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日蓮大聖人・池田大作

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第17巻 「本陣」 本陣

小説「新・人間革命」

前後
1  本陣(1)
 すべてが新生の輝きに満ちていた。希望は、美しき青空となって広がっていた。
 学会が「教学の年」と定めた一九七三年(昭和四十八年)が明けた。
 正本堂の建立という大目標を達成し、「広布第二章」に入って、初めて迎える新春であった。
 元朝、山本伸一は自宅で家族と共に勤行を終えると、戸田城聖が逝去の年(昭和三十三年)の年頭に発表した歌を思い起こしながら、決意を新たにした。
 今年こそ 今年こそとて 七歳を 過して集う 二百万の民
 戸田は、一九五一年(昭和二十六年)五月三日、第二代会長就任式の席で、会員七十五万世帯の達成を宣言した。電撃的な発表であった。
 話を聴いた誰もが″不可能だ!″現実離れした目標だ″と思った。
 だが、この時、伸一は深く、強く心に誓った。
 ″これは、まぎれもなく、戸田先生の出世の本懐だ。ならば、この七十五万世帯の達成は、弟子たる私が、絶対に成し遂げねばならぬ仕事であり、使命だ。わが青春の道は決まった″
 師と弟子の胸には、赤々と闘魂が燃え盛っていた。来る日も来る日も、生命をなげうつ覚悟で、捨て身の大闘争が展開されたのだ。
 その情熱の炎は、やがて、全同志に燃え広がり、燎原の火のごとく日本列島を包んだ。
 そして、遂に一九五七年(昭和三十二年)の十二月、七年目にして願業を成就したのだ。
 七十五万世帯、二百万人の同志が、創価の旗のもとに集ったのである。それは、現代の奇跡ともいうべき快挙であった。
 戸田は、年が明けた元旦の和歌に、その大願を成就した戦いの要諦をうたい残したのだ。
 それが「今年こそ」の一念である。来年も、再来年もあるから、なんとかなるだろうなどという惰性的な発想は、草創の同志には全くなかった。
 ″今年しかない″″今年こそ天王山だ″と、「臨終只今」の決意で走り抜いたのである。
 日々、真剣勝負であった。阿修羅のごとく戦いに戦った。それゆえに、広宣流布の堅固な礎が完成したのだ。
2  本陣(2)
 「広布第二章」とは、仏法を基調とした本格的な社会建設の時代の開幕であり、「新しき開拓」を意味する。
 開拓とは、新たなる挑戦であり、死闘によってのみ切り開くことができる茨の道である。
 これまでと同じ考えで同じ行動をしていたのでは、開拓など、できようはずがない。
 それは既に惰性であり、戦わずして敗れていることになる。
 何事も始めが肝心である。今、いかに第一歩を踏み出すかで、十年先、五十年先の勝敗が決定づけられてしまうのだ。
 それだけに山本伸一は、まず自分が、あの戸田城聖の和歌に示された、「今年こそ」との決意に立ち返り、再び、勇猛果敢な大闘争を開始しようと誓ったのである。
 元日の午前、学会本部での新年勤行会に出席した伸一は訴えた。
 「『広布第二章』の本格的なスタートとなった本年を、私どもは『教学の年』としました。
 なぜか――。
 『広布第二章』とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。
 言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡知を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。
 そのためには、原点に立ち返って、社会を建設し、文化を創造していく源泉である、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。
 ゆえに、本年を『教学の年』としたんです。
 大聖人は『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ』と仰せです。
 行学の『行』とは、広宣流布を推進していく実践です。『学』とは仏法哲理の研鑽であり、理念の深化です。
 この二つは車の両輪の関係にある。
 新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を究めていくことが不可欠になる。その大生命哲学運動の起点が本年であります。
 教学という理念がない実践は、社会の人びとを納得、共感させる説得力をもちえず、自己満足に終わってしまう。
 また、実践のともなわない教学は、観念の遊戯であり、現実社会を変革する力とはなりません」
3  本陣(3)
 創価学会が広宣流布の世界的な広がりを可能にしたのは、どこまでも御書を根本とし、確固たる理念をもち、正しき軌道を決して違えることがなかったからである。
 山本伸一は、その仏法の哲理を時代精神にしていくために、自ら先頭に立って教学の深化を図るとともに、広く社会に展開していく決意を固めていたのだ。
 既に伸一は、『大白蓮華』の昨年の十月号から、教学部の首脳と、てい談「生命論」の連載を開始していた。
 ″生命″を正しくとらえることこそ、公害や人間不在の政治、教育の混迷など、現代社会の闇を破り、人間の尊厳を守る社会を実現する要諦となるからだ。
 また、前年十一月の本部総会では、「仏教大学講座」の創設を発表していた。
 核兵器の脅威をはじめ、人類の滅亡の危機が叫ばれる今こそ、恒久平和の実現のために、人間精神の復興運動を起こさねばならないと、彼は痛感していたのだ。
 伸一は、新年勤行会では、教学研鑽の目的は広宣流布であり、自身の人間革命にあることを述べ、この一年の勝利を呼びかけた。
 「勝負の大半は、スタートで決まってしまう。
 私は、万代の繁栄のために、新たな心で、もう一度、一から学会の堅固な礎を築いていきます。命をかけて戦います。
 どうか、皆さんも、この一年、それぞれがなんらかの形で、進歩したと言える″進歩の一年″にしていただきたい」
 深い決意を感じさせる言葉であった。
 彼は、会場の前方に座っていた少年少女を見ると、声をかけた。
 「お正月だから、君たちが歌を歌ってよ」
 拍手が起こった。
 二十人ほどの少年少女が前に出て、「春が来た」を歌った。
 しかし、緊張したためか、声が小さかった。
 「か細い声だね。もう一回、大きな声で!」
 伸一が言うと、今度は皆、元気いっぱいの合唱となった。なかには突拍子もなく大きな声を張り上げる子もいた。
 「ありがとう。やればできるじゃないか」
 すると、一人の男の子が言った。
 「さっきは、最初だから上がっちゃったの」
 爆笑が起こった。

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