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日蓮大聖人・池田大作

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第17巻 「希望」 希望

小説「新・人間革命」

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1  希望(1)
 ″教育は、わが生涯の最後の事業である。人類の未来のために、人間教育の大河を開くのだ!″
 それが、山本伸一の厳たる決意であった。
 教育なき宗教は偏頗な教条主義に陥り、宗教なき教育は「なんのため」という根本目的を見失ってしまう。
 ゆえに、人類の幸福と平和を築く、広宣流布という偉業の実現をめざす創価学会は、教育に最大の力を注がねばならない――これが、伸一の結論であった。
 仏法を根底とした社会建設の本格的な開幕を迎えた一九七三年(昭和四十八年)、彼は教育に全精魂を傾けていく決意を固めていた。
 三月十五日には、東京・小平市にある創価学園の第三回卒業式に出席し、同校で初めて記念講演を行ったのである。
 ここでは「青春期は限りない可能性を秘めた時代である。
 意志を強固にし、使命を強く自覚してすべてに挑戦を!」と述べ、青春期の「可能性」を強調したのをはじめ、「友情」「求道精神」「忍耐」「健康」の五項目の指針を示した。
 また、四月七日に挙行された同校の第六回入学式にも出席し、再び講演を行っている。
 さらに、九日には創価大学の第三回入学式に臨み、記念講演をしたのである。
 伸一の創価大学の入学式への出席は、これが初めてであった。彼は、講演で「創造的人間たれ」と呼びかけ、現代文明に果たすべき創価大学の役割などについて論じた。
 そして、十一日には、大阪府の交野市を訪れていた。人間主義の女性教育の城として開校した創価女子中学・高等学校の第一回入学式に出席するためであった。
 前日、関西入りした伸一は、大阪市天王寺区の関西文化会館から車で交野に向かった。
 男子を対象にした東京の創価中学・高等学校に始まり、創価大学、さらに、今また、関西に創価女子学園が誕生したのである。
 ″創価教育の父である初代会長牧口先生、そして、第二代会長の戸田先生が、どれほどお喜びくださっているだろうか″
 そう思うと、伸一の胸は躍った。
 「充実した事業に生きることが、わたしの幸福だ」とは、ドイツの詩人の達観である。
2  希望(2)
 創価女子中学・高等学校の入学式を祝い、山本伸一は詠んだ。
 来りけり  世紀の門出の  交野校
 この日は、妻の峯子と長男の正弘が同行していた。一家をあげて、学園のために尽くし抜こうというのが、山本家の決意であった。
 女子学園の白亜の校舎は、緑が萌える生駒の連山にいだかれるように、そびえ立っていた。
 前日は雨であったが、空は晴れ、満開の桜がまばゆかった。
 伸一の乗った車は、校門を通り、坂道を上って校舎の前で止まった。
 女子学園を含む創価学園の理事長である青田進、女子学園の校長の牧原光太郎ら、数人の関係者が彼を出迎えた。
 「ありがとう。いよいよ歴史が開かれるね」
 伸一は笑顔で語りかけると、しばらく辺りの景色に見入っていた。
 「自然に囲まれたいい環境ですね。心洗われる思いがします……。
 ここに来る途中、桜の花が美しかったが、確か『新古今和歌集』には、『またや見む 交野のみ野のさくらがり花の雪散る 春のあけぼの』という歌がありましたね」
 牧原が、温厚な笑みを浮かべて言った。
 「はい。交野は平安朝の昔から、桜の名所として知られております。
 また、交野の名は『枕草子』にも記されておりますし、近くには『天野川』という川や『星田』という地もありまして、ロマンにあふれた地域なんです。それに、この辺は蛍も多いんです」
 「詩情がありますね。
 この最高の環境のなかで、集った乙女たちの、豊かな情操と英知と正義の心を育んでください。
 校長先生、どうかよろしくお願いします」
 こう言って、伸一は深々と頭を下げた。
 牧原は「はい」と答えながら、恐縮して小柄な体をさらに縮め、髪の薄くなった頭を何度も下げた。そして、メガネの奥の瞳を輝かせ、毅然とした声で語った。
 「かけがえのない宝をお預かりするつもりで、全力を傾けて、最高の教育を行ってまいります」
 「大変にありがたいことです」
 伸一は答えた。
 教師の情熱こそが、教育の光源である。
3  希望(3)
 校長の牧原光太郎は、五十代半ばの人柄のよい壮年であった。
 戦時中、京都大学の工学部を卒業したあと、陸軍の燃料廠で研究に従事してきた。
 戦後、京都の私立の女子高校で教鞭を執り、その後、大阪府立の工業高校の教頭も務めている。
 牧原が生徒たちに注ぐ愛情は深かった。
 彼には脳性小児麻痺の子どもがいた。その子の幸せを願い、親として苦労を重ねながら、生命の尊さと、子どものもつさまざまな可能性を、実感してきたのである。
 山本伸一は、牧原に語った。
 「将来、この創価女子学園は、関西屈指の名門校になります。牧原先生の決意が、それを明確に物語っています。
 何事においても、結果という果実をもたらすには、種子が必要です。
 その種子となるのが、断固、最高のものをつくってみせるぞという金剛の決意です。校長先生の今の決意こそいっさいの源泉です。
 あとは行動です。
 マハトマ・ガンジーが『未来は、″今、我々が何を為すか″にかかっている』と叫んだように、未来のために、今日から日々、どう行動していくかです。一瞬一瞬が、一日一日が真剣勝負でなければなりません」
 それから、伸一は、副校長の永峰保夫に声をかけた。
 「永峰先生もよろしくお願いします。
 牧原校長としっかり力を合わせ、最高の学園にしていってください。団結こそが力です。
 みんなで大業を成し遂げるためには、それぞれが、自分が全責任を担っていくのだと決意することです。一人立つことです。
 同時に、自分が表に出ようとするのではなく、みんなのために尽くし抜き、陰で支え切っていこうと決めることです。それが団結の要諦です」
 永峰は、東京の創価学園の開校時から学園建設に携わり、寮長も務めてきた教師である。
 その経験は創価女子学園でも生かされ、さまざまな不測の事態にも、的確な対応がなされていくにちがいない。
 ゆえに、校長と副校長の固い団結こそ、学園の発展の鍵であると、伸一は考えていたのである。

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