1  民衆城(1)
 「桜花」から「新緑」へ、季節は駆け足で移り過ぎようとしていた。
 一九七三年(昭和四十八年)の春、「広布第二章」の大空高く飛翔しようとする創価学会にとって、一日一日が一カ月、いや、半年、一年にも相当する重要な意味をもっていた。
 飛行機は、エンジンをフル回転させて離陸していく。同様に、広宣流布の主役である同志が″信心のエンジン″を全開にし、歓喜と勇気の飛翔を遂げてこそ、新しき時代の前進が始まる。
 そのために山本伸一は、来る日も来る日も、寸暇を惜しんで、会員のなかへ、同志のなかへと、突き進んでいった。
 ″時が惜しい。時間がほしい″というのが、彼の切実な思いであった。
 時間の浪費は、尊き使命に生きるべき限りある命を、自ら捨てていることに等しい。
 「生きているあいだ何事も先へのばすな、きみの生は行為また行為であれ」とは、文豪ゲーテの魂の叫びである。
 伸一は、自宅から学会本部などに向かう途中でも、会員の姿を見れば、すぐに声をかけ、讃え、励ますのが常であった。
 四月下旬のある日、彼が聖教新聞社の前を通りかかると、二人の婦人が、辺りを見ながら話し合っていた。
 「どこから入ればいいのかしらね」
 「あの案内所で聞いてみたら」
 婦人たちは学会員のようである。
 伸一は声をかけた。
 「どちらにおいでですか?」
 二人は振り返った。
 「あっ、山本先生!」
 彼女たちは、そろって歓声をあげた。
 年長らしい、五十代後半と思われる婦人が語り始めた。
 「先生とお会いできるなんて、びっくりしました。私たちは荒川に住んでおります。聖教新聞社にお勤めの地元の幹部をお訪ねしました」
 「そうですか。荒川区の方ですか。
 ところで、どこかでお会いしたような気がするんですが」
 「まあ、先生!
 そうなんです。そうなんですよ。十六年前の夏、先生が荒川の座談会においでくださった時に、病気のことで指導を受けております」
 婦人は、頬を紅潮させて、興奮気味に語った。
2  民衆城(2)
 山本伸一は、目を輝かせて婦人に言った。
 「十六年前というと、夏季ブロック指導で、荒川に入った時ですね。それで、お体の方は?」
 彼女は答えた。
 「はい。あの時は、結核で苦しんでおりましたが、その後、一年余りで完治いたしました。
 今では、この通り、すっかり元気になりました」 「それはよかった。
 あの荒川での戦いを、私は永遠に忘れることはありません。その一コマ一コマが、鮮烈に生命に刻まれております。
 皆さんと共に汗を流した、あの一週間の闘争こそ、学会を、民衆を苦しめる、横暴な権力の魔性への、私の反転攻勢の狼煙だったんです」
 一九五七年(昭和三十二年)八月八日から一週間にわたって実施された夏季ブロック指導で、伸一は荒川区の最高責任者として、活動の指揮をとった。
 この一週間で、当時の荒川の会員世帯の一割を超える、二百数十世帯の弘教を成し遂げたのだ。
 その直前の七月、学会は大阪事件という弾圧の嵐に襲われた。
 この年の四月に行われた参院大阪地方区の補欠選挙で、学会は候補者を推薦し、支援活動を展開した。
 その時、一部に選挙違反者が出てしまったことを口実に、選挙の最高責任者であった青年部の室長の伸一が、不当逮捕されたのである。
 彼は、前年の参院選挙でも大阪地方区の支援の最高責任者を務め、敗北は必至との予測のなか、学会が支援した候補者を見事に当選させていた。
 それだけに権力は、民衆勢力の台頭に恐れをいだき、伸一という若き闘将に攻撃の狙いを定めたにちがいない。
 この参院補選で、青年たちを引き連れて東京から乗り込んだ、英雄気取りの師子身中の虫ともいうべき人物がいた。こともあろうに、タバコに候補者の名前を書いて街頭でばらまくなどしたのである。
 検察は、彼らを逮捕すると、この買収事件の首謀者に、こう言って偽証を迫ったのだ。
 事件を収束させるために山本室長の指示ということにしてはどうか。ほんの形式上のことだから、山本を逮捕したりはしない。君らもすぐに釈放してやる。
3  民衆城(3)
 警察もまた、たまたま戸別訪問をしてしまった壮年会員を逮捕すると、脅しをかけ、山本伸一の指示だという嘘の供述をさせたのである。
 この壮年の子どもは、修学旅行が間近に迫っており、父である彼の帰りを待ちわびていた。
 その壮年に、刑事は言った。
 「おまえ、聞くところによると、長男が修学旅行へ行くそうやないか。はよ白状して帰ったらええやないか。
 強情張ったら、いつまでも泊められることになるんやで。
 素直に白状すれば、わしが担任の先生に言って、旅費も半額にまけてもらったる。千円ぐらいの小遣いなら、わしがやるで」
 しかし、山本室長から選挙違反をせよなどという指示は受けていないと言い通すと、さらに、こう恫喝されるのだ。
 「おまえ、子どもがかわいそうやないか。慈悲がないのか。鬼か。
 いつまでも強情張っとると、入れ代わり、立ち代わり、晩もろくに寝かさんと、おまえを責めて白状させるで」
 魔性の権力は、陰湿に庶民を追い込んでいった。そして、遂に彼は、嘘の供述をするのだ。
 壮年は法廷で、その時の心境を、涙ながらにこう語っている。
 「自分が働いておっても生活が苦しいのに、ここにいつまでもいたら、家族は飢えることになってしまう。
 それで、心のなかで御本尊様にお詫びして、嘘をついたんであります。『室長の山本先生に言われました』と」
 ともあれ、こうして捏造された供述を根拠にして、選挙から二カ月余りが過ぎた七月三日、山本伸一は、大阪府警に逮捕されたのである。
 その日の朝まで、彼は北海道にいた。
 夕張の炭鉱労働組合が学会員を不当に差別し、圧迫を加えた、夕張炭労事件の解決のために、北の大地を奔走していたのである。
 そして、大阪府警に出頭するために、空路、大阪に向かった。伸一は、自身の潔白を明らかにしようと、自ら府警の要請に応じて、出頭することにしたのである。
 乗り換えのために降りた東京の羽田空港には、師の戸田城聖をはじめ、妻の峯子、それに何人かの同志が待っていた。

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